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村田ラジオ
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村田ラジオ
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聖体礼儀の歌章の次第
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== 神聖なる{{r|聖体礼儀|リトゥルギヤ}}の歌章の次第 ==
::{{resize|75%|第一連祷の後に第一{{r|倡和詞|アンティフォン}}を歌ふ、第八調。}}
{{resize|75%|右列詠隊、 }}{{r|我|わ}}が{{r|霊|たましひ}}よ、{{r|主|しゅ}}を{{r|讃|ほ}}め{{r|揚|あ}}げよ。
:::{{r|主|しゅ}}よ、{{r|爾|なんぢ}}は{{r|崇|あが}}め{{r|讃|ほ}}めらる。
{{resize|75%|右列、 }}{{r|我|わ}}が{{r|霊|たましひ}}よ、{{r|主|しゅ}}を{{r|讃|ほ}}め{{r|揚|あ}}げよ、{{r|我|わ}}が{{r|中心|ちゅうしん}}よ、{{r|其聖|そのせい}}なる{{r|名|な}}を{{r|讃|ほ}}め{{r|揚|あ}}げよ。
{{resize|75%|左列詠隊、 }}{{r|我|わ}}が{{r|霊|たましひ}}よ、{{r|主|しゅ}}を{{r|讃|ほ}}め{{r|揚|あ}}げよ、{{r|彼|かれ}}が{{r|悉|ことごと}}くの{{r|恩|おん}}を{{r|忘|わす}}るる{{r|毋|なか}}れ。
{{resize|75%|右、 }}{{r|彼|かれ}}は{{r|爾|なんぢ}}が{{r|諸|もろもろ}}の{{r|不|ふ}}{{r|法|ほう}}を{{r|赦|ゆる}}し、{{r|爾|なんぢ}}が{{r|諸|もろもろ}}の{{r|疾|やまひ}}を{{r|療|いや}}す、
{{resize|75%|左、 }}{{r|爾|なんぢ}}の{{r|生命|いのち}}を{{r|墓|はか}}より{{r|救|すく}}ひ、{{r|憐|あはれみ}}と{{r|惠|めぐみ}}とを{{r|爾|なんぢ}}に{{r|冠|かうむ}}らせ、
{{resize|75%|右、 }}{{r|幸福|こうふく}}を{{r|爾|なんぢ}}の{{r|望|のぞみ}}に{{r|飽|あ}}かしむ、{{r|爾|なんぢ}}が{{r|若復|わかがへ}}さるること{{r|鷲|わし}}の{{r|如|ごと}}し。
{{resize|75%|左、 }}{{r|主|しゅ}}は{{r|凡|およ}}そ{{r|迫害|はくがい}}せらるる{{r|者|もの}}の{{r|為|ため}}に{{r|義|ぎ}}と{{r|審判|しんぱん}}とを{{r|行|おこな}}ふ。{{r|彼|かれ}}は{{r|己|おのれ}}の{{r|途|みち}}を<u>モイセイ</u>に{{r|示|しめ}}し、{{r|己|おのれ}}の{{r|作為|しわざ}}を{{二重線|イズライリ}}の{{r|諸|しょ}}{{r|子|し}}に{{r|示|しめ}}せり。
== 出典 ==
: [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825416 連接歌集] 国立国会図書館 デジタルコレクション
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[[Category:キリスト教]]
[[Category:祈祷]]
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>り、會釋低頭の禮に至るまで、委曲細緻の作法を生じて、之を少者に敎ふる嚴に、之を習ふ密に、社交の態度必ずや端正なるべきを以てしたるは、固より其理なり。且つ夫れ飮食の作法は學問となり、點茶、喫茶も亦た儀禮となり、故に文敎あるもの必ずや之に通ぜざるべからずとせり。宜なり、衣食足而知{{二}}禮節{{一}}と謂ひ、又たヴエブレン氏が多趣味の著、『安逸階級論』に於て、禮は『安逸階級者の生活の產む所にして、又た之を表するものなり』と云ふこと。
