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正信念仏偈 (意訳聖典)
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2022-08-01T08:23:31Z
村田ラジオ
14210
ふりがなの凡夫(ぼんぷ)を凡夫(ぼんぶ)に訂正
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| title = 正信念仏偈 (意訳聖典)
| section =
| year = 1923
| 年 = 大正十二
| override_author = [[作者:親鸞|親鸞]]
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| noeditor = 本派本願寺
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*本書は[[w:浄土真宗本願寺派|浄土真宗本願寺派]]が立教開宗七百年慶讃記念として、[[w:浄土真宗|真宗]]聖典の中より信仰もしくは修養上日々拝読するにふさわしいものを選び、現代語を以って意訳を試みたものです。
*発行所:内外出版
*一部の漢字は旧字体を新字体に置き換えています。(壽命、藏、佛、釋、彌陀、歡、齊、濟度、發、應化など)
*底本にある上欄の漢文は収録せず、訳文のみを収録しています。
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}}
:::<b>正信念仏偈</b>
{{r|大|おほ}}{{r|御|み}}{{r|寿命|いのち}}の{{r|量|はか}}ることのできぬ{{r|如来|によらい}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}し、{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}の{{r|思|おも}}ひ{{r|議|はか}}ることのできぬ{{r|如来|によらい}}をたのみ{{r|奉|たてまつ}}ります。
この{{r|如来|によらい}}は、{{r|遠|とほ}}きいにしへ、{{r|法蔵|ほふざう}}{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}と{{r|云|い}}ふ{{r|因|いん}}{{r|位|ゐ}}のおすがたを{{r|現|あらは}}させられたとき、{{r|世|せ}}{{r|自|じ}}{{r|在|ざい}}{{r|王仏|わうぶつ}}の{{r|御|み}}{{r|所|もと}}に{{r|発心|ほつしん}}なされて、{{r|諸仏|しよぶつ}}の{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}の{{r|因|いん}}{{r|行|ぎやう}}と、{{r|国|こく}}{{r|土|ど}}の{{r|相|さう}}{{r|状|じやう}}と{{r|人天|にんてん}}の{{r|善悪|ぜんあく}}をみそなはし、この{{r|上|うへ}}もなき{{r|殊|しゆ}}{{r|勝|しよう}}な{{r|願|ねがひ}}をたて、たぐひ{{r|希|まれ}}なる{{r|大|おほ}}きな{{r|誓|ちかひ}}を{{r|発|おこ}}し{{r|給|たま}}ひ、五{{r|劫|こふ}}のあひだ{{r|思|し}}{{r|惟|ゆゐ}}して、{{r|救|すく}}ひの{{r|道|みち}}を{{r|選|えら}}びとられ、{{r|重|かさ}}ねて、{{r|南無阿弥陀|なむあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の{{r|御名|みな}}を十{{r|方|ぱう}}{{r|世|せ}}{{r|界|かい}}に{{r|伝|つた}}へて{{r|必|かなら}}ず一{{r|切|さい}}{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を{{r|救|すく}}はんと{{r|誓|ちか}}はせられました。
{{r|普|あまね}}く、{{r|量|はか}}ることのできぬ{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|辺|ほと}}りの{{r|知|し}}られぬ{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|礙|き}}へることのない{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|対|くら}}べものゝない{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、すべての{{r|光|ひかり}}のうちの{{r|最|さい}}{{r|上|じやう}}の{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|清浄|きよらか}}なる{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|歓喜|よろこび}}の{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|智慧|ちゑ}}の{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、いつも{{r|断|た}}えず{{r|照|てら}}し{{r|給|たま}}ふ{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|思|おも}}ひつくすことのできぬ{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|説|と}}きつくすことのできぬ{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}、{{r|日|にち}}{{r|月|ぐわつ}}にも{{r|超|こ}}えすぐれた{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}を{{r|放|はな}}ちて、あらゆる{{r|数|かず}}おほき{{r|国|こく}}{{r|土|ど}}を{{r|照|てら}}してくださるから、この{{r|世|よ}}に{{r|生|い}}きとし{{r|生|い}}けるものはみなこの{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}の{{r|御|お}}{{r|照|てら}}しを{{r|蒙|かうむ}}ります。
{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}にお{{r|誓|ちか}}ひなされた{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}は、われらを{{r|正|まさ}}しく{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|生|うま}}るゝ{{r|身|み}}と{{r|定|さだ}}めてくださる{{r|業|はたらき}}であります。その{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}を{{r|至心|まこと}}に{{r|信|しん}}じよろこばせやうといふ{{r|誓願|ちかひ}}があればこそ、われらは{{r|信|しん}}じて{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}の{{r|正|たゞしき}}{{r|因|たね}}を{{r|成|じやう}}ずるのであります。この{{r|信心|しんじん}}の{{r|正|たゞしき}}{{r|因|たね}}がみたされたら、この{{r|世|よ}}では{{r|等覚|とうかく}}の{{r|位|くらゐ}}となり、{{r|後|のち}}の{{r|世|よ}}では{{r|大|だい}}{{r|涅|ね}}{{r|槃|はん}}をさとるので、それとても、{{r|我|われ}}{{r|等|ら}}を{{r|必|かなら}}ず{{r|滅|めつ}}{{r|度|ど}}に{{r|至|いた}}らしめたいといふ{{r|誓願|ちかひ}}が{{r|出来|でき}}てあるからであります。
{{r|釈|しや}}{{r|迦|か}}{{r|如来|によらい}}が、この{{r|世|よ}}に{{r|出|い}}でさせられたのは、{{r|唯|たゞ}}、{{r|深|ふか}}くして{{r|広|ひろ}}きこと{{r|海|うみ}}のやうな{{r|弥陀|みだ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}の{{r|旨趣|おもむき}}を{{r|説|と}}かんがためであらせられます。五{{r|濁|ぢよく}}の{{r|悪|あし}}さまなる{{r|時|とき}}において{{r|悩|なや}}めるもろ{{ku}}の{{r|人々|ひと{{gu}}}}は、{{r|如来|によらい}}の{{r|如実|まこと}}の{{r|御|み}}{{r|言|こと}}を{{r|眞|ま}}{{r|受|うけ}}にしなくてはなりませぬ。
{{r|能|よ}}く一{{r|念|ねん}}の{{r|信|しん}}、{{r|歓|くわん}}{{r|喜|ぎ}}{{r|愛楽|あいらく}}のみたされた{{r|心|こころ}}を{{r|発|おこ}}すとき{{r|煩悩|なやみ}}をたゝず、この{{r|罪悪|ざいあく}}ふかきまゝにて{{r|救|すく}}はれ、{{r|涅|ね}}{{r|槃|はん}}のさとりを{{r|開|ひら}}かせていたゞけるのであります。
{{r|凡|ぼん}}{{r|夫|ぶ}}も{{r|聖|しやう}}{{r|者|じや}}も、さては{{r|五|ご}}{{r|逆|ぎやく}}{{r|罪|ざい}}や{{r|正|しやう}}{{r|法|ほふ}}を{{r|謗|そし}}るいたづらものであらうとも、{{r|斉|ひと}}しく{{r|如来|によらい}}を{{r|信|しん}}ずれば、さながら、もろ{{ku}}の{{r|川|かは}}の{{r|水|みづ}}が、{{r|大海|だいかい}}にながれて、{{r|同|おな}}じ{{r|塩|しほ}}の{{r|味|あぢ}}となるやうに、いづれも{{r|同一|どういつ}}の{{r|法悦|ほふえつ}}を{{r|得|え}}させていたゞくのであります。
{{r|摂|おさ}}め{{r|取|と}}つて{{r|捨|す}}てたまはぬ{{r|仏心|ぶつしん}}の{{r|御|み}}{{r|光|ひかり}}が、{{r|常|つね}}にわれらを{{r|照|てら}}してお{{r|護|まも}}り{{r|下|くだ}}さる。それによつて、{{r|信|しん}}の一{{r|念|ねん}}にもはや{{r|救済|すくひ}}を{{r|疑|うたが}}ふ{{r|無|む}}{{r|明|みやう}}の{{r|闇|やみ}}はなくなつたけれども、{{r|貪|むさぼ}}り{{r|愛|おし}}み、{{r|瞋|いか}}り{{r|憎|にく}}みの{{r|妄念|まうねん}}は{{r|雲霧|くもきり}}のやうにつねに、{{r|真実|まこと}}の{{r|信心|しんじん}}の{{r|天空|そら}}を{{r|覆|おほ}}うて{{r|居|ゐ}}ます。しかも、たとへば{{r|日|にち}}{{r|光|くわう}}が{{r|雲霧|くもきり}}に{{r|覆|おほ}}はれても、その{{r|下|した}}は{{r|全|まつた}}く{{r|暗|くら}}いことのないやうに{{r|救済|すくひ}}については{{r|再|ふたゝ}}び{{r|疑惑|うたがひ}}におち{{r|入|い}}ることがありませぬ。
{{r|信心|しんじん}}をいたゞいて、{{r|心|こゝろ}}にお{{r|慈悲|じひ}}をうかべみて、{{r|敬虔|けいけん}}な、よろこびの{{r|心|こゝろ}}を{{r|得|う}}るやうになれば、たゞちに、{{r|横|よこさま}}に五{{r|悪趣|あくしゆ}}の{{r|迷|まよ}}ひの{{r|境|きやう}}{{r|界|かい}}をたち{{r|越|こ}}えるのであります。
{{r|善|よ}}きも{{r|悪|あし}}きも、すべての{{r|凡|ぼん}}{{r|夫|ぶ}}は、{{r|如来|によらい}}の{{r|弘|ひろ}}き{{r|誓願|ちかひ}}を{{r|聞|き}}いて{{r|信|しん}}ずる{{r|上|うへ}}は、{{r|釈|しや}}{{r|迦|か}}{{r|如来|によらい}}は、この{{r|人|ひと}}をさして「{{r|広|くわう}}{{r|大|だい}}なる{{r|勝|すぐ}}れたる{{r|理|り}}{{r|解|かい}}のあるものよ、{{r|芬|ふん}}{{r|陀利華|だりけ}}の{{r|如|ごと}}き{{r|人|ひと}}よ」とお{{r|誉|ほ}}めになります。
{{r|弥陀|みだ}}{{r|仏|ぶつ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}の{{r|念仏|ねんぶつ}}は、{{r|邪見|じやけん}}なものや、{{r|憍慢|けうまん}}な{{r|人々|ひと{{gu}}}}であつては、これを{{r|信|しん}}じてたもつことは、{{r|甚|はなは}}だ{{r|難|かた}}い。{{r|難|かた}}い{{r|中|なか}}の{{r|難|かた}}いこと、これほど{{r|難|かた}}いことはありませぬ。
{{r|印|いん}}{{r|度|ど}}の{{r|論|ろん}}{{r|家|げ}}、{{r|支那|しな}}・{{r|日|に}}{{r|本|ほん}}の{{r|高僧|かうそう}}たちは、すべて{{r|大|だい}}{{r|聖|しやう}}{{r|釈|しやく}}{{r|尊|そん}}の{{r|世|よ}}に{{r|出|い}}でなされた{{r|本懐|おもひ}}は、{{r|弥陀|みだ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}を{{r|説|と}}き{{r|給|たま}}ふにあることを{{r|顕|あらは}}に{{r|示|しめ}}し、この{{r|如来|によらい}}の{{r|本誓|ほんせい}}はわれらの{{r|根機|ひとがら}}に{{r|相応|さうおう}}し{{r|給|たま}}ふことを{{r|明|あきら}}かにして{{r|下|くだ}}されました。
{{r|釈|しや}}{{r|迦|か}}{{r|如来|によらい}}、{{r|楞|りやう}}{{r|伽|が}}{{r|山|せん}}にあつて、{{r|大衆|だいしゆ}}に{{r|告|つ}}げて{{r|宣|のたま}}ふやう、「のちの{{r|世|よ}}、{{r|南天竺|なんてんぢく}}に{{r|龍樹|りうじゆ}}{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}といふ{{r|僧|そう}}が{{r|出|しゆつ}}{{r|現|げん}}して、{{r|悉|ことごと}}く{{r|有無|うむ}}の{{r|邪見|じやけん}}をうち{{r|摧|くだ}}き、{{r|大|だい}}{{r|乗|じよう}}{{r|無|む}}{{r|上|じやう}}の{{r|法|ほふ}}なる{{r|弥陀|みだ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}を{{r|説|と}}き、みづからも{{r|信|しん}}じて、{{r|歓|くわん}}{{r|喜地|ぎぢ}}の{{r|聖|み}}{{r|位|くらゐ}}をさとつて、{{r|安楽|あんらく}}{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}するであらう」と{{r|仰|あふ}}せられました。
この{{r|懸|けん}}{{r|記|き}}に{{r|応|おう}}じて{{r|出|しゆつ}}{{r|現|げん}}せられた{{r|龍樹|りうじゆ}}{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}は、{{r|自|じ}}{{r|力|りき}}の{{r|修行|つとめ}}は{{r|難|むつ}}かしくて、{{r|陸|りく}}{{r|路|ぢ}}を{{r|旅|たび}}するやうに{{r|苦|くる}}しいものであることを{{r|示|しめ}}し、{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|御|み}}{{r|法|のり}}は{{r|行|ぎやう}}じ{{r|易|やす}}くて、{{r|水道|すゐだう}}をわたるやうに{{r|楽|たの}}しいおもむきを{{r|信|しん}}ぜしめ、{{r|弥陀|みだ}}{{r|仏|ぶつ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}を{{r|信|しん}}ずれば、{{r|自|おのづか}}ら、すぐさま{{r|必|ひつ}}{{r|定|ぢやう}}({{r|不|ふ}}{{r|退|たい}}の{{r|位|くらゐ}})に{{r|入|い}}ることができます。この{{r|上|うへ}}はたゞよくいつも{{r|如来|によらい}}の{{r|名号|みな}}をとなへて、この{{r|大|だい}}{{r|慈悲|じひ}}のこもつた{{r|弘|ぐ}}{{r|誓|ぜい}}の{{r|御|ご}}{{r|恩|おん}}を{{r|報|はう}}ぜねばならぬと{{r|仰|おふ}}せられました。
{{r|天親|てんじん}}{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}は『{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}{{r|論|ろん}}』をつくつて、その{{r|教|をしへ}}をとかれました。{{r|即|すなは}}ちみづから{{r|尽十方|じんじつぱう}}{{r|無礙|むげ}}{{r|光|くわう}}{{r|如来|によらい}}を{{r|信|しん}}じたてまつり、『{{r|大|だい}}{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|経|きやう}}』によつて{{r|真実|まこと}}の{{r|御|み}}{{r|教|をしへ}}を{{r|顕|あら}}はし、{{r|横超|わうてう}}の{{r|大|だい}}{{r|誓|せい}}{{r|願|ぐわん}}の{{r|旨趣|むね}}をひろく{{r|宣|の}}べられました。
この{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}は、くわしく{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|廻|え}}{{r|向|かう}}のこゝろによつて、{{r|生|い}}きとし{{r|生|い}}けるものを{{r|済|さい}}{{r|度|ど}}しやうがために、{{r|一心|いつしん}}のことはりをあらはし、{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}、{{r|海|うみ}}の{{r|如|ごと}}き{{r|名号|みな}}を{{r|信|しん}}ずれば、{{r|必|かなら}}ず、この{{r|世|よ}}にあるうちから、{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}の{{r|聖|しやう}}{{r|者|じや}}の{{r|数|かず}}に{{r|列|つらな}}る{{r|身|み}}{{r|分|ぶん}}となり、{{r|後|のち}}の{{r|世|よ}}は{{r|蓮|れん}}{{r|華|げ}}{{r|蔵|ざう}}{{r|世|せ}}{{r|界|かい}}({{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}})にいたり、すぐさま{{r|眞如|しんによ}}{{r|法|ほふ}}{{r|性|しやう}}の{{r|妙|めう}}{{r|理|り}}をさとることができ、そのゝちは{{r|還相|げんさう}}のはたらきをなして、{{r|煩悩|なやみ}}の{{r|林|はやし}}にも{{r|神通|ふしぎ}}の{{r|力|ちから}}をあらはし、{{r|生死|まよひ}}の{{r|薗|その}}にも{{r|応|おう}}{{r|化|げ}}の{{r|身|み}}を{{r|示|しめ}}して、すべての{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を{{r|済|さい}}{{r|度|ど}}するのであると{{r|宣|の}}べられました。
{{r|支那|しな}}の{{r|梁|りやう}}の{{r|天|てん}}{{r|子|し}}は、いつも{{r|曇鸞|どんらん}}{{r|大|だい}}{{r|師|し}}の{{r|居|ゐ}}たまふ{{r|処|ところ}}に{{r|向|むか}}つて{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}とあがめて{{r|敬|きやう}}{{r|礼|らい}}いたされました。もと、{{r|神仙|しんせん}}の{{r|教|をしへ}}を{{r|重|おも}}んぜられたこともあつたが、{{r|菩|ぼ}}{{r|提|だい}}{{r|流支|るし}}{{r|三蔵|さんざう}}から{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}の{{r|教|をしへ}}を{{r|授|さづ}}けられて、その{{r|仙|せん}}{{r|経|ぎやう}}を{{r|焼|や}}きすてゝ、{{r|楽|たのし}}き{{r|邦|くに}}({{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}})の{{r|道|みち}}に{{r|帰|き}}せられました。
{{r|天親|てんじん}}{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}の『{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}{{r|論|ろん}}』に、{{r|註|ちう}}{{r|解|げ}}をくはへて、{{r|報|はう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}する{{r|因果|いんぐわ}}は、すべて{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|誓願|ちかひ}}によることを{{r|顕|あらは}}させられました。{{r|往|ゆ}}きて{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|生|うま}}れてさとるも、{{r|還|かへ}}りて{{r|穢|けが}}れたる{{r|国|こく}}{{r|土|ど}}の{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}をすくふのも、{{r|共|とも}}に{{r|他|た}}{{r|力|りき}}のなさしめ{{r|給|たま}}ふとしる、その{{r|他|た}}{{r|力|りき}}を{{r|信|しん}}ずる{{r|信心|しんじん}}は、{{r|正|まさ}}しく{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を{{r|決定|さだ}}めしめらるゝ{{r|因|たね}}であります。
それであるから、{{r|惑|まど}}ひに{{r|染|そ}}んだわれら{{r|凡|ぼん}}{{r|夫|ぶ}}も、この{{r|信心|しんじん}}をおこせば{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|生|うま}}れ、たゞちに{{r|生|しやう}}{{r|死|し}}{{r|即|そく}}{{r|涅|ね}}{{r|槃|はん}}と{{r|云|い}}ふことのわかる{{r|涅|ね}}{{r|槃|はん}}を{{r|証|しよう}}{{r|知|ち}}することができます。そして{{r|必|かなら}}ず{{r|量|はか}}りなき{{r|光明|くわうみやう}}のかゞやく{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}したうへは、やがてあらゆる{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を{{r|悉|こと{{gu}}}}く{{r|教化|けうくわ}}し{{r|救|すく}}ふことができると{{r|示|しめ}}されました。
{{r|道|だう}}{{r|綽|しやく}}{{r|禅|ぜん}}{{r|師|し}}は{{r|釈|しやく}}{{r|尊|そん}}{{r|一代|いちだい}}の{{r|教説|をしへ}}を、{{r|聖|しやう}}{{r|道|だう}}と{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}の二{{r|門|もん}}に{{r|分判|わか}}たせられ、{{r|聖|しやう}}{{r|道|だう}}{{r|門|もん}}は{{r|今日|けふ}}のわれらには{{r|到底|たうてい}}{{r|證|さと}}り{{r|難|がた}}きことを{{r|見|み}}きはめ、たゞ、{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}{{r|門|もん}}ひとつだけが、われらの{{r|通入|つうにふ}}し{{r|得|え}}られることを{{r|明|あか}}されました。そこで{{r|自|じ}}{{r|力|りき}}ではげむ{{r|万善|ばんぜん}}{{r|諸|しよ}}{{r|行|ぎやう}}をしりぞけ、{{r|専|もっぱ}}ら{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}の{{r|円満|えんまん}}せる{{r|名号|みな}}を{{r|信|しん}}じとなふることを{{r|勧|すゝ}}められました。
ねんごろに三{{r|信|しん}}({{r|淳|じゆん}}{{r|心|しん}}、一{{r|心|しん}}、{{r|相続心|さうぞくしん}})と、それの{{r|反対|はんたい}}なる三{{r|不|ふ}}{{r|心|しん}}({{r|信心|しんじん}}{{r|不|ふ}}{{r|淳|じゆん}}、{{r|信心|しんじん}}{{r|不|ふ}}{{r|一|いち}}、{{r|信心|しんじん}}{{r|不|ふ}}{{r|相続|さうぞく}})のことはりを{{r|誨|をし}}へ、{{r|像法|ざうほふ}}、{{r|末法|まつぽふ}}、{{r|法滅|ほふめつ}}の{{r|時|じ}}{{r|代|だい}}にわたつて一{{r|貫|くわん}}せる{{r|大道|だいだう}}をのべ、{{r|慈悲|じひ}}をもつて{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}をみちびきたまふ。一{{r|生|しやう}}のあひだ{{r|罪悪|ざいあく}}を{{r|造|つく}}つてゐるものも、この{{r|弘|ひろ}}き{{r|御|み}}{{r|誓|ちか}}ひを{{r|信|しん}}ずれば、{{r|安養|やすらかな}}{{r|浄土|みくに}}にいたつて、{{r|不思議|ふしぎ}}なる{{r|證果|さとり}}を{{r|開|ひら}}くことををしへられました。
{{r|善導|ぜんだう}}{{r|大|だい}}{{r|師|し}}は、あやまれる{{r|時|じ}}{{r|流|りう}}を{{r|超|こ}}えて、ひとりたゞしい{{r|仏|ぶつ}}{{r|意|い}}を{{r|明|あきら}}かに{{r|示|しめ}}され、{{r|道|みち}}に{{r|心|こゝろ}}かけながらも{{r|定|ぢやう}}{{r|善|ぜん}}{{r|散善|さんぜん}}の{{r|自|じ}}{{r|力|りき}}の{{r|迷執|めいしふ}}のすたらぬもの、また「{{r|道|みち}}に{{r|心|こゝろ}}かけぬ五{{r|逆|ぎやく}}十{{r|悪|あく}}のいたづらもの、そのいづれをもあはれんで、われらの{{r|信心|しんじん}}は{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}が{{r|因|たね}}となり、{{r|光明|くわうみやう}}が{{r|縁|たすけ}}となつてくださる{{r|旨|むね}}を{{r|顕|あらは}}し、{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}の{{r|仏|ぶつ}}{{r|智|ち}}を{{r|仰|あふ}}がしめたまひ、われら{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}が{{r|正|まさ}}しく{{r|金剛|こんがう}}の{{r|信心|しんじん}}をうけて、お{{r|慈悲|じひ}}をよろこび、一{{r|念|ねん}}、{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}の{{r|旨趣|むね}}にかなふときは、{{r|韋|ゐ}}{{r|提|だい}}{{r|希|け}}に{{r|同|おな}}じく三{{r|忍|にん}}({{r|喜|き}}{{r|忍|にん}}、{{r|悟|ご}}{{r|忍|にん}}、{{r|信忍|しんにん}})を{{r|獲|え}}て、やがて{{r|法|ほつ}}{{r|性|しやう}}のさとりをひらいて{{r|常住|じやうじゆう}}の{{r|妙|たへ}}なる{{r|楽|たのし}}みの{{r|境|きやう}}{{r|界|かい}}になれる」と{{r|示|しめ}}されました。
