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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>を知る』と云ふを得ず。唯だ封建の世に迨びて、其形態を完成したるものなるを以て、源を此れと共にすと稱すべし。而して封建の雜多なる經緯より成れるが如く、武士道も亦た其然るものありき。抑も英國の封建制度は、ノルマン征服を以て興隆せりと記す。此れより百年、即ち第十二世紀の末造に迨び、源賴朝覇府を鎌倉に開きたるは、實に我國封建の始なりき。然るに英國に於ては、ウイリアム征服王以前、旣に久しく封建社會の要素の存在せるを認め、日本封建亦た必ずしも鎌倉時代を待つて、初めて播種せられたるものにあらず。
歐洲に於けるも、亦た日本に於けるも、封建制度の確立せらるゝや、即ち武門武士なるもの、自から頭角を露はし來れ<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>り。此輩を稱して『さむらひ<small>侍</small>』と云ふは、字義より推すに、上古の英國に於ける『クナイト』(cniht, knecht, knight)に等しく、家來又は侍臣の謂にして、其地位たる、大シーザーの書に、アキタニアに在りたりと記せる、『ソルジユリイ』(soldurii)若くは、タシタスの古史に散見せる、彼が時世の獨逸種族の酋長に隷屬したりし『コミタチ』(comitati)と相似たり。更に時代の近き比較を擧ぐれば、歐洲中世紀史に現れたる、『ミリテス、メデイ』(milites medii)に類す。我國にては、又た普ね此れに漢字を宛てゝ『武家』『武士』と稱し、『ものゝふ』、『物部』は、古來の雅名なり。抑も武士とは、特權ある階級の人にして、元、是れ爭鬪攻伐を事としたる慓悍殊死の徒なりき。爭亂久しく絕ゆること無かりし世に至りて、兵農是一なり<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>し、上代の制度自から廢れ、勇猛膽大の徒は、犁鋤を投じて、弓矢を執り、行伍に列したり。而も其間亦た淘汰の行はるゝありて、懦夫弱輩は自から排斥せられ、エマソンの語を借りて云へば、『膂力勇敢、剛膽不敵なる粗野漢』のみ適存して、遂に『さむらひ』なる一種の門族階級を成したり。斯て彼等は多大の名譽と特權との寵遇を受くると共に、又た多大の責任あるを自覺し、乃ち各自の態度行爲を律すべき規準法度を要とするに至れり。况んや彼等の干戈を交へ、矢石の間に見ゆるを常とせしより、其要を感ずること、更に深甚なるものありしをや。譬へば醫士が其德義たる醫戒を守りて、競爭に制限を置き、狀師若し同業の德義を破らんか、自から名譽の法廷に被吿たらざるべからざるが如く、武士にし<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>て若し悖德不義の行跡を敢てするものあらば、之に對して必ずや最後の制裁を下すべき{{r|權能|オーソリチー}}を缺くべからざるものなりとしたり。
喧嘩なら堂々とやれ!此の蠻野幼稚なる原始的觀念の裡、大に壯剛なる道義の萠芽を含み、且つ凡て文德武德の根蔕を成すものにあらざるなき乎。人の或は大人びて、彼のラグビー學校の小英人トム、ブラウンが、『幼童を虐げず、巨童に背を示さゞりし男兒なりとの名を傳へん』との希望を嗤ふべしと雖、焉ぞ知らん、此希望こそ即ち一隅の首石にして、此れが上に道義の大厦高樓を築くを得るものに非ずや。而も借問せん、世界宗敎の中、最も醞藉好和なる宗敎と雖、此少年トムの熱望を賛翼するものに非らざる無き乎と。<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="4" user="CES1596" /></noinclude>トムの希望は、乃ち英國が其偉大なる國家を百代に建つるの基礎なり。