歐人往々我が禮儀の委曲纎巧に流るゝを嗤ひ、思慮を役する大にして、之を固守すること、其愚及ぶべからずと評す。予も亦た禮儀の繁縟なるよりして、徒に無用の細節に泥むことあるを知る。されど、泰西の絕えず移りゆく流行を追<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>ふの愚に比するに、予は、遽に其優劣を判ずるに苦しむものなり。然るに予は彼の流行すらも、猶ほ之を目して、虛榮の癖好なりとせざるのみならず、反つて之を認めて、人心の斷えず美を慕ふ所以なりとす。されば何すれぞ纎巧なる儀禮を以て全く取るに足らずとせんや。盖し儀禮は一の結果を得んが爲、多年の實驗より生じたる最も適切なる方式なり。玆に一事あり、之を爲すに、必ずや最良の方法なるものなくんばあらず、而して、其の最良の方法は、最も經濟に合して、又た最も優美なるものならざるべからず。スペンサー氏は優美の定義を下して、動作の最も經濟的なる方法と云ふ。茶道の法とは茶碗、茶匙、帛紗等を用ふるの定式なり。其法たる初心の輩には、或は倦厭を來すべしと雖、少しく斯<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>道に入らば、直ちに此れぞ時間と勞力との最も節約を得たるものなることを知らん。換言せば、此定式は即ち力の利用の最も經濟的なるものにして、スペンサーの定理に從へば、最も優美なるものなり。
社交的禮法の裏に含蓄せしめたる精神的旨義、即ち『衣服哲學』の用語を假りて云へば、禮儀作法を以て單に外部を被ふの衣服とせる精神修養の功德は、其外見の示す所に勝りて逈かに大なるものあり。余も亦た或はスペンサー氏の社會學論理法に倣ひて、我國の禮法の源頭に溯り、其由つて來れる進化の次第經路を繹ぬるを得ん。されど斯の如きは本書の任とする所にあらずして、予は唯だ爰に禮を嚴守することの含有せる德育を主眼として、之を說かんと<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>するものなり。
旣に云へるが如く、禮の道は精緻を極めて、委曲纎巧となりたるよりして、遂に作法を異にせる多岐の流派を生ずるに至りたりと雖、此等は要するに其大旨に於て竟に歸を同じうせざるは無く、其極意は小笠原流禮法の宗家たる小笠原淸務氏の語る所によりて明かなり。曰く、『禮道の要は、心を練るにあり、禮を以て端坐すれば、兇人劒を取りて向ふとも害を加ふること能はず』と。即ち換言せば、人は常に端正なる容儀を修むるが爲、身體の諸部に於ける各官能を圓滿に整へ、而して其身體自から善く外物と調和し、斯して靈の肉に勝つを表現するに至るとの意なり。此れによりて之を見れば、佛國語にて禮容を云ふ『ビインサンス』(Bien<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>séance<small>は語源上『端坐』の義</small>)も亦た深長なる新意義を加へ來るにあらずや。
優美は即ち力の經濟法なりとの前提を眞なりとせば、從つて論理上よりして、常に優美なる容儀を修むるは、此れと共に勢力の豫備蓄積を生ずとの說に歸着せざるべからず。故に典雅の姿勢は力の休止を表す。彼のゴールの蠻民が、羅馬を掠奪し、元老院に亂入して、尊貴なる元老の髯を引毟るの暴行を敢てしたるの責は、寧ろ蠻民に在らずして<!--底本「在あらずして」-->、却つて、尊嚴と態度との威力を缺きたる彼の元老に歸せざる能はず。然りと雖、人或は云はん、區々たる禮儀の、爭でか能く高遠なる精神的造詣の道たるを得べきやと。されど知らずや、西諺にも『路皆、羅馬に通ず』と云へるを。
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>の臺艦すゑたるをば、雀ののぼりてくふをりなどぞ侍るなる。實方の中將の、頭になり給はぬ、おもひの遺りておはするなど申すも、誠にはべらば、あはれに耻づかしくも、末の世の人は侍る事かな。