{{r|源信|げんしん}}{{r|僧|そう}}{{r|都|づ}}は、くわしく{{r|釈|しゃく}}{{r|尊|そん}}一{{r|代|だい}}の{{r|教法|けうほふ}}を{{r|開説|かいせつ}}して{{r|判|はん}}せられた{{r|上|うへ}}で、たゞひとへに{{r|安養|あんやう}}に{{r|生|うま}}るゝ{{r|大法|だいほふ}}を{{r|信|しん}}じまた{{r|之|こ}}れを一{{r|切|さい}}の{{r|人々|ひと{{gu}}}}にお{{r|勧|すゝ}}めなされました。すなはち{{r|専修|せんしう}}の{{r|執心|しふしん}}は{{r|深|ふか}}く、{{r|雑修|ざふしゆ}}の{{r|執心|しふしん}}は{{r|浅|あさ}}きことを{{r|判|はん}}{{r|釈|じやく}}なされ、その{{r|雑修|ざふしゆ}}の{{r|浅|あさ}}き{{r|心|こゝろ}}のものは{{r|化土|けど}}に{{r|生|うま}}れ、{{r|専修|せんじゆ}}の{{r|深|ふか}}き{{r|心|こゝろ}}のものは、{{r|報|はう}}{{r|土|ど}}に{{r|生|うま}}るゝことわりを、きつぱりと{{r|弁|べん}}じ{{r|成|じやう}}{{r|立|りつ}}なされました。
そして{{r|極|きは}}めて{{r|重|おも}}き{{r|悪人|あくにん}}は、たゞ{{r|仏|ぶつ}}{{r|名|みやう}}を{{r|称|とな}}ふるのみによつて、{{r|救|すく}}はるゝことを{{r|示|しめ}}し、われもまた{{r|彼|か}}の{{r|如来|によらい}}の{{r|摂取|せつしゆ}}の{{r|光明|くわうみやう}}のうちにまもられてある、われらは{{r|煩悩|なやみ}}に{{r|眼|まなこ}}がくらんで、{{r|如来|によらい}}の{{r|光明|くわうみやう}}を{{r|見|み}}たてまつることはできないけれども、{{r|大|だい}}{{r|悲|ひ}}の{{r|如来|によらい}}は{{r|倦|う}}むことなくして{{r|常|つね}}に{{r|照|てら}}したまふのであると{{r|悦|よろこ}}ばれました。
{{r|本|ほん}}{{r|師|し}}、{{r|源空|げんくう}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}は、{{r|明|あきら}}かに{{r|仏|ほとけ}}の{{r|教|をしへ}}をきはめ、{{r|善悪|ぜんあく}}の{{r|凡|ぼん}}{{r|夫|ぶ}}を{{r|憐|あはれ}}んで{{r|真宗|しんしう}}の{{r|教|けう}}{{r|證|しよう}}をこの{{r|片州|へんしう}}の{{r|日|に}}{{r|本|ほん}}に{{r|興|おこ}}し、{{r|選|せん}}{{r|択|ぢやく}}{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}の{{r|念仏|ねんぶつ}}を、この{{r|世|よ}}に{{r|弘布|ぐふ}}せられました。
「われら、{{r|生死輪|まよひ}}の{{r|家|いへ}}にあるのは{{r|疑|うたが}}ひの{{r|心|こゝろ}}につながれて{{r|居|ゐ}}るからである、{{r|速|すみや}}かに{{r|寂静|しづか}}なる{{r|涅|ね}}{{r|槃|はん}}のみやこに{{r|入|い}}るには、{{r|必|かなら}}ず{{r|信心|しんじん}}でなくてはならぬ」と{{r|仰|おほ}}せられました。
{{r|経|きやう}}{{r|説|せつ}}の{{r|真|しん}}{{r|意|い}}を{{r|弘|ひろ}}めたまふ{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}たちや、{{r|本宗|ほんしう}}の{{r|祖師|そし}}たちは、ほとりなき{{r|極|きは}}めて{{r|濁|にご}}れる{{r|悪人|あくにん}}をすくふ{{r|為|た}}めに、かゝる{{r|御|み}}{{r|法|のり}}を{{r|御説|おと}}き{{r|下|くだ}}されました。{{r|道俗|だうぞく}}をとはず、{{r|今時|いまどき}}の{{r|人々|ひと{{gu}}}}は、{{r|共|とも}}に{{r|心|こゝろ}}を{{r|同|おな}}じうして、たゞこれらの{{r|高僧|かうそう}}{{r|方|がた}}の{{r|宣説|せんせつ}}を{{r|信|しん}}ぜねばなりませぬ。
== 出典 ==
* [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977474 意訳聖典] 国立国会図書館 デジタルコレクション
== 関連項目 ==
* [[正信念仏偈]]
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[[Category:日本の文学]]
[[Category:仏教]]
[[Category:日本の宗教]]
[[Category:意訳聖典]]
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蓮如上人御文章 (意訳聖典)
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2022-08-01T08:29:35Z
村田ラジオ
14210
ふりがなの凡夫(ぼんぷ)を凡夫(ぼんぶ)に訂正
wikitext
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| title = 蓮如上人御文章 (意訳聖典)
| section =
| year = 1923
| 年 = 大正十二
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| noeditor = 本派本願寺
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*本書は[[w:浄土真宗本願寺派|浄土真宗本願寺派]]が立教開宗七百年慶讃記念として、[[w:浄土真宗|真宗]]聖典の中より信仰もしくは修養上日々拝読するにふさわしいものを選び、現代語を以って意訳を試みたものです。
*発行所:内外出版
*一部の漢字は旧字体を新字体に置き換えています。(釋、彌、佛、歡、聽、勸、覺、歸、惱など)
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}}
<b>蓮如上人御文章</b>
==<b>一</b> (二の六)==
:::《原文》
抑、當流の他力信心のをもむきを、よく聴聞して、決定せしむるひと、これあらば、その信心のとほりをもて心底にあさめおきて{{sic}}他宗他人に對して沙汰すべからず。また路次大道、われ{{ku}}の在所なんどにても、あらはに人をも、はゞからず、これを讃嘆すべからず。
つぎには、守護地頭方に、むきても、われは信心をえたりといひて、疎略の儀なく、いよ{{ku}}公事をまたくすべし。
又諸神諸菩薩をも、おろそかにすべからず、これみな南無阿弥陀仏の六字のうちにこもれるがゆへなり。
ことに、ほかには王法をもて、おもてとし内心には他力の信心をふかくたくはへて、
世間の仁義をもて本とすべし。
これすなはち當流にさだむるところの、おきてのをもむきなりとこゝろうべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:文明六年二月十七日書之
:::《意訳》
そも{{ku}}{{r|当流|たうりう}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}{{r|信心|しんじん}}の{{r|趣|しゅ}}{{r|意|い}}をよく{{r|聴|ちやう}}{{r|聞|もん}}して、それを{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}した{{r|人|ひと}}は、その{{r|信心|しんじん}}のとほりを{{r|心|こころ}}の{{r|底|そこ}}におさめおいて、{{r|決|けつ}}して{{r|他|た}}{{r|宗|しう}}{{r|他|た}}{{r|人|にん}}に{{r|対|たい}}して、とやかうと{{r|沙汰|さた}}をしてはなりませぬ。また{{r|路次|ろじ}}や{{r|大道|たいだう}}や、われ{{ku}}の{{r|在所|ざいしよ}}などでも、{{r|人前|ひとまへ}}をも{{r|憚|はゞか}}らず、あらはに、それを{{r|讃嘆|さんだん}}してはなりませぬ。
{{r|次|つぎ}}に{{r|守|しゆ}}{{r|護|ご}}や{{r|地|ぢ}}{{r|頭|とう}}などに{{r|対|たい}}して、{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}は{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|え}}たからというて、{{r|粗|そ}}{{r|略|りやく}}な{{r|態|たい}}{{r|度|ど}}をふるまふやうなことはなく ます{{ku}}{{r|公事|くじ}}{{註|おほやけごと}}を十{{r|分|ぶん}}におつとめなさい。
また{{r|諸|もろ{{ku}}}}の{{r|神|かみ}}・{{r|諸|もろ{{ku}}}}の{{r|仏|ぶつ}}・{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}{{r|等|たう}}をおろそかにしてはなりませぬ。この{{r|諸神|しよじん}}{{r|諸|しよ}}{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}{{r|等|たう}}はみな{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}のうちに、こもつて{{r|居|ゐ}}られるからであります。
ことに、{{r|外|ほか}}にはよく{{r|王法|わうほふ}}を{{r|遵|じゆん}}{{r|奉|ほう}}し、{{r|内心|ないしん}}には、{{r|深|ふか}}く{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}をたくはへて、{{r|世|せ}}{{r|間|けん}}の{{r|仁|じん}}{{r|義|ぎ}}を{{r|本|もと}}としなさい。
これが、すなはち{{r|当流|たうりう}}に{{r|定|さだ}}められてある{{r|掟|おきて}}の{{r|趣|しゅ}}{{r|意|い}}であると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ねばなりませぬ。あなかしこ{{ku}}。
:{{r|[[w:文明 (日本)|文明]]|ぶんめい}}六{{r|年|ねん}}二{{r|月|ぐわつ}}十七{{r|日|にち}}これを{{r|書|か}}く。
==<b>二</b> (五の一)==
:::《原文》
末代無智の在家止住の男女たらんともからは、こゝろをひとつにして阿弥陀仏を、ふかくたのみまいらせてさらに餘のかたへ、こゝろをふらず、一心一向に仏たすけたまへとまうさん衆生をば、たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来は、すくひましますべし。これすなはち第十八の念仏往生の誓願のこゝろなり。
かくのごとく決定しての、うへには、ねても、さめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
{{r|末|すゑ}}の{{r|代|よ}}に{{r|眞|まこと}}の{{r|智慧|ちゑ}}なく、{{r|在|ざい}}{{r|家|け}}に{{r|止住|とゞま}}れる{{r|男女|なんによ}}の{{r|人々|ひと{{gu}}}}は、こゝろをを一にして、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}を{{r|深|ふか}}く{{r|恃|たの}}みにし、すこしも{{r|餘|ほか}}の{{r|方|はう}}へ、こゝろをそらさず、たゞ一{{r|心|しん}}一{{r|向|かう}}に{{r|仏|ぶつ}}{{r|助|たす}}けたまへと、おまかせまうす{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}であれば、たとひ{{r|罪業|つみ}}はいかほど{{r|深|ふか}}からうとも{{r|重|おも}}からうとも、{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}は、かならずお{{r|救|すく}}ひくださるのであります。これがすなはち{{r|第|だい}}十八の{{r|念仏|ねんぶつ}}{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}の{{r|誓|せい}}{{r|願|ぐわん}}の{{r|意|こゝろ}}であります。
かやうに{{r|心|こゝろ}}のなかに{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}したうへからは、{{r|寝|ね}}ても{{r|覚|さ}}めても{{r|命|いのち}}のあるかぎりは、{{r|称名|しようみやう}}{{r|念仏|ねんぶつ}}を{{r|相続|さうぞく}}すべきものであります。あなかしこ{{ku}}。
==<b>三</b> (五の二)==
:::《原文》
それ八萬の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とすす{{sic}}。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも後世をしるを智者とすといへり。
しかれば當流のこゝろは、あながちに、もろ{{ku}}の聖教をよみ、ものをしりたりといふとも、一念の信心のいはれを、しらざる人は、いたづら事なりとしるべし。
されば、聖人の御ことばにも、一切の男女たらん身は、弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるといふ事あるべからずと、おほせられたり。
このゆへに、いかなる女人なりといふとももろ{{ku}}の雑業をすてゝ、一念に、弥陀如来今度の後生たすけたまへと、ふかくたのみ申さん人は、十人も百人も、みなともに、弥陀の報土に往生すべき事さら{{ku}}、うたがひあるべからざるものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
「それ、八{{r|萬|まん}}の{{r|法門|ほふもん}}に{{r|通|つう}}じてゐる{{r|者|もの}}でも、もし{{r|後世|ごせ}}に{{r|就|つ}}いて{{r|決着|きまり}}がなければ、{{r|愚|ぐ}}{{r|者|しや}}であり、たとひ一{{r|文|もん}}一{{r|句|く}}を{{r|知|し}}らぬ{{r|尼|あま}}{{r|入道|にふだう}}であつても、{{r|後世|ごせ}}に{{r|就|つ}}いて{{r|決着|きまり}}のついてゐるものは、{{r|眞|まこと}}の{{r|智|ち}}{{r|者|しや}}であります」と{{r|申|まう}}されてあります。
されば{{r|当流|たうりう}}の{{r|意|こゝろ}}では、しひて、いろ{{ku}}の{{r|聖|しやう}}{{r|教|けう}}を{{r|読|よ}}み、{{r|物識|ものしり}}になつたとて、もし一{{r|念|ねん}}の{{r|信心|しんじん}}の{{r|謂|いは}}れを{{r|知|し}}らなければ、{{r|所詮|しよせん}}{{r|何|なに}}の{{r|役|やく}}にもたゝぬと{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}なさい。
すでに{{r|御|ご}}{{r|開山|かいさん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}のお{{r|言|こと}}{{r|葉|ば}}にも、「一{{r|切|さい}}の{{r|男|をとこ}}たり{{r|女|をんな}}たる{{r|身|み}}は、いやしくも{{r|弥陀|みだ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}を{{r|信|しん}}ぜぬやうでは、{{r|少|すこ}}しも{{r|助|たす}}かるといふことはありません」と{{r|仰|あふ}}せられてあります。
それゆゑ、たとひどのやうな{{r|女|をんな}}であらうとも、もろ{{ku}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}を{{r|棄|す}}てゝ、一{{r|念|ねん}}に、{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}が{{r|今|こん}}{{r|度|ど}}の{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}を、お{{r|助|たす}}けくださることゝ{{r|深|ふか}}く{{r|恃|たの}}みにする{{r|人|ひと}}は、たとひ十{{r|人|ひと}}であらうと、百{{r|人|にん}}であらうと、みなともに{{r|弥陀|みだ}}の{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}させていたゞくことは、{{r|少|すこ}}しも{{r|疑|うたが}}ひのあらうわけはありません。あなかしこ{{ku}}。
==<b>四</b> (五の四)==
:::《原文》
抑、男子も女人も、罪のふかゝらん、ともがらは、諸仏の悲願をたのみても、いまの時分は、末代悪世なれば諸仏の御ちからにては中々かなはざる時なり。
これによりて阿弥陀如来と申奉るは、諸仏にすぐれて、十悪五逆の罪人を、我たすけんといふ大願をおことまし{{ku}}て、阿弥陀仏となり給へり。
この仏をふかくたのみて、一念御たすけ候へと申さん衆生を、我たすけずば、正覚ならじと、ちかひまします弥陀なれば、我等が極楽に往生せん事は、更にうたがひなし。
このゆへに、一心一向に、阿弥陀如来たすけ給へと、ふかく心にうたがひなく信じて、我身の罪のふかき事をば、うちすて仏にまかせまいらせて、一念の信心さだまらん輩は、十人は十人ながら、百人は百人ながら、みな浄土に往生すべき事、さらにうたがひなし。
このうへには、なを{{ku}}たふとくおもひ、たてまつらん、こゝろのおこらん時は、南無阿弥陀仏{{ku}}と、時をもいはず、ところをもきらはず、念仏申べし。これをすなはち仏恩報謝の念仏と申なり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
そも{{ku}}{{r|男|をとこ}}でも{{r|女|をんな}}でも、{{r|罪|つみ}}の{{r|深|ふか}}い{{r|人々|ひと{{gu}}}}は、たとひ{{r|諸仏|しよぶつ}}が{{r|慈悲|じひ}}{{r|心|しん}}によつて{{r|起|おこ}}された{{r|誓|せい}}{{r|願|ぐわん}}にすがつても、{{r|今|いま}}の{{r|世|よ}}は{{r|末代|まつだい}}であり、{{r|悪|あく}}{{r|世|せ}}でありますから、とても{{r|諸仏|しよぶつ}}のお{{r|力|ちから}}では{{r|御|お}}{{r|助|たす}}け{{r|下|くだ}}さることの{{r|出来|でき}}ない{{r|時|とき}}であります。
これによつて、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}と{{r|申|まう}}すお{{r|方|かた}}は、{{r|諸仏|しよぶつ}}よりも{{r|御|お}}{{r|勝|すぐ}}れなされて、十{{r|悪|あく}}・五{{r|逆|ぎやく}}の{{r|罪人|ざいにん}}を、{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}が{{r|助|たす}}けてやらうと{{r|云|い}}ふ{{r|廣|くわう}}{{r|大|だい}}な{{r|誓|せい}}{{r|願|ぐわん}}をお{{r|立|た}}てなされて、{{r|終|つひ}}に{{r|阿弥陀|あみだ}}と{{r|云|い}}ふ{{r|仏|ほとけ}}になりたまうたのであります。
この{{r|仏|ぶつ}}を{{r|深|ふか}}く{{r|恃|たの}}みにして、一{{r|心|しん}}にお{{r|助|たす}}け{{r|候|さふら}}へと、おまかせまうす{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を、もし{{r|助|たす}}けられぬやうなら、{{r|決|けつ}}して{{r|正覚|さとり}}は{{r|成|じやう}}{{r|就|じゆ}}すまいとお{{r|誓|ちか}}ひなされてゐらせられるお{{r|方|かた}}でありますから、われ{{ku}}が{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}させていたゞくことは、{{r|何|なん}}{{r|等|ら}}{{r|疑|うたが}}ひはありません。
それゆゑ、たゞ{{ku}}{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}がお{{r|助|たす}}けくださることゝ{{r|深|ふか}}く{{r|心|こゝろ}}に{{r|疑|うたが}}ひなく{{r|信|しん}}じて、わが{{r|身|み}}の{{r|罪|つみ}}の{{r|深|ふか}}いことは、とやかうと{{r|勝|かつ}}{{r|手|て}}のはからひをせず、{{r|全|まつた}}く{{r|仏|ほとけ}}にお{{r|任|まか}}せ{{r|申|まう}}して、一{{r|念|ねん}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}する{{r|人々|ひと{{gu}}}}は、十{{r|人|にん}}は十{{r|人|にん}}ながら、百{{r|人|にん}}は百{{r|人|にん}}ながら、みなこと{{gu}}く{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}することは、さら{{ku}}{{r|疑|うたが}}ひはないのであります。
このうへには、なほ{{ku}}{{r|感|かん}}{{r|喜|き}}の{{r|情|こゝろ}}の{{r|起|おこ}}つたときは、{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}{{ku}}と、{{r|時|とき}}をえらばず、{{r|處|ところ}}をきらはず{{r|念仏|ねんぶつ}}を{{r|申|まう}}しなさい。これを{{r|仏恩|ぶつおん}}{{r|報謝|はうしや}}の{{r|念仏|ねんぶつ}}と{{r|申|まう}}すのであります。あなかしこ{{ku}}。
==<b>五</b> (五の五)==
:::《原文》
信心獲得すといふは第十八の願をこゝろ、うるなり。この願を、こゝろうるといふは、南無阿弥陀仏の、すがたをこゝろうるなり。
このゆへに、南無と帰命する一念の處に、発願廻向のこゝろあるべし。これすなはち弥陀如来の、凡夫に廻向しましますこゝろなり。これを大經には、令諸衆生功徳成就ととけり。されば、無始以来つくりとつくる悪業煩悩をのこるところもなく願力の不思議をもて、消滅するいはれ、あるがゆへに、正定聚不退のくらゐに住すとなりこれによりて煩悩を断ぜずして涅槃をうといへるは、このこゝろなり。
此義は當流一途の所談なるものなり。他流の人に對して、かくのごとく沙汰あるべからざる所なり。能々こゝろうべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
{{r|信心|しんじん}}を{{r|獲|ぎやく}}{{r|得|とく}}するといふことは、{{r|第|だい}}十八の{{r|願|ぐわん}}を{{r|心|こゝろ}}{{r|得|う}}ることであります。その{{r|第|だい}}十八の{{r|願|ぐわん}}を{{r|心|こゝろ}}{{r|得|う}}るといふのはつまり{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}のすがたを{{r|心|こゝろ}}{{r|得|う}}ることであります。
それゆゑ{{r|南無|なも}}と{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}する一{{r|念|ねん}}のところに、{{r|発|ほつ}}{{r|願|ぐわん}}{{r|廻|ゑ}}{{r|向|かう}}と{{r|云|い}}ふこゝろがあります。これがすなはち、{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}が{{r|凡|ぼん}}{{r|夫|ぶ}}に{{r|廻|ゑ}}{{r|向|かう}}してくださるこゝろであります。これを『{{r|大|だい}}{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|経|きやう}}』には「{{r|諸|もろ{{ku}}}}の{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}をして{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}を{{r|成|じやう}}{{r|就|じゆ}}せしむ」と{{r|説|と}}かれてあります。そこで{{r|無始|むし}}{{r|以|い}}{{r|来|らい}}、{{r|造|つく}}りに{{r|造|つく}}つた{{r|無|む}}{{r|数|すう}}の{{r|悪業|あくごふ}}{{r|煩悩|ぼんなう}}を、{{r|残|のこ}}るところもなく、{{r|不思議|ふしぎ}}な{{r|誓願|ちかひ}}のお{{r|力|ちから}}を{{r|以|も}}て{{r|消|けし}}{{r|滅|ほろぼ}}してくださるいはれがありますから、{{r|正定|しやうじやう}}{{r|聚|じゆ}}{{r|不|ふ}}{{r|退|たい}}のくらゐに{{r|住|ぢゆう}}すといふのであります。また「{{r|煩悩|ぼんなう}}を{{r|断|だん}}ぜずして{{r|涅|ね}}{{r|槃|はん}}を{{r|得|う}}」と{{r|申|まを}}されたのも、おなじく、これを{{r|指|さ}}したのであります。
この{{r|義|ぎ}}は、{{r|当流|たうりう}}の{{r|間|あひだ}}だけで{{r|話|はな}}しあふべきことであつて、{{r|他|た}}{{r|流|りう}}の{{r|人|ひと}}に{{r|対|たい}}しては、{{r|決|けつ}}してかやうに{{r|吹|ふゐ}}{{r|聴|ちやう}}してはならぬことであります。よく{{ku}}{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ねばなりませぬ。あなかしこ{{ku}}。
==<b>六</b> (五の六)==
:::《原文》
一念に弥陀をたのみたてまつる行者には無上大利の功徳を、あたへたまふこゝろを、私讃に聖人のいはく。
五濁悪世の有情の、選擇本願信ずれば、不可稱不可説不可思議の功徳は行者の身にみてり。
この和讃の心は、五濁悪世の衆生といふは一切我等、女人悪人の事なり。されば、かゝるあさましき一生造悪の凡夫なれども、弥陀如来を、一心一向に、たのみまいらせて、後生たすけ給へと、まうさんものをば、かならず、すくひましますべきこと、さらに疑べからず。
かやうに、弥陀をたのみまうすものには、不可稱不可説不可思議の、大功徳をあたへましますなり。不可稱不可説不可思議の功徳といふことは、かずかぎりもなき、大功徳のことなり。この大功徳を一念に弥陀をたのみまうす我等衆生に、廻向しましますゆへに、過去未来現在の、三世の業障、一時につみきえて、正定聚のくらゐ、また等正覚のくらゐなんどに、さだまるものなり。
このこゝろを、また和讃にいはく、弥陀の本願信ずべし本願信ずるひとはみな、摂取不捨の利益ゆへ、等正覚にいたるなりといへり。摂取不捨といふも、これも一念に弥陀を、たのみたてまつる衆生を光明のなかにおさめとりて、信ずるこゝろだにも、かはらねば、すてたまはずと、いふこゝろなり。
このほかに、いろいろの法門どもありといへども、たゞ一念に弥陀をたのむ衆生は、みなこと{{gu}}く報土に往生すべきこと、ゆめゆめ、うたがふこゝろあるべからざるものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
一{{r|念|ねん}}に{{r|弥陀|みだ}}を{{r|恃|たの}}みにする{{r|行|ぎやう}}{{r|者|しや}}には、このうへもない{{r|廣|くわう}}{{r|大|だい}}な{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}{{r|利|り}}{{r|益|やく}}を{{r|與|あた}}へてくださるこゝろを、{{r|親鸞|しんらん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}は『{{r|和|わ}}{{r|讃|さん}}』に、