而して武士道の由つて以て柱礎としたる所のものも、亦た此れと齊しきものあるを認むるに難からず。吾人はクエカー敎徒の如く、攻守の何如を問はず、兵は凶器也とせんとも、尙且つレツシングに倣ひて、『<sup>[[武士道#chapter1-1|*]]</sup>德は過より生ずるを知る』と云ふを得べし。『卑怯』、『未練』は、健全、質朴なる人格の受くる最醜の蔑辭なりとすることや、小兒は此觀念を以て世に生まれ、武士も亦た然り。されど人生の擴大し、其關係の多方面に涉るに從ひ、初時の簡易なる信仰より進みて、自己の行爲の是認せられ、且つ滿足と發達とを與へらるべき、一層高尙なる{{r|權能|オーソリチー}}の批准と、一層合理なる凖據とを求むるに至る。若し夫れ武邊の利害のみを主眼とな<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>さまに舞ひ侍りしは、めづらしきことに侍りしを、子どもはいかゞ侍るらむとゆかしくこの右のおとゞは御心ばへなどすなほにて、いとらうある人にておはしける上に、後の世の事などおぼしとりたる心にや、わづらはしきこともおはせで、いとをかしき人にぞおはせし。まだ若くおはせし比にや、伊豫の御といふ女をかたらひ給ひけるに、物のたまひ絕えてほど經ぬほどに、山城の前の司なる人になれぬときゝて、やり給へりける御歌こそ、いとらうありて、をかしくきゝ侍りしか。
「誠にやみとせもまたで山城の伏見の里ににひ枕する」
と侍りける。むかし物語見る心ちして、いとやさしくこそうけ給はりしか。おほかた歌よみにおはしき。殿上人におはせし時、石淸水の臨時の祭の使したまへりけるに、その宮にて御神樂など果てゝ、まかりいで給ひける程に、松のこずゑに郭公のなきけるを聞きたまひて、俊賴の君の、陪從にておはしけるに、「むくのかうの殿、これはきゝたまふや」と侍りければ、「思ひかけぬ春なけばこそはべめれ」と心とくこたへたまひけるこそ、いとしもなき歌よみ給ひたらむには遙に優りて聞こえける。四條中納言、この料によみおき給ひけるにやとさへおぼえて、又きゝ給ひておどろかし給ふもいうにこそ侍りけれ。かやうにおはせむ人、いとありがたく侍り。出家などし給ひしこそ、いと淸げにめでたくうけ給はりしか。べちの御やまひなどもなくて、たゞこの世はかくて、後の世の御ためとて、右大臣左大將かへしたてまつりて、かはり奉らむなどいふ御設けもなくて、中の院にてかしらおろして、こもりゐたま<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>へりしこそ、いと心にくゝ侍りしか。御子もおはせねば、兄の御子、今の內のおとゞ、又雅兼の入道中納言の御子、定房の大納言、養ひ給へるかひありて、位高くおのおのなり給へり。御能どもをつぎ給はぬぞくちをしく侍る。內のおとゞの御子も少將とてふたりおはすなり。
武藏野の草
六條の右のおとゞは、大方きんだちあまたおはしき。太政のおとゞにつぎ奉りては、大納言雅俊とておはしき。御母は美濃守良任ときこえしむすめの腹なり。京極に九體の丈六つくり給へり。その御子は腹々にをとこ女あまたおはしき。伊豫守爲家のぬしのむすめのはらに、神祇の伯顯重と申しき。もとはさきの少將肥前のすけにてぞ久しくおはせし。そのおなじはらに四位の侍從顯親と申して、後は右京の權大夫、播磨守などきこえき。同じ御はらに上野守顯俊とておはしき。中宮の御おほぢにやおはすらむ。憲{{*|兼イ}}俊の中將ときこえし。のちには大貳になりたまへりき。百良と御わらは名きこえ給ひき。又摩尼ぎみときこえ給ひし、左馬權頭など申しき。此の外にも、上野、越中などになり給へる聞こえき。又僧子も多くおはするなるべし。大納言の同じ御はらに、中納言國信と申しておはしき。