いづれの年にか侍りけむ。右近の馬塲のひをりの日にやありけむ。女車、物見にやりもてゆきけるに、重通の大納言、宰相中將におはしける時にや、車やりつゞけて、見知りたる車なれば、見よき所にたてさせなどして後にわが隨身を、女の車にやりて、
「たれたれぞたれそ{{*|二字衍歟}}やまの郭公」
とかや聞こえければ、女の車より、
「うはのそらにはいかゞなのらむ」
とぞいひ返しける。いとすぐれてきこゆることもなく、かなはずもやあらむ。されども事がらのやさしく聞こえしなり。時の程に覺えむこともかたくて、さてやまむよりも、かやうに云ひたるもさる事ときこゆ。又連歌のいつ文字も、げにと聞こえねども、さやうに問ふべきことに侍りけるなるべし。又確にもえうけ給はらざりき。ひをりといふことはおぼつかなきことに侍るとかや。兼方は眞手つがひと申し侍りけるとかや。匡房中納言の、江次第とかやにもこのことは見え侍るとぞきゝ侍りし。
又いづれの年にか。眞弓の的かくることを、舍人の爭ひて、日くれ夜ふくるまで侍りければ、物見車ども、おひおひに歸りけるに、かきつけて、大將の隨身にとらせたりけるとかや。
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude> 「梓弓ためらふほどに月かげのいるをのみ見てかへりぬるかな」。
ひがことにや侍りけむ。いづもの國にてうせ給ひにし大將殿のつき給へりしとかや。
堀河のみかどの內侍にて周防とかいひし人の、家をはなちて外にわたるとて、はしにかきつけたりける、
「すみわびてわれさへのきの忍草しのぶかたがたしげき宿かな」
とかきたる、まだその家はのこりて、その歌も侍るなり。見たる人の語り侍りしは、いとあはれにゆかしく、その家はかみわたりにいづことかや、冷泉堀河の西と北とのすみなるところとぞ人は申しゝ。おはしまして御覽ずべきぞかし。まだうせぬ折に、又堀川のみかどのうせたまひて、今のみかどの內侍にわたるべきよし侍りけるに、
「あまのがは同じ流れといひながらわたらむことは猶ぞ悲しき」
とよまれて侍りけむ。いとなさけ多くこそきこえ侍りしか。
ちかくおはせし橫河の座主の坊に、琳賢といひて、心たくみにて、石たてかざり車の風流などするものはべりき。うたへ申すことありて、藏人の頭にて雅兼中納言のおはしける時かの家にいたり侍りけるに、「大原のたきの歌こそいとをかしく聞えしか」と侍りけるに「うれへ申すことはいかでも侍りなむ。この仰せこそ身にしみて嬉しく侍れ」とでなむ限りなくよろこびて出でにける。その歌は、花園のおとゞの、大原の房の瀧見にいりたまへりけるに、
「今よりはかけておろかにいはしみづ御らんをへつる瀧の白絲」
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>とよめりけるとぞ。たはぶれごとのやうなれども、ことざまのをかしく聞こえ侍れば、申し侍るになむ。つのかみ範永といひし人は、何れの山里にか、夕ぐれに庭におりて、とゆきかうゆきしあるきて、「あはれなるかなあはれなるかな」とたびたびながめければ、帶刀節信といひしが、「日くるれば、ところどころの鐘の聲」とつけたりければ、「あなふわい」となむいひける。そのかみ井手のかはづをとりて飼ひける程に、そのかはづ身まかりければほしてもたりけるとかや。
いづれの齋の宮とか。人の參りて、今樣歌ひなどせられけるに、末つ方に四句の神歌うたふとて、「うゑきをせしやうは、鶯すませむとにもあらず」と歌はれければ、心とき人など聞きてはゞかりあることなどや、出でこむとおもひけるほどに「くつくつかうなるなめすゑて、染紙よませむとなりけり」とぞうたはれたりけるが、いとその人うたよみなどには聞こえざりけれども、えつるみちになりぬればかくぞ侍りける。この事刑部卿とか語られ侍りしに、侍從大納言と申す人も侍りしが、さらばことわりなるべし。
菩提樹院といふ寺に、ある僧房の池のはちすに、鳥の子をうみたりけるをとりて、籠にいれて飼ひけるほどに、うぐひすの籠より入りてものくゝめなどしければ、うぐひすの子なりけりと知りにけれど、子はおほきにて親にも似ざりければ、怪しく思ひけるほどに、子のやうやうおとなしくなりて、ほとゝぎすと鳴きければ、むかしより云ひ傳へたるふるきこと誠なりと思ひて、ある人よめる、