:{{r|五|ご}}{{r|濁|ぢよく}}{{r|悪|あく}}{{r|世|せ}}の{{r|有|う}}{{r|情|ぢやう}}の、{{r|選|せん}}{{r|択|ぢやく}}{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|信|しん}}ずれば、{{r|不可|ふか}}{{r|称|しやう}}・{{r|不可|ふか}}{{r|説|せつ}}・{{r|不可思議|ふかしぎ}}の、{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}は{{r|行|ぎやう}}{{r|者|しや}}の{{r|身|み}}に{{r|満|み}}てり。
と{{r|述|の}}べられてあります。
この『{{r|和|わ}}{{r|讃|さん}}』のこゝろは、「{{r|五|ご}}{{r|濁|ぢよく}}{{r|悪|あく}}{{r|世|せ}}の{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}」といふのは、一{{r|切|さい}}のわれら{{r|女人|によにん}}・{{r|悪人|あくにん}}のことであります。すれば、かゝるあさましい一{{r|生|しやう}}{{r|罪悪|ざいあく}}を{{r|造|つく}}りどほしの{{r|凡|ぼん}}{{r|夫|ぶ}}であつても、たゞ{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}を一{{r|心|しん}}一{{r|向|かう}}に{{r|恃|たの}}みにして{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}を{{r|助|たす}}けたまへとたのみまうすものをば、{{r|必|かなら}}ずお{{r|救|すく}}ひ{{r|下|くだ}}さることは、{{r|少|すこ}}しも{{r|疑|うたが}}ふべきではありません。
かやうに{{r|弥陀|みだ}}を{{r|恃|たの}}みにするものには、{{r|不可|ふか}}{{r|称|しやう}}・{{r|不可|ふか}}{{r|説|せつ}}・{{r|不可思議|ふかしぎ}}の{{r|廣|くわう}}{{r|大|だい}}な{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}を{{r|與|あた}}へてくださるのであります。{{r|不可|ふか}}{{r|称|しやう}}・{{r|不可|ふか}}{{r|説|せつ}}・{{r|不可思議|ふかしぎ}}の{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}といふのは、{{r|数|かず}}かぎりもない{{r|廣|くわう}}{{r|大|だい}}な{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}のことであります。この{{r|廣|くわう}}{{r|大|だい}}な{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}を、一{{r|心|しん}}に{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}を{{r|恃|たの}}みにする{{r|我|われ}}{{r|等|ら}}{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}に{{r|廻|ゑ}}{{r|向|かう}}して{{r|下|くだ}}さるのでありますから、{{r|我|われ}}{{r|等|ら}}{{r|過|くわ}}{{r|去|こ}}・{{r|現在|げんざい}}・{{r|未|み}}{{r|来|らい}}の三{{r|世|せ}}の{{r|業|ごふ}}{{r|障|しやう}}が一{{r|時|じ}}に{{r|消|き}}え{{r|去|さ}}つて、{{r|正定|しやうじやう}}{{r|聚|じゆ}}のくらゐまたは{{r|等|とう}}{{r|正|しやう}}{{r|覚|がく}}のくらゐなどに{{r|定|さだ}}まるのであります。
このこゝろを、また『{{r|和|わ}}{{r|讃|さん}}』に、
:{{r|弥陀|みだ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|信|しん}}ずべし{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|信|しん}}ずるひとはみな、{{r|摂取|せつしゆ}}{{r|不|ふ}}{{r|捨|しや}}の{{r|利|り}}{{r|益|やく}}ゆへ、{{r|等|とう}}{{r|正|しやう}}{{r|覚|がく}}にいたるなり。
と{{r|述|の}}べられてあります。「{{r|摂取|せつしゆ}}{{r|不|ふ}}{{r|捨|しや}}」といふのは、これも一{{r|心|しん}}に、{{r|弥陀|みだ}}を{{r|恃|たの}}みにする{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を、{{r|光明|くわうみやう}}の{{r|中|なか}}に{{r|摂|おさ}}め{{r|取|と}}つて、{{r|信|しん}}ずる{{r|心|こゝろ}}が{{r|変|かは}}らないから、{{r|決|けつ}}して{{r|見|み}}{{r|捨|す}}てたまはぬといふこゝろであります。
このほかに、いろ{{ku}}な{{r|法門|ほふもん}}などもありますが、{{r|要|えう}}するに、たゞ一{{r|心|しん}}に{{r|弥陀|みだ}}を{{r|恃|たの}}みにする{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}は、みなこと{{gu}}く{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}させてもらふと{{r|云|い}}ふことは{{r|決|けつ}}して{{ku}}{{r|疑|うたが}}ふ{{r|心|こゝろ}}があつてはならぬのであります。あなかしこ{{ku}}。
==<b>七</b> (五の八)==
:::《原文》
それ五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、たゞ我等一切衆生を、あながちに、たすけ給はんがための方便に、阿弥陀如来御身労ありて、南無阿弥陀仏といふ本願をたてまし{{ku}}て、まよひの衆生の、一念に阿弥陀仏をたのみまいらせて、もろ{{ku}}の雑行をすてゝ、一心一向に弥陀をたのまん衆生を、たすけずんば、われ正覚ならじと、ちかひ給ひて、南無阿弥陀仏となりまします。これすなはち我等が、やすく極楽に往生すべきいはれなりとしるべし。
されば、南無阿弥陀仏の六字のこゝろは、一切衆生の報土に往生すべきすがたなり。このゆへに、南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏の、我等をたすけたまへるこゝろなり。このゆへに南無の二字は衆生の弥陀如来に、むかひたてまつりて、後生たすけたまへと、まうすこゝろなるべし。かやうに、弥陀をたのむ人を、もらさず、すくひたまふこゝろこそ阿弥陀仏の四字のこゝろにてありけりと、おもふべきものなり。
これによりて、いかなる十悪五逆、五障三従の女人なりとも、もろ{{ku}}の雑行をすてゝひたすら後生たすけたまへと、まうさん人をば、十人もあれ、百人もあれ、みなことごとく、もらさず、たすけたまふべし。
このをもむきを、うたがひなく信ぜん輩は眞實の弥陀の浄土に、往生すべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
それ五{{r|劫|こふ}}の{{r|間|あひだ}}{{r|御|ご}}{{r|思|し}}{{r|惟|ゆゐ}}{{r|下|くだ}}されて{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}を{{r|御建|おた}}てなされたと{{r|云|い}}ふのも、{{r|兆載|てうさい}}{{r|永劫|えいこふ}}の{{r|間|あひだ}}{{r|御|ご}}{{r|修|しう}}{{r|行|ぎやう}}{{r|下|くだ}}されたと{{r|云|い}}ふのも、{{r|畢|ひつ}}{{r|竟|きやう}}{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}が、われら一{{r|切|さい}}{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を{{r|必|かなら}}ずお{{r|助|たす}}けくださるための{{r|方便|てだて}}に、みづから{{r|御|ご}}{{r|身労|しんらう}}あらせられて、{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}といふ{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|即|すなは}}ち{{r|第|だい}}十八{{r|願|ぐわん}}をおたてになり、{{r|迷|まよ}}うてゐる{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}が、一{{r|念|ねん}}に{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}を{{r|恃|たの}}みにして、{{r|諸|もろ{{ku}}}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}を{{r|捨|す}}てゝ、たゞ一{{r|向|かう}}一{{r|心|しん}}に{{r|弥陀|みだ}}をたのみにする{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を{{r|助|たす}}けないなら、われは{{r|正覚|さとり}}を{{r|取|と}}るまいとお{{r|誓|ちか}}ひあそばされて{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}といふ{{r|仏|ほとけ}}とならせられたのであります。これが{{r|取|とり}}もなほさず、{{r|我|われ}}{{r|等|ら}}が{{r|容|よう}}{{r|易|い}}に{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}することが{{r|出来|でき}}るいはれであると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}るがよろしい。
すれば{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}のこゝろは、{{r|詮|せん}}ずるところ、一{{r|切|さい}}{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}が{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}すべきすがたであります。それゆゑ{{r|南無|なも}}と{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}すれば、すぐに{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}が{{r|我|われ}}{{r|等|ら}}をお{{r|助|たす}}け{{r|下|くだ}}さると{{r|云|い}}ふこゝろであります。それゆゑ{{r|南無|なも}}の二{{r|字|じ}}は、{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}が{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}にむかひたてまつつて、{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}を{{r|助|たす}}けて{{r|下|くだ}}さることゝおまかせまうすこゝろであります。かやうに{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}を{{r|恃|たの}}みにする{{r|人|ひと}}を、もらさずお{{r|救|すく}}ひくださるこゝろが、すなはち{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の四{{r|字|じ}}のこゝろであると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ねばなりません。
これによつて、{{r|如何|いか}}なる十{{r|悪|あく}}・五{{r|逆|ぎやく}}・五{{r|障|しやう}}・三{{r|従|しやう}}の{{r|女人|によにん}}であつても、もろ{{ku}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}をふり{{r|棄|す}}てゝ、一{{r|心|しん}}に{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}をお{{r|助|たす}}けくだされと、お{{r|任|まか}}せする{{r|人|ひと}}をば、たとへば十{{r|人|にん}}でも百{{r|人|にん}}でも、みなこと{{gu}}く、もらさず{{r|助|たす}}けて{{r|下|くだ}}さるのであります。
この{{r|趣|しゆ}}{{r|意|い}}を{{r|疑|うたが}}はずに、よく{{r|信|しん}}ずる{{r|人々|ひと{{gu}}}}は、{{r|必|かなら}}ず{{r|真実|まこと}}の{{r|弥陀|みだ}}の{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}させていたゞくことが{{r|出来|でき}}るのであります。あなかしこ{{ku}}。
==<b>八</b> (五の九)==
:::《原文》
當流の安心の一義といふは、南無阿弥陀仏の六字のこゝろなり。
たとへば、南無と帰命すれば、やがて阿弥陀仏のたすけたまへるこゝろなるがゆへに南無の二字は、帰命のこゝろなり。帰命といふは、衆生のもろ{{ku}}の雑行をすてゝ、阿弥陀仏、後生たすけたまへと、一向にたのみたてまつるこゝろなるべし。このゆへに、衆生をもらさず、弥陀如来の、よくしろしめして、たすけましますこゝろなり。
これによりて、南無とたのむ衆生を、阿弥陀仏の、たすけまします道理なるがゆへに、南無阿弥陀仏の六字のすがたは、すなはち、われら一切後生の、平等にたすかりつるすがたなりと、しらるゝなり。されば他力の信心をうるといふも、これしかしながら南無阿弥陀仏の六字のこゝろなり。
このゆへに、一切の聖教といふも、たゞ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなりといふこゝろなりと、おもふべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
{{r|当流|たうりう}}の{{r|安心|あんじん}}の一{{r|義|ぎ}}といふのは、たゞ{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}のおこゝろであります。
{{r|手|て}}{{r|近|ぢか}}く{{r|言|い}}へば、{{r|南無|なも}}と{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}すれば、すぐに{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}が、お{{r|助|たす}}けくださるわけでありますから、{{r|南無|なも}}の二{{r|字|じ}}は、{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}のこゝろであります。{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}と{{r|云|い}}ふのは、{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}が、もろ{{ku}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}を{{r|棄|す}}てゝ、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}が{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}をお{{r|助|たす}}けくださることゝ、一{{r|途|づ}}に{{r|恃|たの}}みにするこゝろであります。それゆゑ、かういふ{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}をよくしろしめされて、{{r|一|いつ}}{{r|人|り}}ももらさず{{r|助|たす}}けてくださるのが、すなはち{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}と{{r|云|い}}ふいはれであります。
これによつて、{{r|南無|なも}}と{{r|恃|たの}}む{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}が{{r|助|たす}}けて{{r|下|くだ}}さるわけでありますから、{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}のすがたは、われ{{ku}}一{{r|切|さい}}{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}がみな{{r|平|びやう}}{{r|等|どう}}に{{r|助|たす}}けていたゞけるすがただといふことが{{r|了|りやう}}{{r|解|かい}}されます。すれば{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|う}}ると{{r|云|い}}ふのも、つゞまるところは、{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}のこゝろであります。
それゆゑ一{{r|切|さい}}の{{r|聖|しやう}}{{r|教|けう}}も、{{r|畢|ひつ}}{{r|竟|きやう}}{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}を{{r|信|しん}}ぜさせるためのものであると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ねばなりませぬ。あなかしこ{{ku}}。
==<b>九</b> (五の一〇)==
:::《原文》
聖人一流の御勧化のをもむきは、信心をもて本とせられ候。
そのゆへは、もろもろの雑行をなげすてゝ一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより、往生は治定せしめたまふ。
そのくらゐを、一念発起入正定之聚とも釈し、そのうへの称名念仏は、如来わが往生をさだめたまひし御恩報盡の念仏と、こゝろうべきなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
{{r|御|ご}}{{r|開山|かいさん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}一{{r|流|りう}}の{{r|御|ご}}{{r|勧|くわん}}{{r|化|け}}の{{r|趣|しゆ}}{{r|意|い}}は、{{r|信心|しんじん}}を{{r|以|も}}て{{r|本|もと}}とされてあります。
そのわけは、{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}がもろ{{ku}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}をなげすてゝたゞ一{{r|心|しん}}に{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}におまかせまうしたなら、{{r|不可思議|ふかしぎ}}の{{r|願|ぐわん}}{{r|力|りき}}によつて、{{r|仏|ぶつ}}の{{r|方|はう}}から{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}をば、{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}させてくだされます。
その{{r|位|くらゐ}}をば{{r|曇鸞|どんらん}}{{r|大|だい}}{{r|師|し}}は「一{{r|念|ねん}}の{{r|信|しん}}を{{r|発|ほつ}}{{r|起|き}}すれば、{{r|正定|しやうぢやう}}の{{r|聚|じゆ}}は{{r|入|い}}る」と{{r|釈|しやく}}せられてあります。{{r|而|そ}}して、そのうへの{{r|称名|しようみやう}}{{r|念仏|ねんぶつ}}は、{{r|如来|によらい}}が、われ{{ku}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を{{r|定|さだ}}めてくださつた{{r|御|ご}}{{r|恩|おん}}を{{r|報謝|はうしや}}する{{r|念仏|ねんぶつ}}であると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ねばなりません。あなかしこ{{ku}}。
==<b>一〇</b> (五の一一)==
:::《原文》
抑、この御正忌のうちに参詣をいたし、こゝろざしをはこび、報恩謝徳を、なさんとおもひて、聖人の御まへに、まいらんひとのなかにおいて、信心の獲得せしめたる、ひともあるべし。また不信心のともがらもあるべし。もてのほかの大事なり。
そのゆへは、信心を決定せずば、今度の報土の往生は不定なり。されば不信のひとも、すみやかに決定のこゝろをとるべし。人間は不定のさかひなり、極楽は常住の國なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがふべきものなり。
されば當流には、信心のかたをもて、さきとせられたる、そのゆへを、よくしらずば、いたづらごとなり。いそぎて安心決定して浄土の往生をねがふべきなり。
それ、人間に流布して、みな人の、こゝろえたるとほりは、なにの分別もなく、くちにたゞ稱名ばかりを、となへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。それは、おほきに、おぼつかなき次第なり。
他力の信心をとるといふも、別のことにあらず。南無阿弥陀仏の六の字のこゝろを、よくしりたるをもて、信心決定すとはいふなり。
そも{{ku}}信心の體といふは、經にいはく聞其名號、信心歓喜といへり。善導のいはく、南無といふは、帰命、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふは、すなはちその行といへり。南無といふ二字のこゝろは、もろもろの雑行をすてゝ、うたがひなく、一心一向に、阿弥陀仏を、たのみたてまつるこゝろなり。さて阿弥陀仏といふ四の字のこゝろは、一心に阿弥陀を帰命する衆生を、やうもなくたすけたまへるいはれが、すなはち阿弥陀仏の四の字のこゝろなり。されば、南無阿弥陀仏の體を、かくのごとくこゝろえわけたるを、信心をとるとはいふなり。
これすなはち他力の信心を、よくこゝろえたる念仏の行者とはまうすなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
そも{{ku}}、この{{r|御|ご}}{{r|正|しやう}}{{r|忌|き}}のうちに{{r|参詣|さんけい}}して、{{r|聞法|もんほふ}}の{{r|志|こころざし}}をはこび、{{r|報恩|はうおん}}{{r|謝徳|しやとく}}をなさうと{{r|思|おも}}うて、{{r|御|ご}}{{r|開山|かいさん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|御|ご}}{{r|眞影|しんえい}}のみまへに、まゐる{{r|人|ひと}}のなかには、すでに{{r|信心|しんじん}}を{{r|獲|ぎやく}}{{r|得|とく}}した{{r|人|ひと}}もあるであらうし、まだ{{r|獲|ぎやく}}{{r|得|とく}}せぬ{{r|人|ひと}}もあるであらう。これは{{r|実|じつ}}にうちすてゝおけぬ{{r|大事|おほごと}}であります。
そのわけは、{{r|信心|しんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}しなくては、{{r|此度|このたび}}、{{r|報|はう}}{{r|土|ど}}へ{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}することは、{{r|覚束|おぼつか}}ないからであります。されば{{r|不|ふ}}{{r|信心|しんじん}}の{{r|人|ひと}}ははやく、しかと{{r|信心|しんじん}}をいたゞかねばなりません。{{r|元|ぐわん}}{{r|来|らい}}、{{r|人間|にんげん}}の{{r|世|せ}}{{r|界|かい}}は{{r|不|ふ}}{{r|定|ぢやう}}の{{r|境|きやう}}{{r|界|がい}}であり、{{r|極楽|ごくらく}}は{{r|常住|じやうぢゆう}}の{{r|國|くに}}であります。してみれば、{{r|勿論|もちろん}}、{{r|何時|いつ}}どうなるか、わからぬ{{r|不|ふ}}{{r|定|ぢやう}}の{{r|人間|にんげん}}{{r|世|せ}}{{r|界|かい}}に{{r|執|しふ}}{{r|着|ぢやく}}して{{r|居|ゐ}}るよりも、{{r|常住|じやうぢゆう}}{{r|不|ふ}}{{r|変|へん}}の{{r|極楽|ごくらく}}を{{r|楽|ねが}}ふべきものであります。
されば、{{r|当流|たうりう}}において、{{r|信心|しんじん}}の{{r|方|はう}}を{{r|第|だい}}一の{{r|肝要|かんえう}}としてゐます。そのいはれをよく{{r|知|し}}らねば、{{r|何|なに}}の{{r|役|やく}}にもたゝぬことであります。{{r|急|いそ}}いで{{r|安心|あんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}して、{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}をねがはねばなりませぬ。
{{r|總|そう}}じて{{r|世|せ}}{{r|間|けん}}に{{r|弘|ひろ}}まつて{{r|居|ゐ}}る一{{r|般|ぱん}}の{{r|人々|ひと{{gu}}}}の{{r|考|かんが}}へでは、{{r|何|なに}}の{{r|理|り}}{{r|解|かい}}もなく、{{r|口|くち}}にたゞ{{r|称名|しようみやう}}だけを{{r|唱|とな}}へたなら、それではや{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}することが{{r|出来|でき}}るやうに{{r|思|おも}}うてゐますが、そんなことでは、なか{{ku}}{{r|覚束|おぼつか}}ない{{r|次|し}}{{r|第|だい}}であります。
{{r|他|た}}{{r|力|りき}}も{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|う}}るといふのも、{{r|別|べつ}}のことではありません。{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}のこゝろが、よくのみこめたところをさして、{{r|信心|しんじん}}が{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}したといふのであります。
