Wikisource jawikisource https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 MediaWiki 1.39.0-wmf.21 first-letter メディア 特別 トーク 利用者 利用者・トーク Wikisource Wikisource・トーク ファイル ファイル・トーク MediaWiki MediaWiki・トーク テンプレート テンプレート・トーク ヘルプ ヘルプ・トーク カテゴリ カテゴリ・トーク 作者 作者・トーク Page Page talk Index Index talk TimedText TimedText talk モジュール モジュール・トーク Gadget Gadget talk Gadget definition Gadget definition talk Page:Bushido.pdf/46 250 41534 187971 187946 2022-07-25T10:27:41Z 安東大將軍倭國王 29268 proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" />{{left/s|3em}}</noinclude><small>雖、奈何せん、予は之を以て否定すべからざる事實なりと認知するを………要するに予は、凡ての强大なる國家が、戰爭によりて、言語の眞理、思想の勢力を覺知せる事、又た國家は戰爭によりて培はれ、平和によりて荒され、戰爭によりて敎へられ、平和によりて欺かれ、戰爭によりて鍛はれ、平和によりて毀たるゝ事、一言以て之を蔽へば、<!--底本ここに不要な「『」-->國家は戰爭に生まれ、平和に死するものなるを知れり』と。</small> {{indent/e}} {{left/e}} {{nop}}<noinclude></noinclude> ca1xw7g38avxt2y12p7qubsnwpt1oh9 Page:Bushido.pdf/123 250 41768 187962 2022-07-24T16:09:30Z 安東大將軍倭國王 29268 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>之を敬重せずんばあらず。されど予は其根柢を問ふとき、『正直は最良の政畧なり』、即ち正直なれば利すと云ふにありと聞いては、寧ろ呆然たらざるを得ず。果して然らば、德とは、報其中に在りと云へる原則に由るにあらずして、他の報酬あるが爲に行ふべきものなる乎。正直なるは、虛僞よりも、多額の現金を獲る所以なりとせば、予は恐る、武士道は寧ろ虛僞に與みするものならんことを。  武士道は與へて、報酬を取るの主義を排斥すと雖、巧利なる商賈は却て之を慶びとすべし。レツキーが、誠實は要するに商工業によりて發展するものなりとは、眞に然りと謂ふべく、又たニーチエは曰へらく、『正直は諸德の中最も幼者なり』と。誠實は實業即ち近世經濟事情を母とせるの<noinclude></noinclude> 7lfg79ci1bhvivhy2i5qzollq8u1x9l Page:Bushido.pdf/124 250 41769 187963 2022-07-24T16:16:03Z 安東大將軍倭國王 29268 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>養兒なり。此母無くんば、誠實は貴族的の孤兒にして、唯だ敎育高く、禮文秀でたる心念のみの、之を養ふて子とするを得べきものたり。斯る心念は武士の普く有したる所なりき。されど平民的實利的なる乳母の無かりしより、此の可憐の嬰兒は發育を遂ぐること能はざりき。商工業にして進步せば、誠實は之を守るに容易に、而も亦た有利なる道德たるべし。試みに思へ、ビスマークが、獨逸帝國の領事に訓示して、『就中、獨逸船積の物資が、其品質、數量兩な<!--底本「な」が欠落-->がら、著しく信用を缺くは悲しむべし』と戒飭したるは、近く千八百八十年十一月にあらずや。然るに現時に至りては、商業上、獨逸人の不注意、不信用なる事實を耳にすること稀少となれり。されば獨逸商人は、僅かに二十年の間に於て、早く旣に<noinclude></noinclude> hjfvjaf04gc3on0hr3ab3gyv4jxxthv Page:Bushido.pdf/125 250 41770 187964 2022-07-24T16:21:38Z 安東大將軍倭國王 29268 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>正直は利潤の道なることを解したるものなり。而して予は我國商人も亦た此理を學びつゝあるものなりと言はんのみ。餘說は此れに關するナツプ及びランソム二氏の明快的確なる批評判斷に讓る。たゞ爰に特記すべきは、商人すら、債務を起すに當り、正直と名譽とを標して、證書に記入すべき最も確實なる保證なりとしたること是れなり。