堀河の院の御をぢの中に殊に親しくさぶらひ給ひけるとぞきこえ侍りし。歌よみにおはして、百首の歌人にもおはすめり。この中納言の姬君、おほい君は近くおはしましゝ攝政殿の御母、二位と申すなるべし。次には入道どのにさぶらひ給ひて、さりがたき人におはすなり。第三の君は、今の殿の御母におはします。三位のくらゐ得給へるなるべし。うちつゞき二人の一の人の御おほぢにていと<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>す.『誠者、物之終始、不{{レ}}誠無{{レ}}物。是故君子誠之爲{{レ}}貴』と曰ひ、且つ流麗快達の辯を以て、至誠息むこと無く、悠遠博厚、又た高明、動せずして變じ、無爲にして成すと說く。其旨の深玄にして神祕の妙域に聘するより、人の或は『誠』の一字を解けば、『言』と、完全の義ある『成』との二字より成れるを以て、之を新プラトー學說の『ロゴス』<small>({{r|道|ことば}})</small>に比儔せんとすることあり。
虛言、遁辭は共に之を賤めて怯懦なりとせり。武士は社會に高位を占むるよりして、從つて誠實を標榜すること、商賈農民の輩に優りて高大なるを要すとしたり。{{傍点|style=circle|武士の一言}}とは――獨逸語にてアイン、リツテルヴオルト(Ein Ritterwort)と云ふと、其義を一にす――即ち其言語の信實を確證<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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虛言、遁辭は共に之を賤めて怯懦なりとせり。武士は社會に高位を占むるよりして、從つて誠實を標榜すること、商賈農民の輩に優りて高大なるを要すとしたり。{{傍点|style=circle|武士の一言}}とは――獨逸語にてアイン、リツテルヴオルト(Ein Ritterwort)と云ふと、其義を一にす――即ち其言語の信實を確證<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>するものにして、武士は一諾を重んじて二言無く、武士の一言は千鈞よりも重し。されば、人と約するに必ずしも文書を要せず、又た敢て或は違ふことあらず。若し夫れ證文を以て約するが如きは頗る武士の威嚴を毀損するものとせり。世には武士たるものが、二言の罪を償ふに、死を以てしたる、多くの悲慘なる物語すら、之を傳ふるにあらずや。
誠を標置すること斯の如く高く、而して基督敎徒の槪ね、『爾曹盟ふ勿れ』との敎主の簡明なる戒を破り、毫も『スウエア』<small>(誓言)</small>するを憚らざるとは大に異り、眞個の武士は誓詞起證を以て名譽を毀損するものなりとして之を賤めたり。固より神明に誓ひ、刀に盟ふの事ありたりと雖、未だ彼の歐米に於けるが如く其起證の流れて妄語となり、又た神を侮<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>るの放言となりたるの例を見ず。時としては又た實に血誓血判をなすことありしと雖、此行爲に關しては、讀者は予の說明を俟たずして、試みにゲーテの『フアウスト』に、{{傍点|血は異樣の液體なり}}と云ひ、血を以て誓ふを讀まば、即ち自から釋然として明かなるものあらん。