{{r|大體|だいたい}}{{r|信心|しんじん}}の{{r|體|たい}}といふのは、『{{r|大|だい}}{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|経|きやう}}』には、「{{r|其|そ}}の{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}を{{r|聞|き}}いて{{r|信心|しんじん}}{{r|歓|くわん}}{{r|喜|ぎ}}す」と{{r|申|まう}}してあります。{{r|善導|ぜんだう}}{{r|大|だい}}{{r|師|し}}のお{{r|釈|しやく}}には、「{{r|南無|なも}}といふのは{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}で、また{{r|発|ほつ}}{{r|願|ぐわん}}{{r|廻|ゑ}}{{r|向|かう}}の{{r|義|ぎ}}であり、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}といふのは、すなはちその{{r|行|ぎやう}}である」と{{r|申|まう}}してあります。いはゆる{{r|南無|なも}}といふ二{{r|字|じ}}のこゝろは、もろ{{ku}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}を{{r|棄|す}}てゝ、{{r|疑|うたが}}ひなく一{{r|心|しん}}一{{r|向|かう}}に{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}を{{r|恃|たの}}みにさせていたゞくこゝろであります。また{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}といふ四{{r|字|じ}}のこゝろは一{{r|心|しん}}に{{r|弥陀|みだ}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}する{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を、{{r|何|なに}}の{{r|造|ざう}}{{r|作|さ}}もなくやす{{ku}}と、お{{r|助|たす}}けくださると{{r|云|い}}ふわけがらを{{r|云|い}}ふのであります。されば、{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の{{r|體|たい}}を、このやうに{{r|会|ゑ}}{{r|得|とく}}するところを{{r|指|さ}}して、{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|う}}ると{{r|申|まう}}すのであります。
このやうに、十{{r|分|ぶん}}{{r|会|ゑ}}{{r|得|とく}}の{{r|出来|でき}}た{{r|者|もの}}を{{r|指|さ}}して、{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}をよく{{r|全|まった}}うじた{{r|念仏|ねんぶつ}}の{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}と{{r|云|い}}ふのであります。あなかしこ{{ku}}。
==<b>一一</b> (五の一二)==
:::《原文》
當流の安心のをもむきを、くはしく、しらんと、おもはんひとはあながちに、智慧才覚もいらず。たゞ、わが身は、つみふかき、あさましきものなりと、おもひとりて、かゝる機までも、たすけたまへるほとけは、阿弥陀如来ばかりなりとしりて、なにのやうもなくひとすぢに、この阿弥陀ほとけの御袖に、ひしとすがり、まいらする、おもひをなして、後生をたすけたまへとたのみまうせば、この阿弥陀如来は、ふかくよろこびまし{{ku}}て、その御身より、八萬四千のおほきなる光明をはなちて、その光明のなかに、その人をおさめいれて、をきたまふべし。
されば、このこゝろを、經には光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨とは、とかれたりとこゝろうべし。
さては、わが身の、ほとけに、ならんずることは、なにのわづらひもなし。あら殊勝の超世の本願や、ありがたの弥陀如来の光明やこの光明の縁に、あひたてまつらずば、無始よりこのかたの、無明業障の、おそろしきやまひの、なほるといふことは、さらにもてあるべからざるものなり。
しかるに、この光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて、他力信心といふことをば、いますでにえたり。これしかしながら、弥陀如来の御かたより、さづけまし{{ku}}たる信心とは、やがて、あらはに、しられたり。かるがゆへに、行者のおこすところの信心にあらず、弥陀如来、他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。
これによりて、かたじけなくも、ひとたび他力の信心を、えたらん人は、みな弥陀如来の御恩をおもひはかりて、仏恩報謝のためにつねに称名念仏を、まうしたてまつるべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
{{r|当流|たうりう}}の{{r|安心|あんじん}}の{{r|趣|しゆ}}{{r|意|い}}を{{r|詳|くは}}しく{{r|知|し}}りたいと{{r|思|おも}}ふ{{r|人|ひと}}は、{{r|強|しひ}}て{{r|智慧|ちゑ}}{{r|才覚|さいかく}}がなければならぬと{{r|云|い}}ふわけではありません。たゞわが{{r|身|み}}は、{{r|罪|つみ}}の{{r|深|ふか}}い{{r|浅|あさ}}{{r|間|ま}}しいものであると{{r|思|おも}}うて、こんな{{r|機|もの}}までも、{{r|見捨|みす}}てずにお{{r|助|たす}}けくださる{{r|仏|ほとけ}}は、たゞ{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}ばかりであると{{r|信|しん}}じて、とやかうのおもひなく、一{{r|途|づ}}に、この{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}のお{{r|袖|そで}}に、ひしと、すがりまうす{{r|思|おもひ}}になつて、{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}は{{r|必|かなら}}ずお{{r|助|たす}}けくださることゝ{{r|恃|たの}}みにしたなら、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}は{{r|大層|たいそう}}{{r|御|ご}}{{r|満足|まんぞく}}あらせられて、その{{r|御|おん}}{{r|身|み}}から八萬四千の{{r|大|おほ}}きな{{r|光明|くわうみやう}}を{{r|放|はな}}つて、その{{r|光明|くわうみやう}}の{{r|中|なか}}へその{{r|人|ひと}}を{{r|摂|おさ}}め{{r|入|い}}れおきくださるのであります。
それで『{{r|観|くわん}}{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|経|きやう}}』の{{r|中|なか}}に「{{r|光明|くわうみやう}}{{r|遍|あまね}}く十{{r|方|ぱう}}の{{r|世|せ}}{{r|界|かい}}を{{r|照|てら}}し、{{r|念仏|ねんぶつ}}の{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}を{{r|摂|おさ}}め{{r|取|と}}りて、{{r|捨|す}}てたまはず」と{{r|説|と}}かれてありますのは、つまりこの{{r|意味|いみ}}であると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}るがよろしい。
かう{{r|云|い}}ふわけでありますから、{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}の{{r|身|み}}が{{r|仏|ほとけ}}にならせてもらふことは、{{r|何|なん}}の{{r|心配|しんぱい}}も{{r|造|ざう}}{{r|作|さ}}もいりませぬ。あゝ{{r|何|なん}}といふ{{r|殊|しゆ}}{{r|勝|しよう}}な{{r|世|よ}}に{{r|超|こ}}えすぐれた{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}でありませう。あゝ{{r|何|なん}}といふ{{r|有難|ありがた}}い{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|光明|くわうみやう}}でありませう。この{{r|光明|くわうみやう}}の{{r|縁|えん}}にめぐりあふことが{{r|出来|でき}}なかつたなら、{{r|無始|むし}}より{{r|以来|このかた}}の{{r|長々|なが{{ku}}}}の{{r|間|あひだ}}、{{r|無|む}}{{r|明|みやう}}の{{r|業障|さはり}}になやまされてゐた{{r|恐|おそ}}ろしい{{r|病|やまひ}}が{{r|癒|なほ}}るといふことは、{{r|決|けつ}}してないのであります。
{{r|然|しか}}るに、この{{r|光明|くわうみやう}}の{{r|縁|えん}}に{{r|誘|さそ}}ひ{{r|出|いだ}}され、{{r|宿|しゆく}}{{r|善|ぜん}}のひらけた{{r|機|もの}}には、いよ{{ku}}{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}と{{r|云|い}}ふことを、{{r|今|いま}}は、もはや{{r|得|え}}させて{{r|頂|いたゞ}}きました。これはみんな{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|方|はう}}から{{r|授|さづ}}けて{{r|下|くだ}}さつた{{r|信心|しんじん}}であると{{r|云|い}}ふことも{{r|同|どう}}{{r|時|じ}}に、はつきりと{{r|会|ゑ}}{{r|得|とく}}することが{{r|出来|でき}}ます。それで{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}が{{r|起|おこ}}したところの{{r|信心|しんじん}}ではなくて、{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}からたまはつた{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|大信心|だいしんじん}}であることが{{r|今|いま}}こそ{{r|明瞭|あきらか}}に{{r|知|し}}られたわけであります。
こんな{{r|訳|わけ}}で、{{r|忝|かたじけ}}なくも{{r|一度|ひとたび}}{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|獲|え}}た{{r|人|ひと}}はいづれも{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|御|ご}}{{r|恩|おん}}の{{r|廣|くわう}}{{r|大|だい}}なことを{{r|感|かん}}じて、その{{r|報謝|はうしや}}のために、つねに{{r|称名|しようみやう}}{{r|念仏|ねんぶつ}}をまうしあげねばなりませぬ。あなかしこ{{ku}}。
==<b>一二</b> (五の一三)==
:::《原文》
それ南無阿弥陀仏とまうす文字は、そのかず、わづかに六字なれば、さのみ効能のあるべきとも、おぼへざるに、この六字の名號のうちには、無上甚深の功徳利益の廣大なること、さらに、そのきはまり、なきものなり。されば、信心を、とるといふも、この六字のうちにこもれりと、しるべし。さらに、別に信心とて、六字のほかには、あるべからざるものなり。
抑、この南無阿弥陀仏の六字を、善導釈していはく、南無といふは、帰命なり、またこれ発願廻向の義なり。阿弥陀仏といふは、その行なり。この義をもてのゆへに、かならず往生することをうといへり。
しかれば、この釈のこゝろを、なにとこゝろうべきぞといふに、たとへば、我等ごときの悪業煩悩の身なりといふとも、一念に阿弥陀仏に帰命せば、かならず、その機を、しろしめして、たすけたまふべし。それ帰命といふは、すなはち、たすけたまへと、まうすこゝろなり。されば、一念に弥陀をたのむ衆生に無上大利の功徳を、あたへたまふを、発願廻向とはまうすなり。この発願廻向の、大善大功徳を、われら衆生にあたへましますゆへに無始曠劫よりこのかた、つくりをきたる悪業煩悩をば、一時に消滅したまふゆへに、われらが煩悩悪業は、こと{{gu}}くみなきへて、すでに正定聚、不退転なんどいふくらゐに住すとはいふなり。
このゆへに南無阿弥陀仏の六字のすがたは、われらが極楽に往生すべき、すがたをあらはせるなりと、いよ{{ku}}しられたるものなり。
されば安心といふも信心といふも、この名號の六字のこゝろを、よく{{ku}}こゝろうるものを、他力の大信心をえたるひとゝはなづけたり。かゝる殊勝の道理あるがゆへに、ふかく信じたてまつるべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
それ{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}とまうす{{r|文字|もじ}}は、その{{r|数|かず}}からいへば{{r|僅|わづか}}に六{{r|字|じ}}であるから、さほど{{r|効能|はたらき}}があらうとも{{r|思|おも}}はれませぬが、この六{{r|字|じ}}の{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}のうちには、このうへもない{{r|深|ふか}}い{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}や{{r|大|おほ}}きい{{r|利|り}}{{r|益|やく}}があるので、その{{r|程|てい}}{{r|度|ど}}にはまことに{{r|際限|さいげん}}がないのであります。されば、{{r|信心|しんじん}}をとるといふのも、つまりは、この六{{r|字|じ}}のうちに、こもつてゐると{{r|知|し}}らねばなりませぬ。さらに六{{r|字|じ}}{{r|以|い}}{{r|外|ぐわい}}には、{{r|別|べつ}}に{{r|信心|しんじん}}といふことはない{{r|筈|はず}}のものであります。
そも{{ku}}、この{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}を、{{r|善導|ぜんだう}}{{r|大|だい}}{{r|師|し}}は{{r|釈|しやく}}して、「{{r|南無|なも}}といふのは{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}のことで、また{{r|発|ほつ}}{{r|願|ぐわん}}{{r|廻|ゑ}}{{r|向|かう}}の{{r|義|ぎ}}であり、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}といふのは、その{{r|行|ぎやう}}のことであります。かく{{r|願|ぐわん}}と{{r|行|ぎやう}}とが{{r|具|ぐ}}{{r|足|そく}}してゐるいはれによつて、{{r|必|かなら}}ず{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}することが{{r|出来|でき}}る」と{{r|述|の}}べられました。
すれば、この{{r|善導|ぜんだう}}{{r|大|だい}}{{r|師|し}}のお{{r|釈|しやく}}のこゝろを、{{r|何|なに}}ととつてよいかといふのに、{{r|略|りやく}}して{{r|云|い}}へば、われ{{ku}}のやうな{{r|悪業|あくごふ}}{{r|煩悩|ぼんなう}}の{{r|身|み}}であつても、一{{r|心|しん}}に{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}すれば、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}は、きつとその{{r|機|もの}}をみそなはせられて、お{{r|助|たす}}けくださるのであります。{{r|元|ぐわん}}{{r|来|らい}}、{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}といふのはすなはち{{r|助|たす}}けたまへとおまかせ{{r|申|まう}}すこゝろであります。されば、一{{r|念|ねん}}に{{r|弥陀|みだ}}を{{r|恃|たの}}んだ{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}に、このうへもない{{r|廣|くわう}}{{r|大|だい}}な{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}を{{r|與|あた}}へてくださるのを、{{r|発|ほつ}}{{r|願|ぐわん}}{{r|廻|ゑ}}{{r|向|かう}}と{{r|申|まう}}すのであります。この{{r|発|ほつ}}{{r|願|ぐわん}}{{r|廻|ゑ}}{{r|向|かう}}の{{r|廣|くわう}}{{r|大|だい}}な{{r|善根|ぜんこん}}・{{r|功|く}}{{r|徳|どく}}をわれら{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}に{{r|與|あた}}へてくださるから、{{r|無始|むし}}{{r|曠|くわう}}{{r|劫|こふ}}よりこのかた{{r|造|つく}}りかさねておいた{{r|悪業|あくごふ}}{{r|煩悩|ぼんなう}}をば、一{{r|時|じ}}に{{r|消|け}}し{{r|滅|ほろぼ}}していたゞけますから、われらが{{r|煩悩|ぼんなう}}{{r|悪業|あくごふ}}、はこと{{gu}}くみな{{r|消|き}}え{{r|去|さ}}つて、{{r|既|すで}}に{{r|正定|しやうじやう}}{{r|聚|じゆ}}{{r|不|ふ}}{{r|退転|たいてん}}などゝいふくらゐに{{r|住|じゆう}}するといふのであります。
それゆゑ{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の六{{r|字|じ}}のすがたは、われらが{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}させて{{r|頂|いたゞ}}くすがたをあらはして{{r|居|ゐ}}るのであると、いよ{{ku}}{{r|知|し}}ることが{{r|出来|でき}}てまゐりました。
すれば{{r|安心|あんじん}}といふのも、{{r|信心|しんじん}}といふのも、{{r|別|べつ}}のことではなく、この{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}の六{{r|字|じ}}のこゝろを十{{r|分|ぶん}}{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}たものを{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|大信心|だいしんじん}}を{{r|得|え}}た{{r|人|ひと}}と{{r|名|な}}づけるのであります。かういふ{{r|殊|しゆ}}{{r|勝|しやう}}な{{r|道|だう}}{{r|理|り}}があるからして、{{r|深|ふか}}く{{r|信|しん}}じまうさねばならぬわけであります。あなかしこ{{ku}}。
==<b>一三</b> (五の一六)==
:::《原文》
夫、人間の浮生なる相をつら{{ku}}観ずるにおほよそ、はかなきものは、この世の始中終まぼろしの如くなる一期なり。されば、いまだ萬歳の人身を、うけたりといふ事を、きかず。一生すぎやすし。いまにいたりて、たれか百年の形體をたもつべきや。我やさき、人やさき、けふともしらず、あすともしらず。をくれ、さきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりも、しげしといへり。
されば、朝には、紅顔ありて、夕には、白骨となれる身なり。すでに、無常の風きたりきぬれば、すなはち、ふたつのまなこ、たちまちにとぢ、ひとのいき、ながくたえぬれば紅顔むなしく變じて、桃李のよそほひを、うしなひぬるときは、六親眷属あつまりて、なげきかなしめども、更に、その甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外にをくりて、夜半のけぶりと、なしはてぬれば、たゞ白骨のみぞのこれり。あはれといふも、中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかひなれば、たれの人も、はやく後生の一大事を、心にかけて、阿弥陀仏を、ふかく、たのみまいらせて、念仏まうすべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:::《意訳》
それ{{r|世|せ}}{{r|間|けん}}のことがらの{{r|浮々|うか{{ku}}}}として{{r|定|さだ}}まりのない{{r|有様|ありさま}}を、つく{{gu}}{{r|考|かんが}}へてみますと、{{r|凡|およ}}そ、{{r|何|なに}}が{{r|果敢|はか}}ないかと{{r|云|い}}うても、この{{r|世|よ}}の{{r|中|なか}}に{{r|始|し}}{{r|中|ちう}}{{r|終|じゆう}}、{{r|幻|まぼろし}}のやうな{{r|人|ひと}}の一{{r|生|しやう}}ほど{{r|果敢|はか}}ないものはありません。されば、まだ{{r|萬歳|まんざい}}の{{r|寿命|いのち}}を{{r|受|う}}けたと{{r|云|い}}ふことを{{r|聞|き}}いたことがありません。一{{r|生|しやう}}{{r|涯|がい}}は{{r|過|す}}ぎやすく、{{r|誰|たれ}}か百{{r|年|ねん}}の{{r|形体|すがた}}をたもたれませう。{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}が{{r|先|さき}}になるか、{{r|人|ひと}}が{{r|先|さき}}になるか、{{r|今日|けふ}}とも{{r|知|し}}らず、{{r|明日|あす}}とも{{r|知|し}}らず、{{r|遅|おく}}れて{{r|死|し}}に{{r|先|さき}}だつて{{r|死|し}}んで{{r|行|ゆ}}く{{r|人|ひと}}の{{r|有様|ありさま}}は、{{r|丁|ちやう}}{{r|度|ど}}{{r|木|き}}のもとの{{r|雫|しづく}}、{{r|葉|は}}ずゑの{{r|露|つゆ}}の、おいては{{r|消|き}}ゆるそれよりも、しげきものと{{r|申|まう}}されてあります。
して{{r|見|み}}ますと、{{r|朝|あした}}には{{r|紅|くれなひ}}の{{r|顔|かほばせ}}に{{r|若々|わか{{ku}}}}しさを{{r|誇|ほこ}}つてゐても、{{r|夕|ゆふべ}}にははや{{r|白骨|はくこつ}}とかはる{{r|身|み}}のうへであります。一{{r|朝|てう}}{{r|無|む}}{{r|常|じやう}}の{{r|風|かぜ}}が{{r|吹|ふ}}いて{{r|来|き}}たならば{{r|双|ふたつ}}の{{r|眼|まなこ}}は{{r|忽|たちま}}ちに{{r|閉|と}}ぢ{{r|一|ひと}}つの{{r|息|いき}}はながく{{r|絶|た}}えはてゝ、{{r|紅|くれなひ}}の{{r|顔|かほばせ}}はむなしく{{r|変|かは}}つて、{{r|桃|もゝ}}や{{r|李|すもも}}のやうな{{r|美|うる}}はしいよそほひも、もはやあとかたもなく{{r|失|なくな}}つてしまひますと、{{r|親戚|しんせき}}{{r|故|こ}}{{r|旧|きう}}のものらが{{r|寄|よ}}り{{r|集|あつ}}まつて、{{r|如何|いか}}に{{r|歎|なげ}}き{{r|悲|かな}}しんだとて、一{{r|向|かう}}その{{r|甲斐|かひ}}はありません。
そのまゝにしておけませぬところから、{{r|野辺|のべ}}の{{r|送|おく}}りをして、{{r|夜半|よは}}の{{r|煙|けむり}}としてしまうたなら、その{{r|後|のち}}には、たゞ{{r|白骨|はくこつ}}ばかりが{{r|残|のこ}}るだけであります。あはれと{{r|云|い}}ふのも、かへつて{{r|愚|をろか}}な{{r|次|し}}{{r|第|だい}}であります。
して{{r|見|み}}れば、{{r|世|せ}}{{r|間|けん}}のことの{{r|果敢|はか}}ないことは{{r|老|らう}}{{r|少|せう}}{{r|不|ふ}}{{r|定|ぢやう}}の{{r|境|きやう}}{{r|界|がい}}でありますから、{{r|何人|なにびと}}も{{r|早|はや}}く{{r|々々|{{ku}}{{ku}}}}、{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}の一{{r|大|だい}}{{r|事|じ}}を{{r|心|こゝろ}}にかけて、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}を{{r|深|ふか}}く{{r|恃|たの}}みにいたしまして、{{r|念仏|ねんぶつ}}を{{r|申|まう}}さねばなりません。あなかしこ{{ku}}。
==<b>一四</b> (一の二)==
:::《原文》
當流親鸞聖人の一義は、あながちに、出家発心のかたちを本とせず、捨家棄欲のすがたを標せず、たゞ一念帰命の他力の信心を、決定せしむるときは、さらに男女老少をえらばざるものなり。
されば、この信をえたるくらゐを、經には即得往生、住不退転ととき、釈には一念発起入正定之聚ともいへりこれすなはち、不来迎の談、平生業成の義なり。
和讃にいはく、弥陀の報土をねがふひと、外儀のすがたはことなりと、本願名號信受して、寤寐にわするゝことなかれといへり。
外儀のすがたといふは、在家出家、男子女人をえらばざるこゝろなり。つぎに、本願名號信受して、寤寐にわするゝことなかれといふは、かたちは、いかやうなりといふとも、又つみは十悪五逆、謗法闡提のともがらなれども、廻心懺悔して、ふかく、かゝるあさましき機を、すくひまします弥陀如来の本願なりと信知して、ふたごゝろなく、如来をたのむこゝろの、ねてもさめても、憶念の心つねにして、わすれざるを、本願たのむ決定心をえたる信心の行人とはいふなり。
さて、このうへにはたとひ行住坐臥に称名すとも、弥陀如来の御恩を報じまうす念仏なりと、おもふべきなり、これを眞實信心をえたる、決定往生の行者とはまうすなり。あなかしこ{{ku}}。
:あつき日にながるゝあせは、なみだかな、かきをくふでの、あとぞをかしき。
::文明三年七月十八日
:::《意訳》
{{r|当流|たうりう}}{{r|親鸞|しんらん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|主|しゆ}}{{r|義|ぎ}}は、ことさら、{{r|家|いへ}}を{{r|出|い}}でて{{r|菩|ぼ}}{{r|提|だい}}{{r|心|しん}}を{{r|発|おこ}}すと{{r|云|い}}ふ{{r|形|かたち}}を{{r|本|もと}}とするのでもなく、また{{r|家|いへ}}を{{r|捨|す}}て{{r|欲|よく}}を{{r|棄|す}}てた{{r|姿|すがた}}をあらはすと{{r|云|い}}ふのでもありません。たゞ一{{r|念|ねん}}{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}さへ{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}すれば、{{r|少|すこ}}しも{{r|男|をとこ}}や{{r|女|をんな}}、{{r|老|とし}}よりや{{r|若|わか}}ものゝ{{r|等差|へだて}}をつけぬのであります。
この{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|え}}た{{r|有様|ありさま}}を、『{{r|大|だい}}{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|経|きやう}}』には「{{r|即|すなは}}ち{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を{{r|得|え}}て{{r|不|ふ}}{{r|退転|たいてん}}に{{r|住|ぢやう}}す」と{{r|説|と}}かれ、また{{r|曇鸞|どんらん}}{{r|大|だい}}{{r|師|し}}の{{r|御|お}}{{r|釈|しやく}}には「一{{r|念|ねん}}の{{r|信|しん}}を{{r|発|ほつ}}{{r|起|き}}すれば{{r|正定|しやうぢやう}}{{r|聚|じゆ}}に{{r|入|い}}る」と{{r|述|の}}べられてあります。これが、すなはち{{r|不|ふ}}{{r|来迎|らいかう}}と{{r|云|い}}ふ{{r|談|はなし}}で、{{r|平生|へいぜい}}{{r|業|ごふ}}{{r|成|じやう}}と{{r|云|い}}ふ{{r|事柄|ことがら}}であります。
『{{r|和|わ}}{{r|讃|さん}}』には、「{{r|弥陀|みだ}}の{{r|報|はう}}{{r|土|ど}}を{{r|願|ねが}}ふ{{r|人|ひと}}、{{r|外儀|げぎ}}のすがたは{{r|異|こと}}なりと、{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}{{r|信受|しんじゆ}}して、{{r|寤寐|ごび}}に{{r|忘|わす}}るゝことなかれ」と{{r|仰|あふ}}せられてあります。
