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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" />{{left/s|2em}}</noinclude><small>らして之を分餽すべしと、軍吏命を領して已に往つた後で彼れは酒を命じ<!--底本「し」-->て獨酌したのであつたが、庖人が黍肉は已に士を饗し盡して餘す所なき由を聽いて只だ少量の{{r|鹽豉|しほまめ}}を索めて酒を佐けた。可法は素と善く飲み斗酒尙辭せざるの慨があつたが、愈飮て愈恭しく所謂る酒に亂れざるの人であつた。然も軍に至るより飮を絕つてあつたが此の夜は滿酌數十杯にして先帝を思ふて淚泫然として下つた。彼はまた衣を解いて寢に就かないことが已<!--底本「己」-->に七箇月であつたが、事珍らしくも當夜は微醺の餘頗る{{r|寬|くつ}}ろいで{{r|几|つくえ}}に隱れて臥した。將に{{r|旦|あした}}ならむとした時に將士並に有司等皆軍門の外に集まりたるに門未だ啓かずして之を怪むものの如きであつた。知府任民育曰く、相公此の夕また得易からず、<!--底本「、」が欠落-->之を驚かす勿れと、且つ皷人を戒めて更に四皷を擊たしめた。須臾にして可法は眠りから覺むれば天已に明けてゐた。大い<!--底本「ひ」-->に驚き且つ怒つて曰く、誰か敢て我が軍法を破る者ぞ、<!--底本「、」が欠落-->縛し來つて速かに之を斬るべしと。諸將士跪いて彼を拜して曰く、相公久しく軍中に勞苦し始めて一夕の暇を得たので相驚かすに忍びず、<!--底本「、」が欠落-->故に皷聲を亂して以て待つ、<!--底本「、」が欠落-->此れ知府任君の意なりと。可法意始めて解けて曰く、奈何ぞ私愛を以て公法を變ぜむやと、乃ち急に盥嗽して門を啓きて文武臣と偕に北向遙賀し、將士皆賀詞を陳じ<!--底本「し」-->た、而して任知府は更に前んで罪を請ふた。そこで始めて皷人を赦したが爾來可法は復た几に隱れて臥すことが一回もなかつた。
可法の執へられ屈せずして死するや、揚州の士民文天祥の再來を以て彼を追慕崇拜し、その遺す所の袍笏を郡城の梅花嶺に瘞め廟を建てて之を奉祀し且つ忠靖と謚した。淸の乾隆帝更に忠正公と追謚した。
可法詩文に巧みに兼て草書を善くした。彼の眞筆は今尙一字優に千金に値してゐる。彼の著に史忠正公集<!--底本「有史忠正集」-->が</small><noinclude>{{left/e}}</noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>陷りたるものに就き予は爰に多少の辯を加へんとす。是れ即ち『義理』なり。字義より推せば、{{傍点|義しき道理}}なり。然るに時と共に移りて、義務の朦朧たる觀念となり、俗論は人に俟つに之に遵ふべきを以てするに至れり。『義理』の有せる本來無垢の旨意は、純粹簡明なる義務の謂なりき。されば、父母、長者、臣僕より、大にしては社會に對し、國家に對して、負ふべき義理ありなど云ふ時、其義理とは即ち義務の意なり。然り、義務とは即ち義しき道理の要求命令するものに非らざる無き乎。義しき道理とは、人に於ける{{r|無上命令|カテゴリカル、インペラチーヴ}}たるべきものにあらずや。
義理とは原、義務を謂ふに外ならざりき。而して此字義の由來する所を料るに、其故あり。人の行爲、例せば、父母に<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>奉事するが如き、一に愛を以て動機とすべきものなるに、若し之を缺かん乎、乃ち他の{{r|權能|オーソリチー}}の能く人をして孝ならしむべきもの無くんばあるべからず。是に於て乎、世は乃ち義理に於て其權能を作爲せり。愛の自から德行に馳すること無くんば、乃ち人の知能に訴へ、其理性を勵まして、行正しきを要することを曉らしめざるべからず。されば義理の權能の形成せられたる良に以ありと謂ふべし。他の道德責任に於けるも、亦た皆斯の如し。今夫れ、人の義務を厭ふや、義理は直ちに現はれ來りて、此れより免る能はざらしむ。義理は、譬ふるに、嚴酷なる敎師の如し、笞を執りて、懶惰の兒童に臨み、其分を致さしむ。されば義理は道義の力の副位に在りて、彼の基督の敎の、愛即ち法を以て動機とするとは<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>天壤の差あり。要するに義理は、人爲の社會、即ち血統爵位の如き、人生偶然の差等の、階級の序を成し、家族は國家の單位たり、年齒は才幹よりも重く、自然の愛情の、往々人爲の專横なる慣習に屈從する社會の狀態の產物なり。義理は人爲なるを以て、遂に漠然たる觀念に陷り、唯だ彼を說明し、此を是認するの儀則となり終れり。例せば、母たるものゝ、止むを得ざるに當りては、弟妹を犧牲として、長子を救ひ、女子たるものゝ貞操を賣りて、父の酒色を購ふことあるは何が故ぞ、是れ即ち義理なりと稱す。