近時米國一文士の說を爲すことあり。曰く普通の日本人に問ふに、虛言を吐くと、禮を失すると、孰か可なるやを以てせば彼は言下に答へて、『虛言を吐く』を可とすと云ふべしと。盖し此說の言責者たる、ピリー博士は是非相半ばせるものと云ふべし。啻に尋常一般の日本人のみならず、又た士人と雖、尙且つ此れと等しき答をなすなるべし。然りと雖、氏は{{r|虛言|うそ}}なる語を譯するの重きに過ぎ、『フオール<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>スフード』なる英語を用ゐたるの點に於て大に誤謬あり。日本語にて{{傍点|style=circle|ウソ}}とは、{{傍点|style=circle|マコト}}ならず、{{傍点|style=circle|ホンタウ}}ならざるを指して云ふものにして、ローウエルは、ウオルヅウオルスを評して、彼は眞理と事實とを區別する能はずと云ひたるが、此點に於て、日本人は槪するに詩仙ウオルヅウオルスに酷似するものなり。試みに多少の禮文ある日本人、又たは米國人に向ひ、汝は予を厭ふやと云ひ、又た汝は腹痛するかと問はゞ、彼は衷心快からざるも、直ちに『予、甚だ君を愛す』、又たは『多謝す、予は快し』等の虛言を以て答とせん。然るに武士は禮の故に誠を犧牲とするを以て{{傍点|style=circle|虛禮}}となし、{{傍点|style=circle|甘言人を欺く}}ものなりとして大いに之を賤めたり。
予は今爰に武士道の有せる誠の觀念を說明するより、延<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>いて日本人の商業道德に關し、多少の辯を費すも、亦た敢て失當の擧にあらざるべきを信ず。外人の著書報吿中、日本人の商業道德に關して不平を訴ふるもの尠からず。商業道德に怠慢なることは、實に我國家の體面上最醜の汚辱なり。されど之を詬罵し、又た卒爾として我が國民全般を非難するに先だち、試みに頭腦を冷靜にして其然る所以を考究せんか、或は未來の好望を以て慰藉報酬せらるゝことなしとせず。
人の職とする所のもの、其類一にして足らずと雖も、就中、武人と商賈との二者の如く、多大に隔絕せるは無かるべし。商賈は四民の最下級に位するものなりき。武士は土地より俸祿を收め、農耕の業は、或は自から以て娛樂とすること<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>り難き人になむおはしける。詩つくり、歌よみにおはしき。高くもいたりたまふべかりしを、御やまひにより出家し給ひて久しくおはしき。鳥羽の院大事仰せられ合はせむとて、常は召しいでゝ對面せさせ給ふ折ども侍りけり。この入道中納言のきんだちぞ、この御流れには、上達部などにてもあまた聞こえ給ふ。右中辨雅綱と聞こえ給ひし、よく仕へ給ふとて、四位の少將などに珍らしくなりなどし給へりし。とくうせ給ひにき。その御おとうとに、能俊大納言の女の御はらに、當時中納言雅賴と聞こえ給ふこそ、入道治部卿の御子にはふみなど傳へ給ふらめ。家をつぎ給へる人にこそ。同じ御はらに、その次に、大納言と申すは、入道右大臣の御子にし給ひて、高く昇り給へるなるべし。その御弟、四位の少將通能と申すなるは琴ひき給ふとぞきこえ給ふ。淸暑堂の御神樂にも、ひき給ひけるとなむ。師能の辨とておはせし、養ひ申し給へると聞き侍りし、これにやおはすらむ。六條のおほいどのゝきんだちなど僧も多くおはすれど、さのみ申しつくしがたし。山に相覺僧都とて大原に住みたまふおはしき、醍醐には大僧正定海とて、讃岐のみかどの護持僧におはしき。ならには山科でらの隆覺僧正、東大寺の覺樹僧都と申しゝは、東南院ときこえ給ひにき。皆やんごとなき學生におはしき。又覺雅僧都とてもおはしき。歌よみにぞおはせし。末の世の僧などさやうによまむは有りがたくや侍らむ。白河の院のいとしもなくおぼしめしたる人にておはしけるに、俊賴のきみ金葉集えらびて奉りたりける始めに貫之、「春立つことをかすがのゝ」といふ歌、そのつぎに覺雅法師とて入り給へりけるを、「貫之もめでたしといひながら、三代集にも漏れきて<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>あまりふりたり。