「{{r|外儀|げぎ}}の{{r|姿|すがた}}は{{r|異|こと}}なりと」といふのは、{{r|在|ざい}}{{r|家|け}}・{{r|出|しゆつ}}{{r|家|け}}・{{r|男|だん}}{{r|子|し}}・{{r|女|ぢよ}}{{r|子|し}}の{{r|等差|へだて}}をつけぬといふ{{r|意|こゝろ}}であります。{{r|次|つぎ}}に「{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}{{r|信受|しんじゆ}}してして、{{r|寤寐|ごび}}に{{r|忘|わす}}るゝことなかれ」といふのは、{{r|外形|かたち}}はいかやうでも、また{{r|罪悪|つみ}}は十{{r|悪業|あくごふ}}を{{r|犯|をか}}したものや、五{{r|逆|ぎやく}}{{r|罪|つみ}}を{{r|造|つく}}つたものや、{{r|闡提|せんだい}}の{{r|人々|ひと{{gu}}}}でも、{{r|心|こゝろ}}をひるがへして{{r|懺|ざん}}{{r|悔|げ}}し、こんなあさましい{{r|機|もの}}を{{r|救|すく}}うてくださるのが、{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|御|ご}}{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}であると{{r|信|しん}}{{r|知|ち}}して、{{r|餘|よ}}{{r|念|ねん}}なく、たゞ一{{r|途|づ}}に{{r|如来|によらい}}を{{r|恃|たの}}みにする{{r|心|こゝろ}}が、{{r|寝|ね}}ても{{r|醒|さ}}めても、いつもおもひづめて{{r|忘|わす}}れないのを、{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}を{{r|恃|たの}}む{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}{{r|心|しん}}を{{r|得|え}}た{{r|信心|しんじん}}の{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}と{{r|申|まう}}すのであります。
さてこのうへは、{{r|行|ゆ}}くにも{{r|住|とゞ}}まるにも{{r|坐|すわ}}るにも{{r|臥|ふ}}すにも、いかなる{{r|時|とき}}に{{r|称名|しようみやう}}を{{r|唱|とな}}へましてもみな{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|御|ご}}{{r|恩|おん}}を{{r|報|はう}}ずる{{r|念仏|ねんぶつ}}であると{{r|思|おも}}はねばなりません。これを{{r|真実|まこと}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|え}}た、{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}して{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}する{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}と{{r|申|まう}}すのであります。あなかしこ{{ku}}。
:{{r|暑|あつ}}き{{r|日|ひ}}に、{{r|流|なが}}るゝ{{r|汗|あせ}}は{{r|涙|なみだ}}かな、{{r|書|か}}きおく{{r|筆|ふで}}の{{r|跡|あと}}ぞをかしき。
::{{r|文明|ぶんめい}}三{{r|年|ねん}}七{{r|月|ぐわつ}}十八{{r|日|にち}}
==<b>一五</b> (一の三)==
:::《原文》
まづ當流の安心のをもむきは、あながちにわがこゝろの、わろきをも、また、妄念妄執のこゝろの、をこるをも、とゞめよといふにもあらず。たゞ、あきなひをもし、奉公をもせよ。猟すなどりをもせよ。かゝるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬる我等ごときのいたづらものを、たすけんと、ちかひまします弥陀如来の本願にてましますぞと、ふかく信じて、一心にふたごゝろなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませと、おもふこゝろの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけに、あづかるものなり。
このうへには、なにとこゝろえて、念仏まうすべきぞなれば、往生は、いまの信力によりて、御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏まうすべきなり。
これを當流の安心決定したる、信心の行者とは、まうすべきなり。あなかしこ{{ku}}。
::文明三年十二月十八日
:::《意訳》
{{r|当流|たうりう}}の{{r|安心|あんじん}}の{{r|趣|しゆ}}{{r|意|い}}は、{{r|強|しひ}}て{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}の{{r|心|こゝろ}}の{{r|悪|わる}}いのや、また{{r|妄念|まうねん}}{{r|妄執|まうじふ}}の{{r|心|こゝろ}}のおこるのをも、とゞめよといふのではありません。{{r|商|あきな}}ひをもしなさい、{{r|奉公|ほうこう}}をもしなさい、また{{r|猟|りやう}}や{{r|漁|すなどり}}をもしなさい。たゞ、かういふ{{r|浅|あさ}}{{r|間|ま}}しい{{r|罪業|つみ}}にばかり{{r|朝夕|あさゆふ}}{{r|纏|まつ}}はつてゐる、われ{{ku}}のやうないたづらものを{{r|助|たす}}けてやらうと{{r|誓|ちか}}ひを{{r|立|た}}てゝ{{r|下|くだ}}された{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}でありますと{{r|深|ふか}}く{{r|信|しん}}じて、たゞ一{{r|心|しん}}にふたごゝろなく、{{r|弥陀|みだ}}一{{r|仏|ぶつ}}の{{r|大|だい}}{{r|慈悲|じひ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}にすがつて、お{{r|助|たす}}けくださることゝおまかせ{{r|申|まう}}す一{{r|念|ねん}}の{{r|信心|しんじん}}さへ、まことであるなら、きつと{{r|如来|によらい}}のお{{r|助|たす}}けにあづかることが{{r|出来|でき}}るのであります。
かうなつたうへは、どう{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}て{{r|念仏|ねんぶつ}}を{{r|申|まう}}したらよいかと{{r|申|まう}}すのに、{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}は、いまの{{r|信力|しんりき}}によつて{{r|助|たす}}けていたゞける{{r|有難|ありがた}}さに、その{{r|御|ご}}{{r|恩|おん}}{{r|報謝|はうしや}}のために{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}の{{r|命|いのち}}のある{{r|限|かぎ}}りは、{{r|報謝|はうしや}}の{{r|為|ため}}と{{r|思|おも}}うてお{{r|念仏|ねんぶつ}}を{{r|申|まう}}さねばなりませぬ。
これが{{r|当流|たうりう}}の{{r|安心|あんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}した{{r|信心|しんじん}}の{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}と{{r|申|まう}}すのであります。あなかしこ{{ku}}。
::{{r|文明|ぶんめい}}三{{r|年|ねん}}十二{{r|月|ぐわつ}}十八{{r|日|にち}}
==<b>一六</b> (一の六)==
:::《原文》
抑、當年の夏このごろは、なにとやらん、ことのほか睡眠におかされて、ねむたくさふらふは、いかんと案じさふらふは、不審もなく往生の死期も、ちかづくかとおぼえ候。まことにもて、あじきなく名残おしくこそさふらへ。
さりながら、今日までも、往生の期も、いまやきたらんと、油断なく、そのかまへはさふらふ。
それにつけても、この在所におひて、已後までも、信心決定するひとの、退轉なきやうにも、さふらへがしと念願のみ、晝夜不断におもふばかりなり。
この分にては、往生つかまつりさふらふとも、いまは子細なくさふらふべきに、それにつけても、面々の心中も、ことのほか油断どもにてこそはさふらへ。
命のあらんかぎりは、われらは、いまのごとくにて、あるべく候。よろづにつけて、みな{{ku}}の心中こそ不足に存じさふらへ。
明日も、しらぬいのちにてこそ候に、なにごとをまうすも、いのちをはりさふらはゞ、いたづらごとにてあるべく候。いのちのうちに、不審もとく{{ku}}はれられさふらはでは、さだめて、後悔のみにて、さふらはんずるぞ御こゝろえあるべく候。あなかしこ{{ku}}。
:この障子の、そなたの人々のかたへ、まいらせさふらふ。のちの年に、とりいだして御覧候へ。
::文明五年卯月二十五日書之。
:::《意訳》
そも{{ku}}{{r|当年|たうねん}}の{{r|夏|なつ}}この{{r|頃|ごろ}}は、どうしたわけか、{{r|大層|たいそう}}ねむたい{{r|感|かん}}じが{{r|致|いた}}しますが、これは、なぜかと{{r|考|かんが}}へてみれば、{{r|疑|うたが}}ひもなく、{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}の{{r|期|ご}}が{{r|近|ちか}}づいたのであらうと{{r|思|おも}}はれます。まことに、{{r|本意|ほい}}なく{{r|名|な}}{{r|残|ごり}}{{r|惜|を}}しう{{r|御座|ござ}}います。
しかし{{r|今日|けふ}}まで、{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}の{{r|期|ご}}が{{r|今|いま}}にも{{r|来|く}}るかも{{r|知|し}}れないと{{r|思|おも}}ひ、その{{r|用|よう}}{{r|意|い}}だけは、{{r|油|ゆ}}{{r|断|だん}}なく{{r|準|じゆん}}{{r|備|び}}はして{{r|居|を}}ります。
それにつけても、{{r|昼|ちう}}{{r|夜|や}}{{r|不|ふ}}{{r|断|だん}}に、{{r|念願|ねんがん}}してやまぬのはこの{{r|在所|ざいしよ}}で、{{r|今|こん}}{{r|後|ご}}いつ{{ku}}までも、{{r|信心|しんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|じやう}}する{{r|人|ひと}}が、なくならぬやうに、あつてほしいといふことであります。
この{{r|分|ぶん}}では、もはや{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}いたしましたとて、さはりがないやうに{{r|思|おも}}はれますが、それにしても、このあたりの{{r|人々|ひと{{gu}}}}の{{r|心中|しんちう}}は、{{r|格別|かくべつ}}{{r|油|ゆ}}{{r|断|だん}}してゐるらしい{{r|様|やう}}{{r|子|す}}がみえます。
なるほど、わしの{{r|命|いのち}}のある{{r|間|あひだ}}は、われ{{ku}}は、{{r|今|いま}}の{{r|状|じやう}}{{r|態|たい}}で{{r|続|つづ}}けても{{r|行|ゆ}}けもしようが、{{r|命|いのち}}がなくなつた{{r|後|のち}}のことを{{r|思|おも}}へば、{{r|実|じつ}}に{{r|心|こゝろ}}{{r|細|ぼそ}}い{{r|次|し}}{{r|第|だい}}であります。それにもかゝはらず、{{r|総|そう}}じて{{r|人々|ひと{{gu}}}}の{{r|心中|しんちう}}が、よろづのことに、あまりに{{r|無|む}}{{r|関|くわん}}{{r|心|しん}}であるのは、あきたらなく{{r|思|おも}}はれます。
{{r|明日|あす}}をも{{r|知|し}}らぬ{{r|露|つゆ}}の{{r|命|いのち}}ではありませんか。一{{r|旦|たん}}{{r|命|いのち}}が{{r|終|をは}}われば、{{r|何|なに}}と{{r|申|まう}}しても、もはや{{r|甲斐|かひ}}のない{{r|次|し}}{{r|第|だい}}であります。{{r|命|いのち}}のあるうちに{{r|不|ふ}}{{r|審|しん}}の{{r|点|てん}}を{{r|早々|はや{{ku}}}}{{r|晴|は}}らされぬやうでは、きつと{{r|後|こう}}{{r|悔|くわい}}をされるに{{r|相|さう}}{{r|違|ゐ}}はありませんぞ。{{r|御|ご}}{{r|用心|ようじん}}なさるがよろしい。あなかしこ{{ku}}。
:この{{r|障|しやう}}{{r|子|じ}}のそちらにをる{{r|人々|ひと{{gu}}}}にさしあげます。{{r|後|のち}}の{{r|年|とし}}にとりだして{{r|御|ご}}{{r|覧|らん}}なさい。
::{{r|文明|ぶんめい}}五{{r|年|ねん}}四{{r|月|ぐわつ}}二十五{{r|日|にち}}にこれを{{r|書|か}}く。
==<b>一七</b> (一の一五)==
:::《原文》
問ていはく。當流をみな世間の流布して、一向宗となづけ候は、いかやうなる仔細にて候やらん。不審に候。
答ていはく。あながちに、我流を、一向宗となのることは、別して祖師も、さだめられず。おほよそ、阿弥陀仏を一向にたのむによりて、みな人の、まうしなすゆへなり。しかりといへども、經文に一向専念無量寿仏と、ときたまふゆへに、一向に無量寿仏を念ぜよと、いへるこゝろなるときは、一向宗とまうしたるも仔細なし。
さりながら開山は、この宗をば、浄土眞宗とこそさだめたまへり。されば一向宗といふ名言は、さらに本宗より、まうさぬなりとしるべし。
されば、自餘の浄土宗は、もろ{{ku}}の雑行をゆるす。わが聖人は雑行をえらびたまふ。このゆへに眞實報土の往生をとぐるなり。このいはれあるがゆへに別して眞の字をいれたまふなり。
又のたまはく。當宗を、すでに浄土眞宗となづけられ候ことは、分明にきこえぬ。しかるに、この宗體にて、在家のつみふかき、悪逆の機なりといふとも弥陀の願力にすがりてたやすく極楽に往生すべきやう、くはしくうけたまはり、はんべらんとおもふなり。
答ていはく。當流のをもむきは、信心決定しぬれば、かならず、眞實報土の往生を、とぐべきなり。
されば、その信心といふは、いかやうなることぞといへば、なにのわづらひもなく、弥陀如来を、一心にたのみたてまつりて、その餘の仏菩薩等にも、こゝろをかけずして、一向に、ふたごゝろなく弥陀を信ずるばかりなり。これをもて信心決定とは申ものなり。
信心といへる二字をば、まことのこゝろとよめるなり。まことのこゝろといふは、行者のわろき自力のこゝろにては、たすからず、如来の他力のよきこゝろにて、たすかるがゆへに、まことのこゝ〔ろ〕とまうすなり。
又名號をもて、なにのこゝろえもなくしてたゞとなへては、たすからざるなり。されば經には聞其名號信心歓喜ととけり。その名號をきくといへるは、南無阿弥陀仏の六字の名號を、無名無實にきくにあらず。善知識にあひて、そのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名號を、南無とたのめば、かならず阿弥陀仏の、たすけたまふといふ道理なり。これを經に信心歓喜ととかれたり。これによりて南無阿弥陀仏の體は、われらを、たすけたまへるすがたぞと、こゝろうべきなり。
かやうに、こゝろえてのちは、行信坐臥{{sic}}に口にとなふる称名をばたゞ弥陀如来の、たすけまします御恩報じをたてまつる念仏ぞと、こゝろうべし。これをもて信心決定して、極楽に往生する他力の念仏の行者とは、まうすべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:文明第五九月下旬第二日、至{{2}}干巳尅{{1}}、加州山中湯治之内書{{2}}集之{{1}}訖。
:::《意訳》
{{r|御問|ごと}}ひ{{r|申|まう}}します。{{r|当流|たうりう}}を{{r|世|せ}}{{r|間|けん}}一たいに{{r|一向宗|いちかうしう}}と{{r|呼|よ}}んでゐますのは、どういふいはれでありませう{{r|不|ふ}}{{r|審|しん}}に{{r|思|おも}}はれます。
{{r|御|お}}{{r|答|こた}}へ{{r|申|まう}}します。{{r|殊更|ことさら}}わが{{r|流|りう}}を{{r|一向宗|いちかうしう}}となのることは{{r|別|べつ}}に{{r|祖師|そし}}も{{r|定|さだ}}めてはをられないのでありますが、{{r|多|た}}{{r|分|ぶん}}、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}を{{r|一向|いちかう}}に{{r|恃|たの}}みとするところから、{{r|自|し}}{{r|然|ぜん}}{{r|人々|ひと{{gu}}}}がそう{{r|云|い}}ふのでありませう。けれども、『{{r|大|だい}}{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|経|きやう}}』の{{r|文|もん}}には「一{{r|向|かう}}に{{r|専|もぱ}}ら{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|仏|ぶつ}}を{{r|念|ねん}}ず」と{{r|説|と}}かせられてありますから、これが{{r|一向|いちかう}}に{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|仏|ぶつ}}を{{r|念|ねん}}ぜよといふこゝろであるとしてみれば、一{{r|向宗|かうしう}}と{{r|申|まう}}しても{{r|差|さし}}{{r|支|つかへ}}がないわけであります。
しかし{{r|御|ご}}{{r|開山|かいさん}}は、この{{r|宗|しう}}を{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}{{r|真宗|しんしう}}といふ{{r|名|な}}に{{r|定|さだ}}めてゐられます。してみれば、一{{r|向宗|かうしう}}といふ{{r|名|な}}は、わが{{r|宗|しう}}からは、さらに{{r|申|まう}}さないことであると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}て{{r|下|くだ}}さい。
それで、ほかの{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}{{r|宗|しう}}では、もろ{{ku}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}を{{r|許|ゆる}}すけれども、わが{{r|御|ご}}{{r|開山|かいさん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}は、{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}を{{r|全然|ぜんぜん}}{{r|捨|す}}てられました。それで{{r|真実|しんじつ}}の{{r|報|はう}}{{r|土|ど}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を{{r|遂|と}}げられるのであります。だから、わが{{r|宗|しう}}には、{{r|特|とく}}に{{r|真|しん}}の{{r|字|じ}}を{{r|入|い}}れて{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}{{r|真宗|しんしう}}と{{r|申|まう}}されたわけであります。
また{{r|御問|おと}}ひ{{r|申|まう}}します。{{r|当宗|たうしう}}を{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}{{r|真宗|しんしう}}と{{r|名|な}}づけられたことは{{r|今|いま}}の{{r|御|お}}{{r|言|こと}}{{r|葉|ば}}でよくわかりました。それに、この{{r|宗風|しうふう}}では、{{r|在|ざい}}{{r|家|け}}の{{r|罪深|つみふか}}い十{{r|悪|あく}}五{{r|逆|ぎやく}}の{{r|機|もの}}でも、{{r|弥陀|みだ}}の{{r|願|ぐわん}}{{r|力|りき}}にすがつたなら、たやすく{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}することが{{r|出来|でき}}ると{{r|申|まう}}します。そのいはれを、さらに{{r|詳|くは}}しく{{r|承|うけたまは}}りたいと{{r|思|おも}}ふのであります。
{{r|御|お}}{{r|答|こた}}へ{{r|申|まう}}します。{{r|当流|たうりう}}の{{r|趣|しゆ}}{{r|意|い}}は、{{r|信心|しんじん}}さへ{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}したなら、{{r|必|かなら}}ず{{r|真実|しんじつ}}の{{r|報|はう}}{{r|土|ど}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を{{r|遂|と}}げられるのであります。
それでその{{r|信心|しんじん}}といふのは、どんなことであるかと{{r|申|まう}}せば{{r|何|なに}}の{{r|面倒|めんだふ}}もありません。{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}を一{{r|心|しん}}に{{r|恃|たの}}みにして、その{{r|餘|ほか}}の{{r|諸仏|しよぶつ}}{{r|菩|ぼ}}{{r|薩|さつ}}{{r|等|とう}}には{{r|少|すこ}}しも{{r|心|こゝろ}}をかけず、もつぱらふたごゝろなく、、{{r|弥陀|みだ}}を{{r|信|しん}}ずるだけのことであります。これを{{r|信心|しんじん}}{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}といふのであります。
{{r|信心|しんじん}}といふ{{r|二字|にじ}}をば、「まことのこゝろ」と{{r|訓|よ}}みます。「まことのこゝろ」といふのは、{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}の{{r|懐|いだ}}いてゐる{{r|自|じ}}{{r|力|りき}}の{{r|悪|わる}}い{{r|心|こゝろ}}では{{r|助|たす}}かりません、{{r|如来|によらい}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}のよい{{r|心|こゝろ}}によつて{{r|助|たす}}けていたゞくのでありますから、「まことのこゝろ」と{{r|申|まう}}すのであります。
また{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}を{{r|何|なに}}の{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}もなしにたゞ{{r|唱|とな}}へたゞけでは、{{r|決|けつ}}して{{r|助|たす}}かるものではありません。それで『{{r|大|だい}}{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|経|きやう}}』には、「{{r|其|その}}{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}を{{r|聞|き}}いて{{r|信心|しんじん}}{{r|歓|くわん}}{{r|喜|ぎ}}す」と{{r|説|と}}いてあります。「その{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}を{{r|聞|き}}く」といふのは、{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の{{r|六|ろく}}{{r|字|じ}}の{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}を{{r|無|む}}{{r|名|みやう}}{{r|無|む}}{{r|実|じつ}}に{{r|聞|き}}くのではなく、{{r|善|ぜん}}{{r|知|ち}}{{r|識|しき}}に{{r|逢|あ}}うて、その{{r|教|をしへ}}を{{r|受|う}}けて、この{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}は{{r|南無|なも}}と{{r|信|しん}}じたならば、{{r|必|かなら}}ず{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}がお{{r|助|たす}}けくださるといふ{{r|道|だう}}{{r|理|り}}を{{r|聞|き}}くのであります。これを『{{r|大|だい}}{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|経|きやう}}』にはまた「{{r|信心|しんじん}}{{r|歓|くわん}}{{r|喜|ぎ}}す」と{{r|説|と}}かれてあります。それで{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}の{{r|體|たい}}は、われ{{ku}}をお{{r|助|たす}}けくださるすがたであると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ねばなりません。
かやうに{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}た{{r|後|のち}}は、{{r|行|ゆ}}くにも{{r|住|とゞ}}まるにも{{r|坐|すわ}}るにも{{r|臥|ふ}}すにも、{{r|如何|いか}}なる{{r|時|とき}}に{{r|唱|とな}}へる{{r|称名|しようみやう}}でも、たゞ{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}のお{{r|助|たす}}けくださる{{r|御|ご}}{{r|恩|おん}}を{{r|報|はう}}じ{{r|奉|たてまつ}}る{{r|念仏|ねんぶつ}}であると{{r|領|りやう}}{{r|解|げ}}すればよいのであります。かうなつてこそ、{{r|信心|しんじん}}が{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}して、{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}する{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|念仏|ねんぶつ}}{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}であるといへるのであります。あなかしこ{{ku}}。
::{{r|文明|ぶんめい}}五{{r|年|ねん}}九{{r|月|ぐわつ}}二十二{{r|日|にち}}{{r|巳|み}}の{{r|尅|こく}}{{註|{{r|午|ご}}{{r|前|ぜん}}{{r|十|じふ}}{{r|時|じ}}}}になつて{{r|加|か}}{{r|州|しう}}{{r|山中|やまなか}}に{{r|湯|たう}}{{r|治|ぢ}}をしてゐて、これを{{r|書|か}}き{{r|集|あつ}}め{{r|終|をは}}りました。
==<b>一八</b> (二の一)==
:::《原文》
抑、今度一七ヶ日、報恩講のあひだにおいて、多屋内方も、そのほかの人も、大略、信心を決定し給へるよし、きこへたり。めでたく本望これにすぐべからず。さりながら、そのまゝ、うちすて候へば信心もうせ候べし。細々に信心の、みぞをさらへて、弥陀の法水をながせと、いへることありげに候。
それについて、女人の身は、十方三世の諸仏にも、すてられたる身にて候を、阿弥陀如来なればこそ、かたじけなくも、たすけまし{{ku}}候へ。そのゆへは女人の身は、いかに眞實心になりたりといふとも、うたがひの心はふかくして、又物なんどの、いまはしく、おもふ心は、さらにうせがたくおぼへ候。
ことに在家の身は、世路につけ、又子孫なんどの事によそへても、たゞ今生にのみふけりて、これほどに、はやめにみえて、あだなる人間界の老少不定のさかひとしりながら、たゞいま三途八難に、しづまん事をば、つゆちりほどにも心にかけずして、いやづらに、あかしくらすは、これ、つねの人のならひなり。あさましといふも、をろかなり。