されば{{傍点|義しき道理}}を本としたる義理は、往々偏して單に決疑<!--底本「快疑」-->の規凖となり、又た遂に墮落して、人の誹謗を畏怖するの念となれり。スコツトの愛國心を稱して、『似而非なる他の感情を蔽へる<!--底本「蔽ふへる」-->、最も美<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>はしく、最も怪しむべき假面なり』と云へるは、亦た以て義理を評すべきにあらずや。義理は義しき道理に遠ざかり、其名美にして、却て其實を誤り、其翼の下には、詭辯、僞善等あらゆる醜汚を包蔽せり。故に武士道若し、敢爲堅忍の精神たる勇の念の、明敏牢確なるものなかりせば、所謂『義理』は一變して、怯懦の巢居と化したるべし。
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude><span id="chapter4"></span>
{{left|{{resize|110%|第四章 勇氣<small>敢爲堅忍の精神</small>}}|5em}}
勇若し義に由らずんば、即ち德たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして、勇の定義を下し、『見{{レ}}義不{{レ}}爲無{{レ}}勇也』と說きしが<!--底本「說しきが」-->、之を積極に換言すれば、則ち『義を爲すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つて沙翁の所謂『庶出の勇』たる暴虎憑河、死而不{{レ}}悔者を賛すと雖、獨り武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戶の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を稱して、『恐るべきものと、恐<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>るべからざるものとを辨識することなり』と云へるが如きは、固より之を學びたること無し。然るに義公は曰へらく、『戰に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。されど生くべき時に生き、死すべき時に死するは眞の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉體の勇と、道德の勇とを區別するが如きは、我國人も亦た夙に之を爲す。苟も士林に在る者は、小少より旣に{{傍点|style=circle|大勇}}と{{傍点|style=circle|匹夫の勇}}とを辨知せざるものなかりしならん。
剛毅、大膽、自若、勇猛の德性は、靑年武士の嚮徃する所にして、彼等は實例に則り、實行に由り、世の最も尊尙する此德を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の兒童と雖、尙ほ母の懷に在りて、武功譚、英雄物語に耳を欹て、<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>若し苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、繼ぐに『戰塲に出でゝ、腕を斷たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の厲語を以てしたり。千代萩の千松が、籠に寄り來る親鳥の餌ばみをすれば、子雀の嘴さしよる有樣に、小鳥を羨<!--底本「羡」-->む稚心にも、侍の子は、ひもじい目をするが忠義ぢやとの、健氣さ、いぢらしさの昔語は、人の普く記する所なり。加之ならず、勇敢壯烈なる御伽噺の類多く、小童は襁褓に在りて尙ほ之を樂めり。而して此等の物語の、旣に少年の精神を鼓舞し、之を養ふに、勇剛の性を以てせるのみならず、又た父母の嚴として子に臨み、殘忍酷薄に失するまでも、其膽力を試練し、『獅子其兒を千仭の壑に擠す』の行に出づるものありき。侍の子は艱難の深淵<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>に投ぜられ、又たシシフアスの苦役を命ぜらるゝことありき。時としては、小兒に與ふるに凍餓の苦を以てして、即ち堅忍不拔の精神を磨勵する所以なりとしたり。いたいけなる稚兒の遠國に使ひすることあり、冬天朝餐に先んじ、裸足師家に走りて、書を講ずることあり、又た一月一二次、天滿宮の祭日を卜し、數輩の少年相會して、徹宵輪講をなすことありき。刑塲、墓地、化物屋敷の如き荒凉たる地に賽するも亦た、少年の快とする所なりき。甚しきは斬首の刑あるや、少年の輩は、其悽愴たる光景を目睹すべきを命ぜらるゝのみならず、而も闇夜單身刑塲に赴き、梟首に印して歸るべきを命ぜらるゝこともありき。