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude> 「親のおやぞいまはゆかしき郭公はや鶯のこは子なりけり」
とよめりける。萬葉集の長歌に鶯のかひこの中のほとゝぎすなどいひて、このことに侍るなるを、いと興あることにも侍るなるかな。藏人實兼ときこえし人の、匡房の中納言の物語にかける文にも、中ごろの人この事見あらはしたることなどかきて侍るとかや。かやうにこそ傳へ聞くことにて侍るを、まぢかく、かゝる事にて侍らむこそいとやさしく侍るなれ。右京權の大夫賴政といひて歌よめる人の、さることありと聞きて、わざとたづねきて、その鳥の籠に結びつけられ侍りけるうた、
「鶯の子になりにける時鳥いづれのねにかなかむとすらむ」。
萬葉集には父に似てもなかず母にゝてもなかずと侍るなれば、うぐひすとはなかずや有りけむなど、いとやさしくこそ申すめかりしか。
奈良の御代
此の中の人の、おぼつかなき事ついでに申さむ」」とて、「「萬葉集は、いづれの御時つくられ侍りけるぞ」」と問ひしかば、「「古今に、
神無月しぐれふりおけるならの葉のなにおふ宮のふることぞこれ」
といふ歌侍り」」といひし。「「古今序に、「かのおほん時おほきみつの位、柿の本の人丸なむ歌のひじりなりける」とあるに、かの人丸はかの御時よりも昔の歌よみと見ゆるを、萬葉集つくれる時より古今えらばれたる時まで、年はもゝとせあまり世は十つぎとあれば、とつぎとい<noinclude></noinclude>
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市町の廃置分合 (昭和49年自治省告示第48号)
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ページの作成:「{{header |title={{PAGENAME}} |year=1962 |notes= {{ウィキペディア|沖縄市}} * 昭和四十九年三月十六日自治省告示第四十八号 }} <section begin="number"/> <div style="margin-left:1em;text-indent:-1em;"> '''◎自治省告示第四十八号''' </div> <section end="number"/> ''' 市町の廃置分合''' [[地方自治法]](昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、沖繩県コザ市及び中…」
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{{ウィキペディア|沖縄市}}
* 昭和四十九年三月十六日自治省告示第四十八号
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<div style="margin-left:1em;text-indent:-1em;">
'''◎自治省告示第四十八号'''
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''' 市町の廃置分合'''
[[地方自治法]](昭和二十二年法律第六十七号)第七条第一項の規定により、沖繩県コザ市及び中頭郡美里村を廃し、その区域をもつて沖繩市を置く旨、沖繩県知事から届出があつた。
右の処分は、昭和四十九年四月一日からその効力を生ずるものとする。
昭和四十九年三月十六日
<div style="margin-right:2em;text-align:right;">
自治大臣 [[w:町村金五|町村 金五]]
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[[Category:昭和49年の告示]]
[[Category:昭和の自治省告示]]
[[Category:沖縄県]]
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