これによりて、一心一向に、弥陀一仏の悲願に帰して、ふかくたのみまつりて、もろ{{ku}}の雑行を修する心をすて、又、諸神諸仏に追従まうす心をもみなうちすてゝ、さて弥陀如来と申は、かゝる我らごときの、あさましき女人のために、をこし給へる本願なれば、まことに仏智の不思議と信じて、我身はわろきいたづらものなりと、おもひつめて、ふかく如来に帰入する心をもつべし。
さて、この信ずる心も、念ずる心も、弥陀如来の御方便より、をこさしむるものなりとおもふべし。かやうにこゝろうるを、すなはち他力の信心をえたる人とはいふなり。
又、このくらゐを、あるひは正定聚に住すとも、滅度にいたるとも、等正覚にいたるとも、弥陀にひとしとも申なり。又、これを一念発起の往生さだまりたる人とも申すなり。
かくのごとく、心えてのうへの称名念仏は弥陀如来の、我らが往生を、やすくさだめ給へる、その御うれしさの御恩を、報じたてまつる念仏なりと、こゝろうべきものなり、あなかしこ{{ku}}。
:これについて、まづ當流のおきてを、よく{{ku}}まもらせ給ふべし。
:そのいはれは、あひかまへて、いまのごとく、信心のとほりを心え給はゞ、身中に、ふかくおさめをきて、他宗他人に対して、そのふるまひをみせずして又信心のやうをも、かたるべからず。
:かくのごとく信心のかたも、そのふるまひも、よき人をば聖人も、よく心えたる信心の行者なりとおほせられたり。たゞふかくこゝろをば仏法に、とゞむべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:文明第五、十二月八日これをかきて、當山の多屋内方へまいらせ候。このほかなを{{ku}}不審の事候はゞ、かさねてとはせたまふべく候。
:::所送寒暑
:::::五十八歳 御判
:のちの代の、しるしのために、かきをきし、のりのことの葉かたみともなれ。
:::《意訳》
そも{{ku}}{{r|今|こん}}{{r|度|ど}}一七{{r|箇|か}}{{r|日|にち}}の{{r|報恩講|はうおんかう}}の{{r|間|あひだ}}に、{{r|多屋|たや}}{{註|{{r|寺|じ}}{{r|中|ちう}}}}の{{r|内方|ないはう}}も、そのほかの{{r|人|ひと}}も、あらかた{{r|信心|しんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}されたそうに{{r|聞|き}}いております。まことに{{r|結構|けつこう}}なことであつてこれに{{r|越|こ}}した{{r|本望|ほんまう}}はありません。しかし、そのまゝにうち{{r|棄|す}}てゝおいては、{{r|折角|せつかく}}の{{r|信心|しんじん}}も{{r|消|き}}え{{r|失|う}}せるから、たび{{ku}}{{r|信心|しんじん}}の{{r|溝|みぞ}}を{{r|渫|さら}}へて、{{r|弥陀|みだ}}の{{r|法水|ほふすゐ}}を{{r|流|なが}}せと{{r|申|まう}}すこともあるやうに{{r|聞|き}}いてゐます。
それにつけても{{r|女|をんな}}といふものは、十{{r|方|ぱう}}三{{r|世|ぜ}}の{{r|諸仏|しよぶつ}}にも{{r|捨|す}}てられた{{r|身|み}}であるのに、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}なればこそ、かたじけなくも、お{{r|助|たす}}けくだされるのであります。そのわけは、{{r|女|をんな}}の{{r|身|み}}は、どんなにまことしやかな{{r|心|こゝろ}}になつたと{{r|云|い}}うても、{{r|疑|うたが}}ひの{{r|心|こゝろ}}が{{r|深|ふか}}くて、また、ひとしほ{{r|偏|へん}}{{r|頗|ぱ}}に{{r|物|もの}}を{{r|忌|い}}む{{r|心|こゝろ}}が{{r|失|う}}せ{{r|難|がた}}いものゝやうに{{r|思|おも}}はれます。
{{r|別|べつ}}して{{r|在|ざい}}{{r|家|け}}の{{r|身|み}}は、{{r|世|よ}}{{r|渡|わた}}りのためや、また{{r|子|し}}{{r|孫|そん}}などのことにつけても、たゞ{{r|今|こん}}{{r|生|じやう}}のことばかりに{{r|心|こゝろ}}を{{r|労|らう}}して、このくらゐ、はつきりと{{r|目|め}}に{{r|見|み}}えて、{{r|実|まこと}}なき{{r|人間界|にんげんかい}}の{{r|老少|らうせう}}{{r|不|ふ}}{{r|定|ぢやう}}の{{r|果敢|はか}}ない{{r|所|ところ}}であると{{r|知|し}}つてゐながら、{{r|今|いま}}にも三{{r|途|づ}}八{{r|難|なん}}の{{r|悪趣|あくしゆ}}に{{r|沈|しづ}}みそうなことには、{{r|少|すこ}}しも{{r|心|こゝろ}}にかけずして、いたづらに{{r|明|あか}}し{{r|暮|くら}}して{{r|月|つき}}{{r|日|ひ}}を{{r|送|おく}}つてゐるのが、一{{r|般|ぱん}}の{{r|人々|ひと{{gu}}}}のならはせであります。{{r|浅|あさ}}{{r|間|ま}}しいと{{r|云|い}}ふのもおろかな{{r|次|し}}{{r|第|だい}}であります。
それでありますから、一{{r|心|しん}}一{{r|向|かう}}に{{r|弥陀|みだ}}一{{r|仏|ぶつ}}の{{r|大|だい}}{{r|慈悲|じひ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}におすがり{{r|申|まう}}して、{{r|深|ふか}}く{{r|憑|たよ}}りにして、もろ{{ku}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}を{{r|励|はげ}}まうといふこゝろを{{r|棄|す}}てゝ、また{{r|諸|もろ{{ku}}}}の{{r|神|かみ}}や{{r|諸|もろ{{ku}}}}の{{r|仏|ぶつ}}に{{r|追|つゐ}}{{r|従|しやう}}するこゝろをも、すつかりと{{r|棄|す}}てゝしまつて、さて{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}とまうす{{r|方|かた}}は、こんなわれ{{ku}}のやうなあさましい{{r|女|をんな}}のためにお{{r|立|た}}てくださつた{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}でありますから、まことに{{r|仏|ぶつ}}{{r|智|ち}}のお{{r|不思議|ふしぎ}}{{r|力|りき}}で{{r|助|たす}}けて{{r|頂|いただ}}けることゝ{{r|信|しん}}じて、わが{{r|身|み}}は{{r|悪|わる}}い、いたづらものであると{{r|思|おも}}ひつめて、{{r|深|ふか}}く{{r|如来|によらい}}におまかせする{{r|心|こゝろ}}におなりなさい。
そして、この{{r|信|しん}}ずる{{r|心|こゝろ}}も、{{r|念|ねん}}ずる{{r|心|こゝろ}}も、{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|御|お}}{{r|方便|てまはし}}により{{r|起|おこ}}して{{r|下|くだ}}さつたものであると{{r|思|おも}}ひなさい。こんなに{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}たものを、{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|え}}た{{r|人|ひと}}といふのであります。
またこの{{r|位|くらゐ}}を、「{{r|正定|しやうじやう}}{{r|聚|じゆ}}に{{r|住|ぢやう}}する」とも、「{{r|滅|めつ}}{{r|度|ど}}に{{r|至|いた}}るべき{{r|位|くらゐ}}」とも、「{{r|等|とう}}{{r|正|しやう}}{{r|覚|がく}}に{{r|至|いた}}る」とも、「{{r|弥|み}}{{r|勒|ろく}}に{{r|等|ひと}}しい」とも{{r|申|まう}}すのであります。またこれを「一{{r|念|ねん}}{{r|発|ほつ}}{{r|起|き}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}の{{r|定|さだ}}まつた{{r|人|ひと}}」とも{{r|申|まう}}すのであります。
このやうに{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}たうへの{{r|称名|しやうみやう}}{{r|念仏|ねんぶつ}}は、{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}が、われ{{ku}}も{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を、たやすくお{{r|定|さだ}}めくださつた、その{{r|御|ご}}{{r|恩|おん}}を{{r|報|はう}}じたてまつる{{r|嬉|うれ}}しさの{{r|念仏|ねんぶつ}}であると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ねばなりませぬ。あなかしこ{{ku}}。
:またこれについて、まづ{{r|当流|たうりう}}の{{r|掟|おきて}}をよく{{ku}}お{{r|守|まも}}り{{r|下|くだ}}さい。
:そのわけはいまのやうに、{{r|信心|しんじん}}のわけがらを、{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}られたなら、きつと{{ku}}、それを{{r|心中|しんちう}}に{{r|深|ふか}}くおさめおいて、{{r|他|た}}{{r|宗|しう}}{{r|他|た}}{{r|人|にん}}に{{r|対|たい}}して、その{{r|挙動|ふるまひ}}を{{r|見|み}}せず、また{{r|信心|しんじん}}の{{r|有様|ありさま}}をも{{r|語|かた}}つてはなりませぬ。
:かつ一{{r|切|さい}}の{{r|諸|もろ{{ku}}}}の{{r|神|かみ}}なども、{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}が{{r|信|しん}}ぜぬまでのことで、{{r|決|けつ}}して{{r|麁|そ}}{{r|末|まつ}}にしてはなりませぬ。このやうに{{r|信心|しんじん}}の{{r|方|かた}}も、ふるまひの{{r|方|かた}}も{{r|揃|そろ}}うてとゝなうた{{r|人|ひと}}を、{{r|御|ご}}{{r|開山|かいさん}}{{r|上|しやう}}{{r|人|にん}}も、「よく{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}た{{r|信心|しんじん}}の{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}である」と{{r|仰|おほ}}せられました。たゞくれ{{gu}}も、{{r|深|ふか}}く{{r|心|こゝろ}}を{{r|仏法|ぶつぽふ}}に{{r|止|とゞ}}められたいものであります。あなかしこ{{ku}}。
::{{r|文明|ぶんめい}}五{{r|年|ねん}}十二{{r|月|ぐわつ}}八{{r|日|か}}、これを{{r|書|か}}いて、{{r|吉崎|よしざき}}の{{r|多屋|たや}}{{註|{{r|寺|じ}}{{r|中|ちう}}}}の{{r|内方|ないはう}}たちへ{{r|差|さし}}{{r|上|あ}}げます。なほ、このほかに、まだ{{r|不|ふ}}{{r|審|しん}}のことがあるなら、かさねてお{{r|尋|たづ}}ねして{{r|下|くだ}}さいませ。
:::{{r|送|おく}}つた{{r|寒暑|かんしよ}}は
::::五十八{{r|歳|さい}} {{r|御|ご}} {{r|判|はん}}
:{{r|後|のち}}の{{r|世|よ}}の、{{r|證|しるし}}のために、{{r|書|か}}きおきし、{{r|法|のり}}の{{r|言|こと}}の{{r|葉|は}}、{{r|記念|かたみ}}ともなれ。
==<b>一九</b> (二の一一)==
:::《原文》
夫、當流親鸞聖人の勧化のおもむき、近年諸國にをひて、種々不同なり。これをほきにあさましき次第なり。
そのゆへは、まづ當流には、他力の信心をもて、凡夫の往生を、さきとせられたるところに、その信心のかたをば、をしのけて沙汰せずして、そのすゝむることばにいはく、十劫正覚のはじめより我等が往生を、弥陀如来のさだめまし{{ku}}たまへることを、わすれぬが、すなはち信心のすがたなりといへり。
これさらに、弥陀に帰命して、他力の信心をえたる分はなし。されば、いかに十劫正覚のはじめより、われらが往生を、さだめたまへることを、しりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心のいはれを、よくしらずば、極楽には往生すべからざるなり。
又、あるひとのことばにいはく、たとひ弥陀に帰命すといふとも善知識なくば、いたづらごとなり。このゆへに、われらにおいては善知識ばかりを、たのむべし云々。これもうつくしく、當流の信心をえざる人なりと、きこえたり。
そも{{ku}}善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすゝむべきばかりなり。これによりて五重の義をたてたり。一には宿善、二には善知識、三には光明、四には信心、五には名號、この五重の義成就せずば、往生はかなふべからずとみえたり。されば善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよと、いへるつかひなり。宿善開發して善知識にあはずば、往生はかなふべからざるなり。
しかれども、帰するところの弥陀をすてゝ、たゞ善知識ばかりを本とすべきこと、おほきなるあやまりなりと、こゝろうべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
::文明六年五月二十日
:::《意訳》
それ、{{r|当流|たうりう}}{{r|親鸞|しんらん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|御|ご}}{{r|勧|くわん}}{{r|化|け}}の{{r|趣|しゆ}}{{r|意|い}}に{{r|就|つ}}いて、{{r|近年|きんねん}}{{r|諸國|しよこく}}では、{{r|種々|いろ{{ku}}}}{{r|不|ふ}}{{r|同|どう}}に{{r|説|と}}いてゐます。これは、{{r|大|たい}}へん{{r|浅|あさ}}{{r|間|ま}}しいことであります。
そのわけは、まづ{{r|当流|たうりう}}では、{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}によつて、{{r|凡|ぼん}}{{r|夫|ぶ}}が{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}させて{{r|頂|いたゞ}}くと{{r|云|い}}ふことを{{r|第|だい}}一とされてゐるのに、その{{r|信心|しんじん}}の{{r|方|はう}}は、おしのけて{{r|説|と}}きもせずして、そして、その{{r|勧|すゝ}}める{{r|話|はなし}}には、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}が、{{r|十劫|じふごふ}}{{r|正|しやう}}{{r|覚|がく}}の{{r|始|はじ}}めから、われ{{ku}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を{{r|定|さだ}}めおいて{{r|下|くだ}}さつたことを{{r|忘|わす}}れぬのが、すなはち{{r|信心|しんじん}}のすがたであるといつて{{r|居|を}}ります。
これでは、一{{r|向|かう}}{{r|弥陀|みだ}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}して、{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|え}}た{{r|分界|ぶんかい}}はありません。それゆゑ、{{r|如何|いか}}に十{{r|劫|こふ}}{{r|正|しやう}}{{r|覚|がく}}の{{r|始|はじ}}めから、われ{{ku}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を{{r|定|さだ}}めおいて{{r|下|くだ}}さつたことを{{r|知|し}}つたとしても、われ{{ku}}が{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}すべき{{r|他|た}}{{r|力|りき}}{{r|信心|しんじん}}のわけがらを、よく{{r|知|し}}らなくては、{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}することは{{r|出来|でき}}ないのであります。
また{{r|或人|あるひと}}の{{r|云|い}}ふのには、「たとひ{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}したところで、{{r|善|ぜん}}{{r|知|ち}}{{r|識|しき}}が、{{r|御|お}}{{r|導|みちび}}き{{r|下|くだ}}さらなくては、{{r|徒|いたづら}}{{r|事|ごと}}になつて{{r|仕舞|しま}}ひます。よつて、われらは{{r|善|ぜん}}{{r|知|ち}}{{r|識|しき}}ばかりを{{r|恃|たの}}みに{{r|思|おも}}へば、よいのであります」{{r|杯|など}}と{{r|申|まう}}しますが、これも十{{r|分|ぶん}}に{{r|当流|たうりう}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|え}}ない{{r|人|ひと}}であると{{r|思|おも}}はれます。
{{r|大体|だいたい}}、{{r|善|ぜん}}{{r|知|ち}}{{r|識|しき}}のはたらきと{{r|云|い}}ふのは、たゞ一{{r|心|しん}}一{{r|向|かう}}に{{r|弥陀|みだ}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}しなさいと、{{r|人|ひと}}を{{r|勧|すゝ}}めるだけのことであります。これによつて五{{r|重|ぢゆう}}の{{r|義|ぎ}}をたてます。{{r|一|ひと}}つには{{r|宿|しゆく}}{{r|善|ぜん}}、{{r|二|ふた}}つには{{r|善|ぜん}}{{r|知|ち}}{{r|識|しき}}、{{r|三|み}}つには{{r|光明|くわうみやう}}、四には{{r|信心|しんじん}}、五には{{r|名|みやう}}{{r|号|がう}}であります。この五{{r|重|ぢゆう}}の{{r|義|ぎ}}が{{r|成|じやう}}{{r|就|じゆ}}しなくては、{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}は{{r|出来|でき}}ないやうに{{r|見|み}}えます。すれば{{r|善|ぜん}}{{r|知|ち}}{{r|識|しき}}と{{r|云|い}}ふのは、{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|仏|ぶつ}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}せよと{{r|勧|すゝ}}めて{{r|下|くだ}}さる{{r|御|お}}{{r|使|つか}}ひであります。{{r|宿|しゆく}}{{r|世|せ}}の{{r|善根|ぜんこん}}が{{r|開発|かいはつ}}して、{{r|善|ぜん}}{{r|知|ち}}{{r|識|しき}}に{{r|逢|あ}}ふと{{r|云|い}}ふことがなかつたならば、{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}は{{r|出来|でき}}ないのであります。
けれども{{r|憑|たよ}}りにすべき{{r|弥陀|みだ}}を{{r|棄|す}}てゝしまつて、たゞ{{r|善|ぜん}}{{r|知|ち}}{{r|識|しき}}だけを{{r|本|もと}}とすることは{{r|大変|たいへん}}な{{r|誤|あやま}}りであると{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ねばなりませぬ。あなかしこ{{ku}}。
::{{r|文明|ぶんめい}}六{{r|年|ねん}}五{{r|月|ぐわつ}}二十{{r|日|か}}
==<b>二〇</b> (三の九)==
:::《原文》
抑、今日は鸞聖人の御明日として、かならず報恩謝徳のこゝろざしを、はこばざる人これすくなし。しかれども、かの諸人のうへにおひて、あひこゝろうべきをもむきは、もし本願他力の、眞實信心を獲得せざらん未安心のともがらは、今日にかぎりて、あながちに出仕をいたし、この講中の座敷を、ふさぐをもて、眞宗の肝要とばかり、おもはん人は、いかでか、わが聖人の御意には、あひかなひがたし。しかりといへども、わが在所にありて、報謝のいとなみをも、はこばざらんひとは、不請にも出仕をいたしても、しかるべき歟。
されば、毎月二十八日ごとに、かならず出仕をいたさんと、おもはんともがらにおひては、あひかまへて、日ごろの信心のとほり決定せざらん未安心のひとも、すみやかに、本願眞實の、他力信心をとりて、わが身の今度の報土往生を決定せしめんこそ、まことに聖人報恩謝徳の懇志にあひかなふべけれ。また自身の極楽往生の一途も治定しをはりぬべき道理なり。これすなはち、まことに自信教人信、難中轉更難、大悲傳普化、眞成報佛恩といふ釈文のこゝろにも符合せるものなり。
夫、聖人御入滅は、すでに一百餘歳を経といへども、かたじけなくも、目前におひて、眞影を拝したてまつる。又徳音は、はるかに無常のかぜに、へだつといへども、まのあたり實語を相承血脉して、あきらかに耳のそこにのこして、一流の他力眞實の信心、いまに、たえせざるものなり。
これによりて、いまこの時節にいたりて、本願眞實の信心を獲得せしむる人なくば、まことに宿善のよほしにあづからぬ身とおもふべし。もし宿善開発の機にても、われらなくば、むなしく今度の往生は、不定なるべきこと、なげきても、なをかなしむべきは、たゞこの一事なり。
しかるに、いま本願の一道に、あひがたくして、まれに無上の本願にあふことをえたり、まことに、よろこびのなかの、よろこびなにごとか、これにしかん。たふとむべし信ずべし。
これによりて、年月日ごろ、わがこゝろのわろき迷心を、ひるがへして、たちまちに、本願一實の他力信心にもとづかんひとは、眞實に聖人の御意にあひかなふべし。これしかしながら、今日聖人の報恩謝徳の、御こゝろざしにも、あひそなはりつべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
::文明七年五月二十八日書之
:::《意訳》
そも{{ku}}、{{r|今日|こんにち}}は{{r|親鸞|しんらん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|御|ご}}{{r|命日|めいにち}}であるといふので、{{r|報恩|はうおん}}{{r|謝徳|しやとく}}の、{{r|志|こゝろざし}}をはこぶ{{r|人|ひと}}が{{r|甚|はなは}}だ{{r|多|おほ}}いのであります。けれども、それらの{{r|人々|ひと{{gu}}}}が、{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}ておかねばならぬことは、もし{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|真実|まこと}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|獲|ぎやく}}{{r|得|とく}}してゐない{{r|未|み}}{{r|安心|あんじん}}の{{r|人々|ひと{{gu}}}}が、{{r|今日|けふ}}に{{r|限|かぎ}}つて{{r|強|しひ}}て{{r|出|しゆつ}}{{r|仕|し}}をして、この{{r|講中|かうちう}}の{{r|座|ざ}}{{r|敷|しき}}を{{r|塞|ふさ}}ぐのを{{r|以|も}}て、{{r|真宗|しんしう}}の{{r|肝要|かんえう}}なことゝばかり{{r|思|おも}}うてゐるやうなことでは、どうして、わが{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|思|おぼし}}{{r|召|めし}}にかなひませう。しかし、この{{r|在所|ざいしよ}}にあつて{{r|報謝|はうしや}}の{{r|営|いとな}}みをもせぬやうな{{r|人|ひと}}は、{{r|心|こゝろ}}にそまずながらでも{{r|人並|ひとなみ}}に{{r|出|しゆつ}}{{r|仕|し}}をしても、まあよろしいでせう。
もし{{r|毎月|まいげつ}}の二十八{{r|日|にち}}{{r|毎|ごと}}に{{r|是非|ぜひ}}とも{{r|出|しゆつ}}{{r|仕|し}}をしようと{{r|思|おも}}ふ{{r|人々|ひと{{gu}}}}に{{r|於|おい}}ては、{{r|必|かなら}}ず{{r|日|ひ}}{{r|頃|ごろ}}{{r|教|をし}}へられた{{r|信心|しんじん}}のとほりを{{r|失|うしな}}はぬやうにし、また{{r|信心|しんじん}}の{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}せぬ{{r|未|み}}{{r|安心|あんじん}}の{{r|人|ひと}}にあつては、すみやかに{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|真実|しんじつ}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|え}}て、{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}の{{r|今|こん}}{{r|度|ど}}の{{r|報|はう}}{{r|土|ど}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}させるのが、{{r|本当|ほんたう}}に{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}への{{r|報恩|はうおん}}{{r|謝徳|しやとく}}の{{r|懇|こん}}{{r|志|し}}に、あひかなひませうし、また{{r|自|じ}}{{r|身|しん}}の{{r|極楽|ごくらく}}{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}の{{r|途|みち}}も、しかと{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}するわけがらであります。これが、{{r|善導|ぜんだう}}{{r|大|だい}}{{r|師|し}}の「{{r|自|みづか}}ら{{r|信|しん}}じ{{r|人|ひと}}をして{{r|信|しん}}ぜしむ。{{r|難|なん}}の{{r|中|なか}}{{r|轉|うた}}た{{r|更|さら}}に{{r|難|かた}}し。{{r|大|だい}}{{r|悲|ひ}}を{{r|傳|つた}}へて{{r|普|あまね}}く{{r|化|け}}す。{{r|眞|しん}}に{{r|報|はう}}{{r|佛恩|ぶつおん}}を{{r|成|じやう}}す。」とある{{r|釈|しやく}}{{r|文|もん}}のこゝろにも、{{r|最|もと}}もよく{{r|符|ふ}}{{r|合|がふ}}して{{r|居|を}}るものであります。
それ{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|御|ご}}{{r|入滅|にふめつ}}から、{{r|今日|けふ}}までは、すでに一百{{r|餘|よ}}{{r|歳|さい}}の{{r|年月|としつき}}を{{r|経|へ}}てゐますが、{{r|有難|ありがた}}いことには、{{r|目|め}}の{{r|前|まへ}}に{{r|御|ご}}{{r|真影|しんえい}}を{{r|拝|をが}}みあげ、またその{{r|御|み}}{{r|声|こゑ}}ははるかに{{r|無|む}}{{r|常|じやう}}の{{r|風|かぜ}}にへだてられて{{r|居|ゐ}}ますけれども、{{r|親|した}}しく{{r|真実|しんじつ}}の{{r|御|お}}{{r|言|こと}}{{r|葉|ば}}を{{r|血|けつ}}{{r|脈|みやく}}{{r|相|さう}}{{r|承|じやう}}して{{r|下|くだ}}されて、{{r|明|あきら}}かに{{r|耳|みゝ}}の{{r|底|そこ}}、{{r|心|こゝろ}}の{{r|中|うち}}へ{{r|残|のこ}}して{{r|下|くだ}}されましたから、一{{r|流|りう}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}{{r|真実|しんじつ}}の{{r|信心|しんじん}}は{{r|今|いま}}に{{r|少|すこ}}しも{{r|絶|た}}えて{{r|居|を}}らぬのであります。