覺雅法師も、げにもともつゞきおぼえず」など仰せられければ、ふるき上手ども入るまじかりけり。又いとしもなくおぼしめす人、のぞくべかりけりとておぼえの人をのみとりいれて、次のたび奉りければ、「これもげにともおぼえず」と仰せられければ、又作りなほして、源重之を始めに入れたるをぞとゞめさせ給ひけるは、かくれて世にもひろまらで、中たびのが世には散れるなるべし。又山におはせし妙香院の淸覺內供など聞こえたまひし、その內供の一つ腹にや、はたの御はらにや、治部大輔雅光と聞こえ給ひし歌よみおはしき。人に知られたる歌多くよみ給へりし人ぞかし。「あふまでは思ひもよらず」、又「身をうぢ川の橋柱」などきこえ侍るめり。その御子には、實寬法印とて山におはす。六條殿の御子は、又をとこも丹波の前司、和泉の前司など申しておはしき、はかばかしきすゑもおはせぬなるべし。
もしほの烟
二條のみかどの御時近くさぶらひ給ひて、かうの君とかきこえ給ひしは、殊の外にときめき給ふときこえ給ひしかば、內侍のかみになり給へりしにやありけむ、たゞまた、かうの殿など申すにや、よくもえうけ給はり定めざりき。それこそは、六條殿の御子の季房の丹波守の子に大夫とか申して、伊勢にこもりゐたまへる御むすめときこえ給ひしか。かの御時、女御きさき、かたがたうちつゞき多くきこえ給ひしに、御心のはなにて一時のみ盛りすくなく聞こえしに、これぞときはに聞こえ給ひて、家をさへに作りて賜はり、世にももてあつかふ程<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>にきこえ給ひて、みかどの御なやみにさへ科おひ給ひしぞかし。御めのとの大納言の三位なども、「いたくな參り給ひそ」など侍りけるにや、ある折は常にも侍ひたまはずなどありけるとかや。かつは御覺えの事など祈りすぐし給へる方も聞こえけるにや、かつは聞きにくゝも聞こえけるとぞ。重らせたまひける程に「年若き人なればおはしまさゞらむにはいかにもあらむずらむ。御消息ども返し參らせよ」とありければ、なくなくとりつかねて參らせければ、信保などいふ人うけ給はりて、かきあつめさせたまへる、もしほのけぶりとなりけむもいかに悲しくおぼしけむ。御ぐしのたけにあまり給へりけるも、そぎおろさばやとぞ聞こえけれど、心づよき事かたくて月日へけるほどに、御心ならずもやありけむ、昔にはあらぬことゞもいできて、若き上達部の時にあひたる所にこそ、むかへられ給ひてときこえ侍るめれ。めしかへさせ給ひけむ。やんごとなきみづくきのあとも、今やおぼしあはすらむ。いとかしくこそ。
六條のおとゞ、いとあさましく、末廣くおはします。昔よりふぢなみの流れこそ、みかどの御おほぢにてはうちつゞき給へるに、堀河の院の御おほぢに、珍らしくかく末さへ廣ごらせ給へる一の人の御おほぢにうちつゞきておはしますめり。六條殿の御むすめは、堀河の院の御時、承香殿と申しけるは女御の宣旨などはなかりけるにや、醍醐におはすと聞こえし、近くうせ給ひにき。堀河殿、六條どのゝ御おとうとに、中宮大夫師忠の大納言おはしき。その御母は、堀河の賴宗の右のおとゞの御女なり。この大納言の御子は左馬の頭師澄とて、千日の講<noinclude></noinclude>
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<noinclude><pagequality level="3" user="CES1596" /></noinclude>久しく行ひ給ひて、後は大藏卿と申しき。その御おとうとは師親の四位の侍從など申しておはしき。又大納言の御子には、仁和寺の大僧正寬遍と申すおはしき。備中守まさなかの女の腹にやおはしけむ。高松の院の中宮とて、御ぐしおろさせ給ひし、戒の師におはしけり。東寺の長者にて近くうせ給ひにけり。中宮の大夫の御弟廣綱とて坐しき。四位までやのぼり給ひけむ、攝津守など申しゝにや。また堀河殿などの同じはらにやおはしけむ、仁覺大僧正と申しゝ山の座主おはしき。それは中宮の大夫の兄にやおはしけむ。又ことはらにやましなでらの實覺僧都など申しておはしき。莊嚴院の僧都と申しゝなるべし。