今日の敎育論者は斯の如く、スパルタ主義の極端に馳せ<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>て、神經を鍛冶するを畏怖し、之が爲に少年の敦厚なる情性を嫩芽にして摘み去りて、粗剛殘忍の性に陷らしむるの弊あらざる無きかを疑はんとするものゝ如し。されど武士道の勇に於ける觀念は、啻に斯の如きに止まらず。
勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平靜なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て靜止せる現象なり。之に反して大膽なる行爲は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に處して、其常を失<!--底本「矢」-->はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈ぜず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも變ぜず、鼎鑊の中にありて自から安じ、死生の巷に立ちて自から樂めり。眞の勇者は危を踏み、死に瀕して、從容詩歌を詠<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>じ、聲音筆蹟毫も平生に異ならず、人、皆之を歎稱せり。蓋し悠々逼らざること、斯の如きは、其心に多大の餘裕あるに因らずんばあらず。故に毫も外物の窘迫する所とならず、常に他を容れて、多々益す辨ずるものあるなり。
史に傳ふ、江戶城の開祖たる太田道灌、曾て戰塲に若武者の首級を獲るや、澘然として之を憫み、
{{left/s|3em}}
かゝる時さこそ命の惜しからめ、<br>
かねて無き身と思ひ知らずば。
{{left/e}}
の和歌を詠じて、之を弔せり。然るに後、道灌の讒に會ひて、浴室に刺さるゝや、神色變ぜず、手づから槍幹を抑へ、
{{left/s|3em}}
昨日まで、まゝ妄執を入れおきし、<br>
へんなし袋、今やぶりけん。
{{left/e}}
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" />{{left/s|2em}}</noinclude><small>(秀吉)</small>鳴かざれば鳴かせて見よう郭公。
<small>(家康)</small>鳴かざれば鳴くまでまたう郭公。
{{left/e}}
孟子は大いに人に勸むるに忍耐不屈を以てし、或は『雖{{四}}袒{{竪}}裼{{竪}}{{三}}裸{{竪}}裎於{{二}}我側{{一}}、爾焉能浼{{レ}}我哉』といひ、或は又た小憤は君子の愧づる所にして、大憤即ち義憤なるを說きたり。
武士道を奉ずる者の、其奧を極めて、遂に能く『爭而不{{レ}}校』と謂へる柔和の高致に達したるものあり。小河立所曰く、『人の誣ふるに逆はず、己が信ならざるを思へ』と。熊澤蕃山は曰へらく、『人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒と慾とを棄てゝこそ、常に心は樂しめ』と。又た、其隆起せる額は、淸廉高義を表して、所謂『耻も此に宿るを愧づる』なる、彼の老西鄕の格言を擧げて之を示さん。
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>らぬつまなるべし。御おほぢの一院も聞かせ給ひて迎へとり給ひて、女院の御方に養ひ申させ給ふ。やうやううちの御めのとごの、播磨守伯耆守などいふ人ども、彼のさとや、局などの女房などかみ下のことども、取りさたすべきよしうけ給はりて仕うまつり、若宮の御めのと刑部卿などいひて、大貳の御めのとのをとこと聞ゆ。みこも親王の宣旨などかぶり給ひて御元服などせさせ給ひぬ。かくて年月すぐさせ給ふ程に位さらせ給ひて、新院とておはしますにも、世に類ひなくて過ぐさせ給へば、きさいの宮、殿の御わたりには心よからず、疎きことにてのみおはします。本院の御まゝなれば世を心にまかせさせ給はず。うち、中宮、殿などに、ひとつにて、世の中すさまじき事多くておはしますべし。かやうなるにつけてもわたくしものにおもほしつゝ過ぐさせ給ふに、法皇かくれさせ給ひぬる後、世の中に事ども出できて讃岐へ遠くおはしましにしかば、やがて御船に具し奉りてかの國に年歷給ひき。一の御子も御ぐしおろし給ひて、仁和寺大僧正寬曉と申しゝにつかせ給ひて、眞言などならはせ給ひけるに、敏くめでたくおはしましければ、昔の眞如親王もかくやと見えさせたまひけるに、御足のやまひおもくならせ給ひて、ひとゝせうせさせ給ひにけり。御とし廿二三ばかりにやなり給ひけむ。讃岐にも御なげきのあまりにや、御惱みつもりてかしこにてかくれさせ給ひにしかば、宮の御はゝものぼり給ひて、かしらおろして、醍醐のみかどの御母方の御寺のわたりにぞ住み給ふなる。かの院の御にほひなればことわりと申しながら、歌などこそいとらうありてよみ給ふなれ。のぼり給ひたりけるに、ある人のとぶらひ申したりければ、