よつて、いま、このやうな{{r|時|じ}}{{r|節|せつ}}に{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|真実|しんじつ}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|獲|ぎやく}}{{r|得|とく}}することが{{r|出来|でき}}ぬやうなら、それは{{r|宿|しゆく}}{{r|善|ぜん}}のもよほしに{{r|預|あづか}}らない{{r|身|み}}であると{{r|思|おも}}はねばなりません。もしわれ{{ku}}が{{r|宿|しゆく}}{{r|善|ぜん}}{{r|開発|かいはつ}}の{{r|出来|でき}}ぬやうな{{r|機|もの}}なら、{{r|今|こん}}{{r|度|ど}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}は{{r|不|ふ}}{{r|定|ぢやう}}と{{r|云|い}}はねばなりませぬ。{{r|実|じつ}}に{{r|歎|なげ}}いた{{r|上|うへ}}にも、なほ{{r|歎|なげ}}き{{r|悲|かな}}しむべきは、たゞこの{{r|事|こと}}ばかりであります。
{{r|然|しか}}るに、{{r|弥陀|みだ}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}の一{{r|道|だう}}には{{r|遇|あ}}ひ{{r|難|がた}}いにもかゝはらず、{{r|今|いま}}は、この{{r|上|うへ}}なき{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}に{{r|遇|あ}}ふことが{{r|出来|でき}}ましたのは{{r|喜|よろこ}}びの{{r|中|なか}}の{{r|喜|よろこ}}びで、{{r|何事|なにごと}}かこれに{{r|優|まさ}}るものがありませう。{{r|実|げ}}にも{{r|尊|たつと}}むべく{{r|信|しん}}ずべきことであります。
これによつて、{{r|久|ひさ}}しい{{r|間|あひだ}}{{r|迷|まよ}}ひつゞけて{{r|来|き}}た、{{r|自|じ}}{{r|力|りき}}のはからひの{{r|悪|わる}}い{{r|心|こゝろ}}をひるがへして、たゞちに{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}{{r|一実|いちじつ}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}にもとづく{{r|人|ひと}}は、それこそ{{r|本当|ほんたう}}に{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|思|おぼし}}{{r|召|めし}}にかなひませう。そしてこれが{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|報恩|はうおん}}{{r|謝徳|しやとく}}のお{{r|志|こゝろざし}}にも、かなふわけのものであります。あなかしこ{{ku}}。
::{{r|文明|ぶんめい}}七{{r|年|ねん}}五{{r|月|ぐわつ}}二十八{{r|日|にち}}にこれを{{r|書|か}}く。
==<b>二一</b> (四の二)==
:::《原文》
夫、人間の寿命をかぞふれば、いまのときの定命は、五十六歳なり。しかるに當時におひて、年五十六まで、いきのびたらん人は、まことにもて、いかめしきことなるべし。これによりて、予すでに頽齢六十三歳にせまれり。勘篇すれば、年ははや七年まで、いきのびぬ。
これにつけても、前業の所感なれば、いかなる、病患をうけてか死の縁にのぞまんと、おぼつかなし。これさらに、はからざる次第なり。
ことにもて當時の體たらくを、みをよぶに定相なき時分なれば、人間のかなしさは、おもふやうにもなし。あはれ、死なばやと、おもはゞ、やがて死なれなん世にてもあらば、などか今まで、この世にすみはんべらん。たゞいそぎても、むまれたきは極楽浄土、ねがふても、ねがひえんものは無漏の佛體なり。
しかれば、一念帰命の他力安心を、佛智より獲得せしめん身のうへにおひては、畢命已後まで、佛恩報盡のために、稱名をつとめんに、いたりては、あながちに、なにの不足ありてか、先生より、さだまれるところの死期を、いそがんも、かへりて、をろかに、まどひぬるかとも、おもひはんべるなり。このゆへに、愚老が身上にあてゝ、かくのごとくおもへり。たれのひとびとも、この心中に住すべし。
ことにても、この世界のならひは、老少不定にして、電光朝露のあだなる身なれば、今も無常のかぜ、きたらんことをば、しらぬ體にて、すぎゆきて、後生をば、かつてねがはず、たゞ今生をば、いつまでも、いきのびんずるやうにこそ、おもひはんべれ、あさましといふも、なををろかなり。
いそぎ今日より、弥陀如来の他力本願をたのみ、一向に無量寿佛に帰命して、眞實報土の往生をねがひ、稱名念佛せしむべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
:干{{re}}時文明九年九月十七日、俄思出之間辰尅已前、早々書{{re}}之訖。
::::信證院 六十三歳
:かきをくも、ふでにまかする、ふみなれば、ことばのすゑぞ、をかしかりける。
:::《意訳》
それ{{r|人間|にんげん}}の{{r|寿|じゆ}}{{r|命|みやう}}を{{r|数|かぞ}}へてみるに、{{r|現今|げんこん}}の{{r|定命|ぢやうみやう}}は、五十六{{r|歳|さい}}であります。{{r|然|しか}}るに{{r|現|げん}}に、五十六{{r|歳|さい}}まで{{r|生|い}}きのびてをる{{r|人|ひと}}は、{{r|実|まこと}}にめづらしいことでありませう。{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}ももはや{{r|齢|よはい}}かたむきて六十三{{r|歳|さい}}になつてゐます。{{r|考|かんが}}へてみれば、{{r|年|とし}}は、もはや七{{r|年|ねん}}も{{r|生|い}}きのびてゐるわけであります。
{{r|就|つ}}いては、{{r|前|ぜん}}{{r|世|せ}}の{{r|業因|たね}}のもよほしによつては、どんな{{r|病|びやう}}{{r|気|き}}を{{r|受|う}}けて{{r|死|し}}ぬることやらと、{{r|心|こゝろ}}もとない{{r|次|し}}{{r|第|だい}}でありますが、これは、すこしも{{r|前|まへ}}{{r|以|も}}て{{r|知|し}}ることが{{r|出来|でき}}ぬところであります。
{{r|別|べつ}}して{{r|当|たう}}{{r|時|じ}}の{{r|有様|ありさま}}を{{r|見|み}}ますれば{{r|遷|うつ}}りかはりのはげしい{{r|時|じ}}{{r|分|ぶん}}でありますから、{{r|人間|にんげん}}の{{r|悲|かな}}しさには、なか{{ku}}{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}の{{r|思|おも}}ふやうになるものではありません。あゝもしもいつそ{{r|死|し}}なうと{{r|思|おも}}へば、すぐに{{r|死|し}}なれる{{r|世|よ}}の{{r|中|なか}}であつたなら、なんで{{r|今|いま}}までこの{{r|世|よ}}に{{r|住|す}}んで{{r|居|を}}りませうぞ。たゞ{{r|急|いそ}}いで{{r|生|うま}}れたい{{r|所|ところ}}は{{r|極楽|ごくらく}}{{r|浄|じやう}}{{r|土|ど}}、{{r|願|ねが}}うたうへにも{{r|願|ねが}}うて{{r|得|え}}たいものは、{{r|煩悩|なやみ}}のない{{r|仏体|ぶつたい}}であります。
されば、一{{r|念|ねん}}{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}{{r|安心|あんじん}}を、{{r|仏|ぶつ}}{{r|智|ち}}によつて{{r|得|え}}させてもらふ{{r|身|み}}の{{r|上|うへ}}にとつては、{{r|命|いのち}}の{{r|終|をは}}るまで、{{r|仏恩|ぶつおん}}{{r|報謝|はうしや}}のために{{r|称名|しやうみやう}}をつとめることにいたしますれば、{{r|何|なに}}の{{r|不|ふ}}{{r|足|そく}}があつてか、{{r|前|ぜん}}{{r|世|せ}}から{{r|定|さだ}}まつてゐるところの{{r|死期|しご}}を{{r|強|しひ}}て{{r|急|いそ}}ぐのは、{{r|却|かへ}}つて{{r|愚|おろか}}なことで、それこそ{{r|迷|まよ}}ひに{{r|陥|おち}}いつてゐるのであらうと{{r|思|おも}}はれます。よつて{{r|愚|ぐ}}{{r|老|らう}}が{{r|身|み}}の{{r|上|うへ}}に{{r|引|ひ}}きあてゝ、かやうに{{r|思|おも}}ふのでありますが、{{r|誰|たれ}}でも、かういふ{{r|心中|しんちう}}になつてをればよいと{{r|思|おも}}ふのであります。
ことに、この{{r|世|せ}}{{r|界|かい}}の{{r|有様|ありさま}}は、いはゆる{{r|老少|らうせう}}{{r|不|ふ}}{{r|定|ぢやう}}で、{{r|電|いなづま}}の{{r|光|ひかり}}か{{r|朝|あさ}}の{{r|露|つゆ}}のやうな、はかない{{r|身|み}}の{{r|上|うへ}}でありますから、{{r|今|いま}}にも{{r|無|む}}{{r|常|じやう}}の{{r|風|かぜ}}が{{r|吹|ふ}}いて{{r|来|く}}るのをば{{r|知|し}}らぬやうに{{r|過|すご}}して{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}をば、すこしもねがはず、たゞこの{{r|世|よ}}に、いつ{{ku}}までも{{r|生|い}}きのびてゞも{{r|居|を}}られるやうに{{r|思|おも}}つてゐます。{{r|浅|あさ}}{{r|間|ま}}しいと{{r|申|まう}}すのもなほ{{r|愚|おろか}}なことであります。
{{r|急|いそ}}いで{{r|今日|こんにち}}から{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}を{{r|恃|たの}}み、ひたすら{{r|無|む}}{{r|量|りやう}}{{r|寿|じゆ}}{{r|仏|ぶつ}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}して、{{r|真実|まこと}}の{{r|報|はう}}{{r|土|ど}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}をねがひ{{r|称名|しやうみやう}}{{r|念仏|ねんぶつ}}せねばなりません。あなかしこ{{ku}}。
:{{r|時|とき}}に{{r|文明|ぶんめい}}九{{r|年|ねん}}九{{r|月|ぐわつ}}十七{{r|日|にち}}、{{r|急|きふ}}に{{r|思|おも}}ひ{{r|出|だ}}したので、{{r|朝|あさ}}{{r|早|はや}}くこれを{{r|書|か}}いてしまひました。
::::{{r|信|しん}}{{r|證|しよう}}{{r|院|ゐん}} 六十三{{r|歳|さい}}
:{{r|書|か}}きおくも、{{r|筆|ふで}}にまかするふみなれば、ことばのすゑぞをかしかりける。
==<b>二二</b> (四の四)==
:::《原文》
夫、秋もさり春もさりて、年月ををくること、昨日もすぎ、今日もすぐ、いつのまにかは、年老のつもるらんともおぼへず、しらざりき。しかるに、そのうちには、さりともあるひは、花鳥風月のあそびにも、まじはりつらん。また歓楽苦痛の悲喜にも、あひはんべりつらんなれども、いまに、それとも、おもひいだすことゝてはひとつもなし。たゞ、いたづらにあかし、いたづらにくらして、老のしらがと、なりはてぬる身のありさまこそかなしけれ。されども今日までは、無常のはげしき風にも、さそはれずして、我身のありかほの體を、つら{{ku}}案ずるに、たゞゆめのごとし、まぼろしのごとし。いまにおひては生死出離の一道ならでは、ねがふべきかたとては、ひとつもなく、またふたつもなし。
これによりて、こゝに未来悪世の、われらごときの衆生を、たやすく、たすけたまふ阿弥陀如来の本願の、ましますときけば、まことに、たのもしく、ありがたくも、おもひはんべるなり。この本願を、たゞ一念無疑に至心帰命したてまつれば、わづらひもなく、そのとき臨終せば、往生治定すべし。もし、そのいのちのびなば、一期のあひだは、仏恩報謝のために、念仏して畢命を期とすべし。これすなはち平生業成のこゝろなるべしと、たしかに聴聞せしむるあひだ、その決定の信心のとほり、いまに耳のそこに退転せしむることなし。ありがたしといふも、なををろかなるものなり。
されば、弥陀如来他力本願のたふとさ、ありがたさのあまり、かくのごとく、くちにうかぶにまかせて、このこゝろを詠歌にいはく、
::ひとたびも、ほとけをたのむ、こゝろこそ、まことののりにかなふみちなれ。
::つみふかく、如来をたのむ、身になれば、のりのちからに、西へこそゆけ。
::法をきく、みちにこゝろの、さだまれば、南無阿弥陀仏と、となへこそすれ。
我身ながらも、本願の一法の殊勝なるあまり、かくまうしはんべりぬ。
この三首の歌のこゝろは、はじめは、一念帰命の信心決定のすがたを、よみはんべりぬ。のちの歌は、入正定聚の益、必至滅度の、こゝろを、よみはんべりぬ。次のこゝろは、慶喜金剛の信心のうへには、知恩報徳のこゝろを、よみはんべりしなり。
されば、他力の信心発得せしむるうへなれば、せめては、かやうに、くちずさみても、仏恩報盡のつとめにもや、なりぬべきともおもひ、又きくひとも、宿縁あらば、などやおなじこゝろに、ならざらんと、おもひはんべりしなり。
しかるに予すでに七旬のよはひにおよび、ことに愚闇無才の身として、片腹いたくも、かくのごとく、しらぬゑせ法門をまうすこと、かつは斟酌をもかへりみず、たゞ本願の、ひとすぢの、たふとさばかりのあまり、卑劣のこのことの葉を、筆にまかせて、かきしるしをはりぬ。のちにみん人そしりをなさゞれ。これまことに讃仏乗の縁、転法輪の因ともなりはんべりぬべし。あひかまへて、偏執をなすこと、ゆめ{{ku}}なかれ。あなかしこ{{ku}}。
:干{{re}}時文明年中丁酉暮冬仲旬之比於{{2}}爐邊{{1}}暫時書{{2}}記之{{1}}者也云々。
:右この書は當所はりの木原邊より九間在家へ佛照寺所用事ありて出行のとき、路次にて、この書をひらひて當坊へもちきたれり。
::文明九年十二月二日
:::《意訳》
それ{{r|秋|あき}}も{{r|去|さ}}り{{r|春|はる}}も{{r|去|さ}}つて、{{r|年月|としつき}}を{{r|送|おく}}ることは、まことに{{r|早|はや}}く、{{r|昨日|きのふ}}も{{r|過|す}}ぎ{{r|今日|けふ}}も{{r|過|す}}ぎ、いつのまにやら{{r|年齢|とし}}を{{r|取|と}}るのを一{{r|向|かう}}{{r|気|き}}づかず{{r|知|し}}らずに{{r|暮|くら}}して{{r|来|き}}ました。それでも、たまには、{{r|花|はな}}や{{r|鳥|とり}}や{{r|風|かぜ}}や{{r|月|つき}}の{{r|遊|あそ}}びに{{r|交|まじは}}つたこともあつたらうし、また{{r|歓|くわん}}{{r|楽|らく}}や{{r|苦|く}}{{r|痛|つう}}の{{r|悲喜|かなしみよろこび}}に{{r|出逢|であ}}うたこともあつたらう。けれども{{r|今|いま}}では、それらしい{{r|思|おもひ}}{{r|出|で}}は一つもありません。たゞ、いたづらに{{r|明|あか}}し、いたづらに{{r|暮|くら}}して、こんな{{r|老|お}}いの{{r|白髪|しらが}}となつてしまつた{{r|身|み}}の{{r|有様|ありさま}}こそは、かへす{{gu}}も、なげかはしい{{r|次|し}}{{r|第|だい}}であります。しかし、{{r|今日|けふ}}までは、{{r|無|む}}{{r|常|じやう}}のはげしい{{r|風|かぜ}}にも{{r|誘|さそ}}はれないで、いつまでも{{r|生|い}}き{{r|長|なが}}らへてゐられるやうに{{r|思|おも}}うて{{r|過|すご}}して{{r|来|き}}たが、よく{{ku}}{{r|考|かんが}}へてみると、{{r|實|まこと}}に{{r|夢|ゆめ}}{{r|幻|まぼろし}}のやうな{{r|心|こゝ}}{{r|地|ち}}が{{r|致|いた}}します。もはや{{r|今|いま}}となつては、{{r|生死|まよひ}}を{{r|出|しゆつ}}{{r|離|り}}するといふこと{{r|以|い}}{{r|外|ぐわい}}には、{{r|別|べつ}}にねがふことゝいうては一つもありません。もちろん二つもありません。
そこで、{{r|今|いま}}{{r|未|み}}{{r|来|らい}}{{r|悪|あく}}{{r|世|せ}}の、われ{{ku}}のやうな{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}をたやすく{{r|助|たす}}けてくださる{{r|爲|ため}}に、お{{r|建|た}}て{{r|下|くだ}}された{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|御|ご}}{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}のあると{{r|云|い}}ふことを{{r|聞|き}}いたなら、それこそ{{r|眞|しん}}にたのもしく{{r|有難|ありがた}}く{{r|思|おも}}はれるのであります。この{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}を一{{r|念|ねん}}の{{r|疑|うたが}}ひもなく、たゞ{{r|至|し}}{{r|心|しん}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}いたしましたなれば、もしその{{r|時|とき}}に{{r|臨|りん}}{{r|終|じゆう}}しましても、{{r|何|なに}}のわづらひもなく、{{r|何|なに}}の{{r|造|ざう}}{{r|作|さ}}もなく、{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}させていたゞけます。もしまた{{r|生|い}}きのびたなら、一{{r|生|しやう}}{{r|涯|がい}}{{r|仏恩|ぶつおん}}{{r|報謝|はうしや}}のために{{r|念仏|ねんぶつ}}を{{r|唱|とな}}へ、{{r|命|いのち}}の{{r|終|をは}}るまでを{{r|限|かぎ}}りとしなさい。これがすなはち{{r|平生|へいぜい}}{{r|業|ごふ}}{{r|成|じやう}}のこゝろであると、たしかに{{r|聴|ちやう}}{{r|聞|もん}}{{r|致|いた}}しましたから、その{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}の{{r|信心|しんじん}}のとほりに、{{r|今|いま}}もなほ{{r|耳|みゝ}}の{{r|底|そこ}}に{{r|残|のこ}}つてゐまして、いまだ一{{r|度|ど}}も{{r|退転|たいてん}}したことはありません。まことに{{r|有難|ありがた}}いと{{r|云|い}}ふのもおろかなことであります。
そこで{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|他|た}}{{r|力|りき}}{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}の{{r|尊|たつと}}さ{{r|有難|ありがた}}さを{{r|思|おも}}ふの{{r|餘|あま}}り、{{r|口|くち}}に{{r|浮|うか}}ぶにまかせて、この{{r|心|こゝろ}}を{{r|歌|うた}}に{{r|詠|よ}}みました。
::ひとたびも、{{r|佛|ほとけ}}をたのむ、こゝろこそ、まことの{{r|法|のり}}に、かなふ{{r|道|みち}}なれ。
::つみふかく、{{r|如来|によらい}}をたのむ、{{r|身|み}}になれば、{{r|法|のり}}の{{r|力|ちから}}に、{{r|西|にし}}へこそ{{r|行|ゆ}}け。
::{{r|法|のり}}を{{r|聞|き}}く、みちにこゝろの、さだまれば、{{r|南無阿彌陀|なもあみだ}}{{r|佛|ぶつ}}ととなへこそすれ。
{{r|愚|おろか}}な{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}ながら、{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}の一{{r|法|ほふ}}の、あまりに{{r|殊|しゆ}}{{r|勝|しよう}}なのに{{r|感|かん}}じて、かう{{r|詠|よ}}んだわけであります。
この三{{r|首|しゆ}}の{{r|歌|うた}}のこゝろは、{{r|初|はじ}}めの一{{r|首|しゆ}}は、一{{r|念|ねん}}{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}の{{r|信心|しんじん}}{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}のすがたを{{r|詠|よ}}んだのであります。{{r|次|つぎ}}の{{r|歌|うた}}は、この{{r|土|ど}}で{{r|得|う}}る{{r|正定|しやうぢやう}}{{r|聚|じゆ}}に{{r|入|い}}る{{r|利|り}}{{r|益|やく}}のこゝろを{{r|詠|よ}}んだのであります。また{{r|第|だい}}三の{{r|歌|うた}}は、{{r|慶喜|よろこび}}の{{r|金剛|こんがう}}の{{r|信心|しんじん}}のうへからは{{r|恩|おん}}を{{r|知|し}}り{{r|徳|とく}}を{{r|報|はう}}ずるの{{r|思|おも}}ひがなければならぬと{{r|云|い}}ふこゝろを{{r|詠|よ}}んだのであります。
されば{{r|他|た}}{{r|力|りき}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|発得|ほつとく}}した{{r|後|のち}}のことでありますから、せめては、かやうに{{r|口吟|くちずさ}}んでゞも、あるひは{{r|仏恩|ぶつおん}}{{r|報謝|はうしや}}のつとめにならうかとも{{r|思|おも}}ひ、またこれを{{r|聞|き}}く{{r|人|ひと}}の{{r|方|はう}}でも、{{r|宿|しゆく}}{{r|縁|えん}}があるなら、どうして{{r|同|おな}}じ{{r|心|こゝろ}}にならぬこともなからうかと{{r|思|おも}}うたわけであります。
それにしましても、{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}は、もはや{{r|齢|よはい}}も七十に{{r|近|ちか}}づき、{{r|殊|こと}}に{{r|愚|ぐ}}{{r|闇|あん}}{{r|無|む}}{{r|才|さい}}の{{r|身|み}}で、かたはらいたくも、かやうなわからないことをまうすのは、もとより{{r|遠慮|えんりよ}}せねばならぬはづでありますが、たゞ{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}のひとすぢのたふとさのあまりに、いやしいこの{{r|歌|うた}}を{{r|筆|ふで}}にまかせて{{r|書|か}}きしるしてしまつたのであります。どうか{{r|後|のち}}に{{r|見|み}}る{{r|人|ひと}}も{{r|譏|そし}}らぬやうにして{{r|頂|いたゞ}}きたいものであります。これはまことに{{r|仏法|ぶつほふ}}を{{r|讃嘆|さんだん}}する{{r|因|たね}}、{{r|法輪|ほふりん}}を{{r|転|てん}}ずる{{r|縁|えん}}ともなることゝおもひます。かへす{{gu}}も、{{r|偏|かたよ}}りたる{{r|見解|けんかい}}を{{r|固|こ}}{{r|執|しふ}}して、{{r|決|けつ}}して{{r|誤|ご}}{{r|解|かい}}することはなりませぬ。あなかしこ{{ku}}。
:{{r|時|とき}}に{{r|文明|ぶんめい}}九{{r|年|ねん}}十二{{r|月|ぐわつ}}{{r|中|ちう}}{{r|旬|じゆん}}の{{r|比|ころ}}、{{r|爐|いろり}}の{{r|邊|ほとり}}で{{r|暫時|しばし}}の{{r|間|あひだ}}に、これを{{r|書|か}}き{{r|記|しる}}したものであります。
:::<nowiki>*</nowiki> * * *
:{{r|右|みぎ}}のこの{{r|書|しよ}}は、{{r|当所|たうしよ}}はりの{{r|木|き}}{{r|原|はら}}{{r|辺|へん}}から九{{r|間|けん}}{{r|在|ざい}}{{r|家|け}}へ{{r|佛照|ぶつせう}}{{r|寺|じ}}が{{r|用|よう}}{{r|事|じ}}があつて{{r|行|い}}つた{{r|時|とき}}に、その{{r|路|みち}}で{{r|拾|ひろ}}うて{{r|当坊|たうぼう}}{{註|{{r|河内國|かはちのくに}}{{r|出|で}}{{r|口|くち}}{{r|御|ご}}{{r|坊|ばう}}}}へ{{r|持|も}}つて{{r|来|き}}ました。
:::{{r|文明|ぶんめい}}九{{r|年|ねん}}十二{{r|月|ぐわつ}}二{{r|日|か}}
==<b>二三</b> (四の九)==
:::《原文》
當時このごろ、ことのほかに疫癘とて、ひと死去す。これさらに疫癘によりて、はじめて死するにあらず、生れはじめしよりして、さだまれる定業なり、さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきやうに、みなひとおもへり。これまことに道理ぞかし。
このゆへに阿弥陀如来のおほせられけるやうは、末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみは、いかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をばかならず、すくふべしとおほせられたり。
かゝる時は、いよいよ阿弥陀仏を、ふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしと、おもひとりて、一向一心に弥陀を、たふときことゝ、うたがふこゝろつゆちりほども、もつまじきなり。
かくのごとく、こゝろえのうへには、ねてもさめても南無阿弥陀仏{{ku}}とまうすは、かやうに、やすくたすけまします、御ありがたさ御うれしさをまうす御禮のこゝろなり。これすなはち仏恩報謝の念仏とはまうすなり。あなかしこ{{ku}}。
::延徳四年六月 日{{sic}}
:::《意訳》
{{r|近頃|ちかごろ}}は、{{r|格別|かくべつ}}に{{r|疫癘|えきれい}}にかゝつて{{r|人|ひと}}が{{r|死|し}}にますが、これは{{r|少|すこ}}しも{{r|疫癘|えきれい}}のために、はじめて{{r|死|し}}ぬのではなくて、{{r|生|うま}}れた{{r|時|とき}}からしてさだまつてゐる{{r|定|ぢやう}}{{r|業|ごふ}}であります。してみれば、それほど{{r|深|ふか}}く{{r|驚|おどろ}}くにはおよばぬことであります。けれども{{r|今時|いまどき}}になつて{{r|死|し}}ねば、さも{{r|疫癘|えきれい}}のために{{r|死|し}}んだやうに{{r|皆|みな}}{{r|人|ひと}}が{{r|思|おも}}ひます。これは、いかさま{{r|尤|もつと}}もな{{r|次|し}}{{r|第|だい}}であります。
そこで{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}は、「{{r|末代|まつだい}}の{{r|凡|ぼん}}{{r|夫|ぶ}}、{{r|罪|つみ}}はいかほど{{r|深|ふか}}からうとも、{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}を一{{r|心|しん}}に{{r|恃|たの}}みにする{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}は、{{r|必|かなら}}ず{{r|救|すく}}つてやる」と{{r|仰|あふ}}せられてゐます。
かやうな{{r|時|じ}}{{r|節|せつ}}には、ます{{ku}}{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}を{{r|深|ふか}}く{{r|恃|たの}}みにして、{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}させていたゞくと{{r|思|おも}}うて、一{{r|向|かう}}一{{r|心|しん}}に{{r|弥陀|みだ}}を{{r|尊|たふと}}み{{r|信|しん}}じて、{{r|疑|うたが}}ひの{{r|心|こゝろ}}はつゆちりほども{{r|持|も}}つてはならぬのであります。