證文中に、『恩借の金子御返濟相怠り候節は、衆人稠坐の前にて御笑ひなされ候とも不苦候』とか、『御返濟相致さゞる節は、馬鹿と御嘲り被下度候』等の語を加ふるは、其常とする所なりしなり。  予は屢ば武士道の誠は、之れが動機の存する所、勇よりも更に高尙なるものに在りしや否やを疑ふものなり。日本<noinclude></noinclude> 4vodsj0k3qztq058npzye7aflhjezn2 Page:Bushido.pdf/126 250 41771 187965 2022-07-24T16:30:37Z 安東大將軍倭國王 29268 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>には僞の{{r|證|あかし}}を立つること勿れとの敎戒無きを以て、虛言を{{r|罪|シン}}として責むる事無かりしと雖、單に之を薄志弱行に歸して擯斥し、從つて甚だ不名譽なりとしたり。夫れ{{r|正直|オネスチー}}と{{r|名譽|オノア}}との觀念は密切なる關係を有し、又た此の二字は啻に英語のみならず、拉甸語に於ても、獨逸語に於ても其の語原を一にするものなるを以て、予は今や爰に筆を轉じて、武士道の懷抱したる『名譽』の思想を討究すべき時に至れり。 {{nop}}<noinclude></noinclude> scnoxpyh2wh30helukb4egr0u3a5t86 Page:Bushido.pdf/127 250 41772 187966 2022-07-24T16:37:40Z 安東大將軍倭國王 29268 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude><span id="chapter8"></span> {{left|{{resize|110%|第八章 名譽}}|5em}}  名譽の念には、人の威嚴價値に關する明白なる自覺の存するが故に、此念は彼の生れながらにして、己が門地に伴ふ義務と權限とを重んずることを知り、且又た此れが敎養を受けたる武士の特質たらずんばあらず。『名譽』とは現時の通語にして、往時多くは同義を現すに、『名』、『面目』、『外聞』等の語を以てしたりき。此等の文字は各〻人をして、聖書の『ネーム』<small>(名)</small>、希臘語の{{傍点|style=circle|假面}}なる字より出でたる『ペルソナリチー』<small>(人格)</small>、又たは『フエーム』<small>(名聞)</small>を想起せしむるものあり。令名は人の體面なり、我に備はれる不滅のものなり。<noinclude></noinclude> o6vq62hutpkwed39avhhsn7rlf4l549 Page:Kokubun taikan 07.pdf/477 250 41773 187967 2022-07-24T19:49:04Z CES1596 4425 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>りける。まだつかさなども聞こえ給はざりし程は、常に法皇の御車のしりにぞのり給ひて、みゆきなどにもおはしける。さやうの御つゞきをおぼし出だしけるにや、院の御忌のはど參り給ひて有りける時、南おもての方にひとりおはして、さめざめと泣き給ひて、御手して淚をふりすてつゝおはしける、ものゝはざまよりのぞきてあはれなりしと人の語り侍りし。實能のおとゞは北の方のせうとにおはして、朝夕なれあそびきこえ給ひければ、左兵衞の督など申しけるほどにや、五月五日大將殿、   「あやめ草ねたくも君がとはぬかなけふは心にかゝれと思ふに」 など心やりたまへるも、いとなつかしく。この大將殿は、殊の外に衣紋をぞ好み給ひて、上のきぬなどのながさ短さなどの程など、こまかにしたゝめ給ひて、その道にすぐれたまへりける。大方むかしはかやうのこともしらで、指貫もなかふみて、烏帽子もこはく塗ることもなかりけるなるべし。此の頃こそ、さびえぼうし、きらめき烏帽子など、をりをりかはりて侍るめれ。白河の院は、御裝束まゐる人などおのづから引きつくろひなどし參らせければ、さいなみ給ひけるときこえ侍りし。いかに變はりたる世にかあらむ。鳥羽の院、この花園のおとゞ、おほかたも御みめとりどりに、姿もえもいはずおはします上に、こまかにさたせさせて、世のさがになりて、肩あて腰あて、烏帽子とゞめ、かぶりとゞめなどせぬ人なし。又せでも叶ふべき樣もなし。かうぶり烏帽子のしりは雲を穿ちたればさらずは落ちぬべきなるべし。時に從へばにや此の世に見るには、袖のかゝり袴のきはなどつくろひたてたるはつきづきし<noinclude></noinclude> c9bettzwbelthirby3zcr62gpzasfmt Page:Kokubun taikan 07.pdf/478 250 41774 187968 2022-07-24T19:54:02Z CES1596 4425 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>く、うちとけたるはかひなくなむ見ゆる。衣紋の雜色などいひて、藏人になれりしもこの御家の人なり。