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude> 「君なくて歸る波路にしをれこし袂を人の思ひやらなむ」
と侍りけるなむ、さこそはといと悲しく推し量られ侍りし。院のおとうとの仁和寺の宮おはしましゝ程は、とぶらはせ給ふと聞こえしに、宮もかくれ給ひて、心ぐるしく思ひやり奉るあたりなるべし。その遠くおはしましたりける人のまだ京におはしけるに、白河に池殿といふ所を人の造りて、「御覽ぜよ」など申しければ、わたりて見られけるにいとをかしく見えければ、かきつけさせ給ひけるとなむ。
「音羽川せき入れぬ宿の池水も人の心は見えけるものを」
とぞきゝ侍りし。讃岐の院の皇子は、それも仁和寺の宮におはしますなる、法印にならせ給へるとぞ聞こえさせたまふ。それも眞言よく習はせ給ひて勤め行はせ給へりとぞ。上西門院御子にし申させ給へるとぞ。其の御母は師隆の大藏卿の子に、參河の權の守と申す人坐しけるむすめの、讃岐のみかどの御時、內侍のすけにて侍はれしが生みたてまつり給へるとぞ聞えさせ給ふ。讃岐の法皇かくれさせ給へりける頃、「御服はいつか奉る」と御室より尋ね申させ給へりければ、
「うきながらその松山の形見には今宵ぞ藤の衣をばきる」
とよませ給へりける。いとあはれに悲しく。又御行ひはてゝやすませ給ひけるに、嵐はげしく瀧の音むせびあひていと心ぼそく聞こえけるに、
「夜もすがら枕におつる音きけば心をあらふ谷川のみづ」
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>とよませたまへりけるとぞ聞こえ侍りし。昔の風ふき傳へさせ給ふいとやさしく。女宮は聞こえさせ給はず。今の一院の宮たちはあまたおはしますとぞ。きさきばらの外には高倉の三位と申すなる御はらに仁和寺の宮の御室傳へておはしますなり。まだ若くおはしますに、御行ひの方も梵字などもよくかゝせ給ふと聞こえさせ給ふ。つぎに御元服せさせたまへる、おはしますなるも、御ふみにもたづさはらせ給ひ、御手などかゝせ給ふと聞こえさせ給ふ。その宮も、宮たち設けさせ給へるとぞ。おなじ三位の御はらに女宮もあまたおはしますなるべし。伊勢のいつきにてあねおとうとおはしますと聞こえさせたまひし、おとうとの宮は、六條の院の宣旨養ひ奉りて、かの院つたへておはしますとぞ聞こえさせ給ふ。又賀茂のいつきにもおはするなるべし。又女房のさぶらひ給ふなる、御おぼえのなにがしのぬしとか聞えし妹のはらにも、宮たちあまたおはしますなるべし。三井寺に法印僧都など聞こえさせ給ふ。また女宮もおはしますとぞ。大炊の御門の右のおとゞの御むすめも姬宮生み奉り給へる、おはしますと聞こえ給ふ。又ことはらの宮々もあまたおはしますなるべし。二條のみかど宮たちも、をとこ宮女宮きこえさせ給ふ。その女宮は內の女房うみたてまつりたまへるとぞ。中原の氏の博士のむすめにぞおはすなる、男宮は源氏のうまのすけとかいふむすめの腹におはしますとか聞こえたまふ。また德大寺のおとゞの御女のはらとか聞こえたまふは位につかせたまへりし、さきに申し侍りぬ。またかんのきみの御おとうとにおはしけるが生みたてまつり給へる、おはしますと聞こえさせたまふ。かく今の世の事を申しつゞけ侍る、いとか<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>しこくかたはらいたくも侍るべきかな」」。
{{resize|120%|今鏡第九}}
むかしがたり
あしたづ
「「今の世のことは人にぞ問ひ奉るべきを、よしなきこと申しつゞけ侍るになむ」」などいへば、「「さらば昔語りも猶いかなる事か聞き給ひし。語り給へ」」といふに、「「おのづから見きゝ侍りし事も、ことのつゞきにこそ思ひいで侍れ。且はきゝ給へりし事もたしかにも覺え侍らず。傳へうけ給はりしことも思ひ出づるにしたがひて申し侍りなむ。かたちこそ人の御覽じ所なくとも、いにしへの鏡とはなどかなり侍らざらむ」」とて、むかし淸和のみかどの御時、かたがた多くおはしける中に、ひとりの御息所の太上法皇かくれさせ給へりける時、御經供養して佛の道とぶらひ奉られけるに、御法かきたまへりける色紙の色の、ゆふべのそらのうす雲などのやうに、墨染なりければ、人々怪しく思ひけるに、むかし賜はりたまへりける御ふみどもを色紙にすきて、御法の料紙になされたりけるなりけり。それよりぞ多く色紙の經は、世に傳はれりけるとなむ。かきとゞめられたるふみなども侍らむものを、橘の氏贈中納言ときこえ給ひし宰相の日記にぞこの事はかゝれたると聞こえ侍りし。
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