かう{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}たうへは、ねてもさめても{{r|南無阿弥陀|なもあみだ}}{{r|仏|ぶつ}}{{r|々|{{ku}}}}{{r|々|{{ku}}}}{{r|々|{{ku}}}}と{{r|申|まう}}すのは、かやうにたやすくお{{r|助|たす}}けくださる{{r|御有難|おんありがた}}さ{{r|御嬉|おんうれ}}しさのお{{r|礼|れい}}をのべるこゝろであります。これをば{{r|仏恩|ぶつおん}}{{r|報謝|はうしや}}の{{r|念仏|ねんぶつ}}と{{r|申|まう}}すのであります。あなかしこ{{ku}}。
::{{r|延徳|えんとく}}四{{r|年|ねん}}六{{r|月|ぐわつ}}{{r|日|ひ}}
==<b>二四</b> (四の一二)==
:::《原文》
抑、毎月両度の寄合の由来は、なにのためぞといふに、さらに他のことにあらず、自身の往生極楽の信心獲得のためなるがゆへなり。
しかれば、往古よりいまにいたるまでも、毎月の寄合といふことは、いづくにも、これありといへども、さらに信心の沙汰とては、かつてもてこれなし。ことに近年は、いづくにも寄合のときは、たゞ酒飯茶なんどばかりにて、みな{{ku}}退散せり、これは仏法の本意には、しかるべからざる次第なり。いかにも不信の面々は、一段の不審をもたてゝ、信心の有無を沙汰すべきところに、なにの所詮もなく退散せしむる條しかるべからずおぼへはんべり。よく{{ku}}思案をめぐらすべきことなり。所詮、自今已後におひては、不信の面々は、あひたがひに信心の讃嘆あるべきこと肝要なり。
それ當流の安心のをもむきといふは、あながちに、わが身の罪障のふかきによらず、たゞもろ{{ku}}の雑行のこゝろをやめて、一心に阿弥陀如来に帰命して、今度の一大事の後生たすけたまへと、ふかくたのまん衆生をば、こと{{gu}}くたすけたまふべきこと、さらにうたがひ、あるべからず。かくのごとく、こゝろえたる人は、まことに百即百生なるべきなり。
このうへには、毎月の寄合をいたしても、報恩謝徳のためと、こゝろえなば、これこそ眞實の信心を具足せしめたる行者とも、なづくべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
::明應七年二月二十五日書之
:::毎月両度講衆中へ 八十四歳
:::《意訳》
そも{{ku}}{{r|毎|まい}}{{r|月|ぐわつ}}二{{r|度|ど}}の{{r|寄合|よりあひ}}のいはれは、{{r|何|なに}}のためであるかといふのに、{{r|更|さら}}に{{r|別|べつ}}のことではありません、たゞ{{r|自|じ}}{{r|身|しん}}の{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}{{r|極楽|ごくらく}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|う}}るがためであります。
それゆゑ{{r|昔|むかし}}から{{r|今|いま}}に{{r|至|いた}}るまで、{{r|毎|まい}}{{r|月|ぐわつ}}の{{r|寄合|よりあひ}}といふことはどこにもありますけれども、{{r|更|さら}}に{{r|信心|しんじん}}の{{r|沙汰|さた}}に{{r|就|つ}}いての{{r|話|はなし}}は、{{r|以|い}}{{r|前|ぜん}}より一{{r|向|かう}}にありません。{{r|殊|こと}}に{{r|近年|きんねん}}はどこでも、{{r|寄合|よりあひ}}の{{r|時|とき}}は、たゞ{{r|酒|さけ}}や{{r|御|ご}}{{r|飯|はん}}や{{r|御|お}}{{r|茶|ちゃ}}などの{{r|飲|いん}}{{r|食|しよく}}だけでみんなが{{r|帰|かへ}}りますが、これは{{r|決|けつ}}して{{r|仏法|ぶつぽふ}}の{{r|本|ほん}}{{r|意|い}}には{{r|相応|さうおう}}せないのであります。いかにも{{r|信心|しんじん}}の{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}しておらぬ{{r|人々|ひと{{gu}}}}は、それ{{gu}}{{r|不|ふ}}{{r|審|しん}}を{{r|申|まう}}し{{r|出|だ}}して、{{r|信心|しんじん}}の{{r|有無|うむ}}を{{r|話|はな}}しあふべき{{r|筈|はず}}でありますのに、{{r|何|なに}}の{{r|所詮|しよせん}}もなしに{{r|帰|かへ}}つてしまふことは、まことに{{r|然|しか}}るべからざることだと{{r|思|おも}}はれます。とくと{{r|考|かんが}}へてみねばなりません。それで{{r|今|こん}}{{r|後|ご}}におきましては、まだ{{r|信心|しんじん}}の{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}してをらぬ{{r|人々|ひと{{gu}}}}は、お{{r|互|たがひ}}に{{r|信心|しんじん}}の{{r|話|はなし}}をしあふといふことが{{r|肝心|かんじん}}であります。
{{r|大体|だいたい}}、{{r|当流|たうりう}}の{{r|安心|あんじん}}の{{r|趣|しゆ}}{{r|意|い}}と{{r|云|い}}ふのは、しひて{{r|自|じ}}{{r|分|ぶん}}の{{r|罪|つみ}}や{{r|障|さはり}}の{{r|深|ふか}}い{{r|浅|あさ}}いによるのではなく、たゞもろ{{ku}}の{{r|雑|ざふ}}{{r|行|ぎやう}}を{{r|積|つ}}まうとする{{r|心|こゝろ}}をやめて、一{{r|心|しん}}に{{r|阿弥陀|あみだ}}{{r|如来|によらい}}に{{r|帰|き}}{{r|命|みやう}}して、{{r|今|こん}}{{r|度|ど}}の一{{r|大|だい}}{{r|事|じ}}の{{r|後|ご}}{{r|生|しやう}}をお{{r|助|たす}}けくださることゝ{{r|深|ふか}}く{{r|恃|たの}}みにする{{r|衆|しゆ}}{{r|生|じやう}}をば、こと{{gu}}く{{r|助|たす}}けてくださることは、{{r|決|けつ}}して{{r|疑|うたが}}ひがありません。かう{{r|心|こゝろ}}{{r|得|え}}てゐる{{r|人|ひと}}は、{{r|実|まこと}}に百{{r|人|にん}}は百{{r|人|にん}}とも、みな{{r|極楽|ごくらく}}に{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}することが{{r|出来|でき}}るのであります。
このうへは、{{r|毎|まい}}{{r|月|ぐわつ}}{{r|寄合|よりあひ}}をしても、{{r|報恩|はうおん}}{{r|謝徳|しやとく}}のためと{{r|心|こゝろ}}{{r|得|う}}るなら、それこそ{{r|真実|まこと}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|具|そな}}へてゐる{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}というて{{r|然|しか}}るべきであります。あなかしこ{{ku}}。
::{{r|明応|めいおう}}七{{r|年|ねん}}二{{r|月|ぐわつ}}二十五{{r|日|にち}}にこれを{{r|書|か}}く。
:::{{r|毎|まい}}{{r|月|ぐわつ}}{{r|両|りやう}}{{r|度|ど}}{{r|講衆中|かうしゆちう}}へ 八十四{{r|歳|さい}}
==<b>二五</b> (四の一五)==
:::《原文》
抑、當國攝州、東成郡、生玉の庄内、大阪といふ在所は、往古より、いかなる約束のありけるにや、さんぬる明應第五の秋下旬のころより、かりそめながら、この在所をみそめしより、すでに、かたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ、當年ははやすでに、三年の星霜をへたりき、これすなはち、往昔の宿縁あさからざる因縁なりとおぼえはんべりぬ。
それについて、この在所に居住せしむる根元は、あながちに一生涯を、こゝろやすくすごし、栄華栄耀をこのみ、また花鳥風月にもこゝろをよせず、あはれ無上菩提のためには、信心決定の行者も繁昌せしめ、念仏をも、まうさんともがらも、出来せしむるやうにも、あれかしと、おもふ一念の、こゝろざしを、はこぶばかりなり。
またいさゝかも、世間の人なんども、偏執のやからもあり、むつかしき題目なんども、出来あらんときは、すみやかに、この在所におひて、執心のこゝろをやめて、退出すべきものなり。
これによりて、いよ{{ku}}貴賎道俗をえらばず、金剛堅固の信心を決定せしめんこと、まことに弥陀如来の本願にあひかなひ、別しては聖人の御本意に、たりぬべきもの歟。
それについては、愚老、すでに當年は、八十四歳まで存命せしむる條不思議なり。まことに、當流法義にも、あひかなふ歟のあひだ本望のいたり、これにすぐべからざるもの歟。
しかれば、愚老、當年の夏ごろより違例せしめて、いまにおいて本復のすがたこれなし、つゐには當年寒中にはかならず往生の本懐をとぐべき條一定とおもひはんべり。あはれあはれ存命のうちに、みな{{ku}}信心決定あれかしと朝夕おもひはんべり。まことに宿善まかせとは、いひながら、述懐のこゝろ、しばらくも、やむことなし。または、この在所に、三年の居住をふる、その甲斐ともおもふべし。
あひかまへて{{ku}}、この一七箇日報恩講のうちにおひて、信心決定ありて、我人一同に往生極楽の本意を、とげたまふべきものなり。あなかしこ{{ku}}。
::明應七年十一月二十一日より、はじめて、これをよみて、人々に信をとらすべきものなり。
:::《意訳》
そも{{ku}}{{r|当国|たうこく}}{{r|摂州|せつしう}}{{r|東|ひがし}}{{r|成|なり}}{{r|郡|こほり}}{{r|生玉|いくだま}}の{{r|庄|しやう}}{{r|内|ない}}{{r|大阪|おほさか}}といふ{{r|所|ところ}}は、{{r|昔|むかし}}からどういふ{{r|約束|やくそく}}があつたのか、{{r|去|さ}}る{{r|明応|めいおう}}五{{r|年|ねん}}九{{r|月|ぐわつ}}{{r|下|げ}}{{r|旬|じゆん}}のころ、ふとしたことから、この{{r|所|ところ}}を{{r|見初|みそ}}め{{r|足|あし}}をとゞめて、もはや、こんな一{{r|宇|う}}の{{r|坊舎|ばうじや}}を{{r|建立|こんりふ}}させ、{{r|当年|たうねん}}で、はやくもすでに三{{r|年|ねん}}の{{r|月|つき}}{{r|日|ひ}}を{{r|送|おく}}つて{{r|来|き}}ました。これは{{r|全|また}}く{{r|昔|むかし}}からの{{r|宿|しゆく}}{{r|縁|えん}}が{{r|深|ふか}}いわけであると{{r|思|おも}}はれます。
ついては、この{{r|所|ところ}}に{{r|住|す}}んでゐるわけは、{{r|強|しひ}}て一{{r|生|しやう}}{{r|涯|がい}}を{{r|気|き}}{{r|楽|らく}}に{{r|暮|くら}}したり、{{r|栄耀|えいえう}}{{r|栄華|えいぐわ}}を{{r|好|この}}んだり、また{{r|花|はな}}や{{r|鳥|とり}}や{{r|風|かぜ}}や{{r|月|つき}}に{{r|心|こゝろ}}を{{r|寄|よ}}せたりするのではありません。あゝどうかして、この{{r|上|うへ}}もなき{{r|菩|ぼ}}{{r|提|だい}}のために、{{r|信心|しんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}する{{r|行|ぎやう}}{{r|者|じや}}を{{r|多|おほ}}く{{r|出|だ}}し、{{r|念仏|ねんぶつ}}をまうす{{r|人々|ひと{{gu}}}}も{{r|出|で}}てこさしたいものであると{{r|思|おも}}ふ一{{r|念|ねん}}の{{r|志|こゝろざし}}をあらはしたまでのことであります。
またもし{{r|世|せ}}{{r|間|けん}}の{{r|人|ひと}}などの{{r|中|なか}}で{{r|少|すこ}}しでも{{r|片|かた}}{{r|意地|いぢ}}なことを{{r|云|い}}ひ{{r|出|だ}}すものがあつたり、むつかしい{{r|難題|なんだい}}などを{{r|云|い}}ひかけたりしたならば、{{r|早速|さつそく}}この{{r|所|ところ}}に{{r|未|み}}{{r|練|れん}}を{{r|残|のこ}}さず{{r|退去|たいきよ}}してよいのであります。
これによつて、ます{{ku}}{{r|貴|たつと}}きも{{r|賎|いや}}しきも{{r|道|だう}}と{{r|云|い}}はず{{r|俗|ぞく}}と{{r|云|い}}はず、そのへだてなく、{{r|金剛|こんがう}}{{r|堅|けん}}{{r|固|ご}}の{{r|信心|しんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}させる{{r|事|こと}}が、{{r|実|まこと}}に{{r|弥陀|みだ}}{{r|如来|によらい}}の{{r|本|ほん}}{{r|願|ぐわん}}にもかなひ、{{r|別|べつ}}して{{r|親鸞|しんらん}}{{r|聖|しやう}}{{r|人|にん}}の{{r|思|おぼし}}{{r|召|めし}}に{{r|相応|さうおう}}するわけであると{{r|思|おも}}はれます。
{{r|就|つ}}いては{{r|愚老|わたくし}}は、もはや{{r|当年|たうねん}}は八十四{{r|歳|さい}}となりましたが、こんなに{{r|存命|ぞんめい}}して{{r|来|き}}たのも{{r|不思議|ふしぎ}}なことであります。まことに{{r|当流|たうりう}}の{{r|法|ほふ}}{{r|義|ぎ}}にも、かなふと{{r|思|おも}}はれて、{{r|本望|ほんぼう}}そのうへもないわけであります。
{{r|然|しか}}るに、{{r|愚老|わたくし}}は{{r|当年|たうねん}}の{{r|夏|なつ}}ごろから{{r|病|びやう}}{{r|気|き}}になりまして、{{r|今|いま}}に一{{r|向|かう}}{{r|本復|ほんぷく}}の{{r|様|やう}}{{r|子|す}}も{{r|見|み}}えませぬ。{{r|遂|つひ}}には{{r|当年|たうねん}}の{{r|寒中|かんぢう}}には、{{r|必|かなら}}ず{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}の{{r|本|ほん}}{{r|懐|くわい}}を{{r|遂|と}}げることにきまつてあると{{r|思|おも}}はれます。あゝ、どうか{{r|存命|ぞんめい}}の{{r|中|うち}}に、みなのものが{{r|信心|しんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}してくださるればよいがと、{{r|朝夕|あさゆふ}}{{r|思|おも}}ひつゞけてゐます。まことに{{r|宿|しゆく}}{{r|善|ぜん}}まかせとはいふものゝ、{{r|残|のこ}}りおほく{{r|思|おも}}ふこゝろが、しばらくも{{r|絶|た}}え{{r|間|ま}}がありません。もし{{r|存命|ぞんめい}}の{{r|中|うち}}に、みなのものゝ{{r|信心|しんじん}}が{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}して{{r|下|くだ}}されたなら、この{{r|所|ところ}}に三{{r|年|ねん}}{{r|間|かん}}{{r|住|す}}んで{{r|居|ゐ}}た、その{{r|甲斐|かひ}}があつたと{{r|思|おも}}はれます。
くれ{{gu}}も、この一七ヶ{{r|日|にち}}の{{r|報恩講|はうおんかう}}の{{r|間|あひだ}}に{{r|信心|しんじん}}を{{r|決|けつ}}{{r|定|ぢやう}}せられて、われも{{r|人|ひと}}も一{{r|同|どう}}に、{{r|極楽|ごくらく}}{{r|往|わう}}{{r|生|じやう}}の{{r|本|ほん}}{{r|意|い}}を{{r|遂|と}}げられたいものであります。あなかしこ{{ku}}。
::{{r|明応|めいおう}}七{{r|年|ねん}}十一{{r|月|ぐわつ}}二十一{{r|日|にち}}からはじめて、七{{r|日|か}}の{{r|間|あひだ}}これを{{r|読|よ}}んで、{{r|人々|ひと{{gu}}}}に{{r|信心|しんじん}}を{{r|得|え}}させて{{r|下|くだ}}さい。
== 出典 ==
* [http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977474 意訳聖典] 国立国会図書館 デジタルコレクション
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>姿も目のあたり映じて、武夫の强き腕も戰く。再び落ちさせ給へと云ふ、敦盛聽かず。後を顧みれば味方の軍兵雲霞の如くに滿ち{{ku}}たり。今はよも遁し參らせじ、名も無き人の手に亡はれ給はんより、同じうは直實が手にかけ奉りて後の御孝養をも仕らん、一念彌陀佛、即滅無量罪―大刀一閃、忽ち若武者の血に染みて紅なり。斯て西國の軍鎭まり、熊谷凱陣の日に迨んで、敢て勳功の賞に預らんことを思はず、弓矢の家を出でゝ、桑門に入り、剃髮緇衣、日の入る方の彌陀の淨土を念じ、西方に背を向けじと誓ひつゝ、一所不住の行脚に殘生を託したりとぞ。
評者或は此物語を讀んで、熊谷の行爲を難じ、其の是非曲直を疑ふものあらん。然り、夫れ或は然らん。されど柔和、<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>慈悲、仁愛は、武士の慘慄なる軍功を美化するの特質なりしことは、亦た此れに由りて知るを得べし。古語に曰く、『窮鳥懷に入る時は、獵夫も之を殺さず』と謂へるが、此一語は彼の特に基督敎徒の事業なりと思惟せられたる赤十字の、我國に其根脚を確立せる所以を說明するものにあらずや。吾人は、ゼネバ<!--底本「セネバ」-->同盟條約を耳にするに先だつ數十年、旣に大小說家馬琴よりして、屢ば敵の傷者を醫療するの物語を聞けり。由來武斷の氣質に富み、其訓育に秀でたるを以て聞えし薩藩にては、若殿原の間に音樂を嗜むの風行はれたり。其樂とは、鉦鼓殺伐の聲にも非らず、沙翁の所謂『血と死との囂しき前驅』の吾人を刺勵して、豺狼の行爲を學ばしむるものにもあらず。却つて是れ嘈々切々たる琵琶の音の、<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>猛き心を和げ、思を腥風血雨の外に馳せしむるものなりき。希臘の史家ポリビアスの傳ふる所によれば、徃古アルカヂアに於ては、其嚴慄なる風土の峻峭なる性情を賦與するを融和せんが爲、國法として三十歲以上の男子に課するに音樂を以てしたりと云ふ。而して史家は彼の荒凉なるアルカヂア山國の人民の、能く殘忍の性より免れたる所以のものは、一に此れを音樂の賜なりとせり。
凡そ我國到る處として、武士を敎ふるに溫雅の質、優美の性を以てせざるは無かりき。薩藩の如きは僅に其一例たるに過ぎず。白河樂翁公の、心に映るまゝを、そこはかと無く婉なる筆に記したるが中に云へることあり、『枕に通ふとも、咎無きものは、花の香、遠寺の鐘、霜夜の蟲の音は殊に哀<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>れなり』と。又た曰く、『憎くとも宥るすべきは、花の風、月の雲、うちつけに爭ふ人は、ゆるすのみかは』と。
かゝる婉雅の藻思を外に現はし、且つは之を培はんが爲、武士の間にも亦た詩歌を奬勵したるより、從つて、我國の詩歌には、悲壯、優雅兼ね至り、藹然として楮墨に溢るゝを見る。實に猛き武夫の心をも和ぐるは歌なりけり。粗剛の一武夫の物語とて、世に傳へらるゝもの、狂言綺語の末ながら、尙ほ能く此間の消息を云ひ得て詳かなり。
{{left/s|2em}}
そも大星の君子の智、よく衆人を精育なし、其人々の氣風によりてこれを敎ふる中にしも、大鷲文吾と聞えしは、忠直いはん方なけれど、生れつきての麁忽もの、{{r|心氣|こゝろ}}せわしき生立なりしが、由良之助は文吾にすゝめて、心<noinclude>{{left/e}}</noinclude><noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude><noinclude>{{left/s|2em}}</noinclude>氣ををさむることをまなぶべしとありければ、文吾は天性魯に等しき人なりければ、これを聞き、いかなる業を學びなば、心氣をしづむることあらんとのたづねに應じて、俳諧を學ばれよとぞをしへける。されば文吾はその日より師をもとめて習はんとなしけれども、さすがに初心のはづかしく、他には問はで、おのが宅につく{{gu}}案じ居たりしが、折節庭に鶯の初音ゆかしくさえづりけるゆゑ、こゝぞ風流とやらんの發明なるべしと、首を傾け、やう{{ku}}その心をぞつらねける。
{{left|鶯の初音をきく耳は別にしておく武士かな。|1em}}
かくしたゝめ、ひそかに大星に見せければ、由良之助はこれを見て、大によろこび、文字の數さへ揃はねど、はじ<noinclude>{{left/e}}</noinclude><noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude> かしこきみちみち
常陸介實宗と聞こえし人くすしに尋ぬべきことありて、雅忠が許にゆけりけるに、しばしとて障子のつらに据ゑたりけるにまらうど饗ようしけるあひだに、門より入りくる病ひ人を、かねで顏けしきを見て、「これはその病を問ひに來る者なり」といひて、たづぬれは誠にしかありけり。其のなかに見苦しきこともあり、をかしきこともありてえいひやらねば、皆心えたりなどいひて、つくろふべきやうなどいひつゝあへしらへやりけるに、まらうどは有行なりけり。家あるじ盃とりたるを、「とく其のみきめせ。唯今ゆゝしきなゐの振らむずればうちこぼしてむず」といふに、さしもやはとや思ひけむ、いそがぬ程になゐおびたゞしく振りて、はたとひとしき酒をうちこぼしてけり。あさましき事ども聞きたりとぞ語りける。
中頃笙の笛の師にて、市佑時光と聞こえしが、いづれの御時にか、內より召しけるにおなじやうに老いたる者とふたり手うちて、歌うたふ樣によりあはせておほかた聞きもいれず、御返りも申さゞりければ、御使あざけりて歸りまゐりてかくなむ侍るとうれへ申しければ、いましめはなくて仰せられけるは、「いとあはれなる事かな。唱歌しすまして、よろづ忘れたるにこそあなれ。みかどの位こそくちをしけれ。さるめでたきことを往きてもえ聞かぬ」とぞのたまはせける。用光といひし篳篥の師と、ふたり裹頭樂をさう歌にしけるとぞ後にきこえける。その用光が相撲の使に西の國へ下りけるに、きびの國のほどにてや、沖つ白波たちきて、こゝにて命も絕えぬべく見えければ、かりぎぬ、かぶり、うるはしくして、屋形のうへに出で<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>ゝをりけるに、白波の舟こぎよせければ、その時用光篳篥とり出だして、うらみたる聲にえならず吹きすましたりければ、白波どもおのおの悲しびの心おこりて、かづけものをさへして漕ぎはなれて去りにけりとなむ。さほどのことわりもなきものゝふさへ、なさけかくばかり吹き聞かせけむもあり難く、又昔の白波は、なほかゝるなさけなむありける。
いとやさしく聞え侍りしことは、いづれの御時にか侍りけむ、中頃のきさき上東門院、陽明門院などにやおはしけむ。近き世の帝の御時、珍らしく內にいらせ給へりける時、月のあかく侍りける夜、「むかしはかやうに侍る夜は、殿上人あそびなどこそ內わたりはしはべりしか。さやうなることも侍らぬこそくちをしく」など申させ給ひければ、いとはづかしくおぼしめしける程に、月の夜めでたきに、「凛々として氷しき」といふうた、いと華やかなる聲して謠ひけるが、なべてなく聞こえけるに、又いといたくしみたる聲のたふときにて、無量義經の「微渧まづおちて」などいふところをうちいでゝ讀まれ侍りけるがいづれもいづれもとりどりにめでたく聞こえければ「昔もかばかりのことこそえきゝ侍らざりしか。いと優なるものどもこそ侍りけれ」と申させ給ひけるにこそ、御汗もかわかせ給ひて御心もひろごらせたまひにけれときゝ侍りし。後冷泉の院の御時、上東門院などいらせ給へりけるにや、又その人々は伊家の辨、敦家の中將などにやおはしけむとぞ人は申し侍りし。ひがことにや。
又能因法師、月あかく侍りける夜、いたゐにむかひて、庇のふき板、所々とりのけさせて、月やどして見侍りけるに、門たゝく音し侍りければ、女ごゑにてとひ侍りけるに、うちより勅<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>使のわたらせ給へるなりと馬部といふ者の申しければ、門開きていづみのもとに、御使の藏人入れ侍りけるに、「仰せごとになむ。月のうたのすぐれたるはいづれかあると仰せはべりつれば、俄に馬つかさの御馬めして、急き對面する」よしなどたれにか有りけむ、その時の藏人の申し侍りければ、
「月よゝしよゝしと人につげやらばこてふに似たりまたずしもあらず」
といふうたをなむ申しけるが、同じ御ときの事にや侍りけむ、たしかにもきゝ侍らざりき。
{{resize|120%|今鏡第十}}
うちぎゝ
敷島のうちぎゝ
中頃男ありけり。女を思ひてときどき通ひけるに、をとこある所にて、ともし火のほのほの上にかの女の見えければ、これは忌むなるものを、火のもゆる所をかきおとしてこそその人に飮ますなれとて紙につゝみてもたりける程に、事繁くしてまぎるゝことありければ、わすれて、一日二日過ぎて思ひ出でけるまゝにゆけりければ、「惱みて程なく女隱れぬ」といひければ、いつしか往きて、かのともしびのかきおとしたりし物を見せでと、わが過ちに悲しくおぼえて、つねなき鬼に一口にくはれけむ心うさ、足ずりをしつべく歎き泣きけるほどに、<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>「御覽せさせよとにや、この御ふみを見つけて侍る」とて、とり出だしたるを見れば、
「鳥部山たにゝけぶりの見えたらばはかなく消えしわれとしらなむ」
とぞかきたりける。歌さへともし火のけぶりとおぼえて、いと悲しく思ひける、ことわりになむ。
又ある女有りけり。ときどき通ひける男のいつしか絕えにければ、心うくて、心のうちに思ひ惱みける程に、その人門を過ぐることのありけるを、家の人の、「今こそ過ぎさせ給へ」といひければ、思ひあまりて、「きと立ちながらいらせ給へ」と逐ひつきて云はせければ、やりかへして入りたるに、もと見しよりもなつかしきさまにて、殊の外に見えければ悔しくなりて、とかくいひけれど、女たゞ經をのみよみてかへりごともせざりける程に、七のまきの、即住安樂世界といふ所を、くりかへしよむと見ける程に、やがて絕えいりてうせにければ、われもよりておさへ、人もよりてとかくしけれども、やがてうせにけり。かくてこもりもし、又かしらをもおろしてむと思ひけれど、當時辨なりける人なれば、さすがえ籠らで土におりて、とかくの事までさたして、しばしは山ざとにかくれたりければ、世をそむきぬると聞こえけれど、さすがかくれもはてゞ出でつかへければ、かへる辨となむいひける。
左衞門の尉賴實といふ藏人、歌の道すぐれても、又好みにも好み侍りけるに、七條なる所にて、夕に郭公をきくといふ題をよみ侍りけるに、醉ひて、その家の車宿りにたてたる車にて、歌案ぜむとて寐過ぐして侍りけるをもとめけれど、思ひよらで既に講ぜむとて、人皆かきた<noinclude></noinclude>
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「鳥部山たにゝけぶりの見えたらばはかなく消えしわれとしらなむ」
とぞかきたりける。歌さへともし火のけぶりとおぼえて、いと悲しく思ひける、ことわりになむ。
又ある女有りけり。ときどき通ひける男のいつしか絕えにければ、心うくて、心のうちに思ひ惱みける程に、その人門を過ぐることのありけるを、家の人の、「今こそ過ぎさせ給へ」といひければ、思ひあまりて、「きと立ちながらいらせ給へ」と逐ひつきて云はせければ、やりかへして入りたるに、もと見しよりもなつかしきさまにて、殊の外に見えければ悔しくなりて、とかくいひけれど、女たゞ經をのみよみてかへりごともせざりける程に、七のまきの、即住安樂世界といふ所を、くりかへしよむと見ける程に、やがて絕えいりてうせにければ、われもよりておさへ、人もよりてとかくしけれども、やがてうせにけり。かくてこもりもし、又かしらをもおろしてむと思ひけれど、當時辨なりける人なれば、さすがえ籠らで土におりて、とかくの事までさたして、しばしは山ざとにかくれたりければ、世をそむきぬると聞こえけれど、さすがかくれもはてゞ出でつかへければ、かへる辨となむいひける。
左衞門の尉賴實といふ藏人、歌の道すぐれても、又好みにも好み侍りけるに、七條なる所にて、夕に郭公をきくといふ題をよみ侍りけるに、醉ひて、その家の車宿りにたてたる車にて、歌案ぜむとて寐過ぐして侍りけるをもとめけれど、思ひよらで既に講ぜむとて、人皆かきた<noinclude></noinclude>
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