上の御せうとの君だち、若殿上人ども絕えず參りつゝ、遊びあはれたるはさることにて、百大夫と世にはつけて、かげぼしなどの如くあさ夕馴れ仕うまつる。吹きもの、引きものせぬは少くて、外より參らねどうちの人にて御遊び絕ゆることなく、伊賀の大夫、六條の大夫などいふすぐれたる人どもあり。歌よみ、詩つくりも、かやうの人ども數しらず。越後のめのと、小大進などいひて、名高き女歌よみ、家の女房にてあるに、公達まゐりては、くさり連歌などいふことつねにせらるゝに、三條の內のおとゞの、まだ四位の少將などの程にや、   「ふきぞわづらふしづのさゝやを」 とし給ひたりけるに、中務の少輔實重といふもの、常にかやうのことにめし出ださるゝ者にて、   「月はもれ時雨は止れと思ふには」 とつけたりければ「いとよくつけたり」などかんじあひ給ひける。又ある時、   「奈良のみやこをおもひこそやれ」 とはべりけるに、大將殿、   「やへ櫻秋のもみぢやいかならむ」 とつけさせ給ひけるに、越後のめのと、 {{nop}}<noinclude></noinclude> i3ix8zteg2elnrhzhc1k11g5q86ystv Page:Kokubun taikan 07.pdf/479 250 41775 187969 2022-07-24T20:00:19Z CES1596 4425 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>  「しぐるゝたびに色やかさなる」 とつけたりけるも、後までほめあはれ侍りけり。かやうなること多く侍りけり。その越後は、「さこそはかりの人はつらけれ」といふうたなどこそ、やさしくよみて侍りけれ。かやうなること數しらずこそきこえ侍りしか。      ふししば 大將殿年若くおはして、何事もすぐれたる人にて、御心ばへもあてにおはしき。昔はかゝる人もやおはしけむ。この世にはいとめづらかに、かくわざと物語などに作りいだしたらむやうにおはすれば、やさしくすきずきしき事多くて、これかれ袖よりいろいろのうすやうにかきたる文のひき結びたるが、なつかしき香したる、二つ三つばかりづゝ取り出だして、常にたてまつりなどすれば、これかれ見給ひて、あるは歌よみ、色好む君だちなどに見せあはせ給ひて、この手はまさりたり、歌などもとりどりにいひあへり。あるは見せ給はぬもあるべし。また兵衞のかみや少將たちなど參り給へば、かたみに女のことなどいひあはせつゝ、雨夜のしづかなるにも語らひ給ふ折もあるべし。月あかき夜などは、車にて御隨身ひとりふたりばかり、何大夫などいふ人ともにかはるがはるかちよりあゆみ、御車に參りかはりつゝ、ふるき宮ばら、あるは色好む所々にわたり給ひつゝ、人にうちまぎれて遊びたまふに、びは笙のふえなどは人もきゝしりなむとて、ことひき、笛などぞし給ひける。ある折は歌よむ御だちまうでかよひける中に、ほいなかりけるにや、女、 {{nop}}<noinclude></noinclude> 3ez0zn48r5seaszv2v94w3kac1g2eqn Page:Kokubun taikan 07.pdf/480 250 41776 187970 2022-07-24T20:06:50Z CES1596 4425 /* 校正済 */ proofread-page text/x-wiki <noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>  「かねてより思ひしものをふししばのこるばかりなる歎きせむとは」 とて奉りたりければ、やがてふししばとつけ給ひて、折ふしには音づれ奉りければ、今宵はふししば音すらむものをなどあるに、すぐさず歌よみて奉りなどして、いたきものとて常に申しかはす女ありけり。土御門のさきのいつきの御もとに中將の御とかいひけるものとかや。北の方は手かき歌よみにおはして、いというなる御中らひになむありける。あまりほかにやおはしけむと聞こえしは、鳥羽の院くらゐの御時に、大將殿菊をほりにやりて奉り給ひけるに、うすやうにかきたる文のむすびつけて見えければ、みかど御覽じつけて、「かれは何ぞ。取りて參れ」と藏人に仰せられけるに、おほい殿はふと心えて色もかはりて、うつぶしめになり給へりけるほどに、みかどひろげて御覽じければ、   「こゝのへにうつろひぬとも菊の花もとのまがきをわすれざらなむ」 とぞありける。きさいの御姉におはすれば、ときどき參りかよひ給ふにつけつゝ、しのびてきこえ給ふことなどもおはしけるなるべし。昔のみかどの御世にもかやうなる御ことは聞こえて、なほなほなど仰せられければ、餘りなることも侍りけるやうに、これもおはしけるにや。殿の色好み給ふなど、大方うへはのたまはせず、へだてもなくて文ども取り入れて歌よむ女房にかへしせさせなどし、上のめのとの車にてぞ女おくり迎へなどしたまひける。殿もこゝかしこにありき給ひける、家の女房どもゝをとこの許よりえたる文をも、その北の方に申しあはせて、歌の返しなどし給ひける。小大進などいふ色好みの、をとこいもとより得<noinclude></noinclude> aaqrn41xcok4dycz386fut3k8hzu4pe