{{resize|120%|今鏡第八}}
みこたち
源氏のみやすどころ
みかどの御おほぢにはおはせねど、東宮や宮たちの御母におはせしは、後三條の院の女御にて、侍從の宰相基平の御女こそおはせしか。その宰相は小一條の院の御子におはしき。その源氏の御息所、御名は基子女御とぞ申しゝ。その御せうとにては春宮の大夫季宗、大藏卿行宗など申しておはしき。みな三位のくらゐにぞおはせし。大藏卿は八十ばかりまでおはせしかば、近くまで聞え給ひき。歌よみにおはしき。ふたりながらからの文なども作り給ふとぞ<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>ありたりと雖、牙籌數盤に至りては、之を厭棄して顧みることなかりき。然れども此の社會的配置は寧ろ智なりと稱すべきものあり。モンテスキユーは、徃時、貴族の商業に關與するを禁じたる其社會政策こそ、富の勢權に吸收せらるゝを防遏したる所以にして、頗る稱すべきものなれと論ぜしにあらずや。富と勢權との分離は、富の分配を略ぼ均等ならしむ。『西羅馬帝國衰亡時代の社會』の著者ヂル敎授は、羅馬帝國衰亡の一原因の、明かに貴族の商業を營むを許し、從つて富と勢權とが、少數なる元老門閥の專有に歸したる事實にあるを辯ぜり。
されば封建時代に於ける日本の商業は、社會狀態の抑壓によりて、自由なる發展を遂ぐること能はず、而も商賈の業<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>の侮蔑せられたるより、自から、世上の名聞に意無き輩を、其範圍に吸集したり。西諺にも、『人を盜と呼べ、彼れ即ち盜をなさん』と云へるが如く、假に某の職業を稱するに汚名を以てせんか、此れに居るもの亦た、其汚名に適したる態度に出づべきは自然の數にして、ヒユー、ブラツクも、『尋常なる良心は、之に對する要求に應じて醒起し、而して容易に此れに期待する道德標凖の區域に墮落す』と曰へり。されど商業にもあれ、其他何の職業にもあれ、凡そ人の常に執る所の業を見るに、之を行ふに當り、各一種の道德法を有せざる無きは、復た論を待たず。封建時代に於ける日本の商賈と雖、亦た其間に自から道德の存するものありて、之れが爲に、組合、兩替取引、保險、手形、爲替等の商業の根本制度すら、其<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>發達を成すを得たりしなり。然るに此道義は單に、同業者の間に止まり、職業を異にする者に對しては、自家の階級の受くる汚名に甘んずるの態度を有したり。
斯の如くなりしを以て、一朝我國の海外諸國と通商するに至りてや、冐險果敢の徒のみ、先づ開港塲に突進し、而して信用ある商家は、政府より、屢ば支店の設置を促されたるも、尙ほ姑く之を否みたり。是に於て乎、人或は問はん、武士道は、商業上に於ける不名譽の逆流を支ふるに足るの力無かりしもの乎と。乞ふ今少しく之を觀察せん。
我國の歷史に通曉する者は記憶せん、開港後幾年ならずして、封建の廢滅するや、武士は家祿を失ひて、此れに代ふるに公債の下附を以てせられ、而して其公債を放資して商業<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>を營むの自由を賦與せられたることを。或は問ふ、『然らば、武士は此際、何が故に其誇りとせる、誠實信義に依りて、此新事業に當り、以て商業の舊弊を一洗することを得ざりし乎』と。彼の志高く行潔き武士の輩が、其身を曾て經驗なき新職業に投じ、而して狡獪なる平民に抗して、錙銖の利を爭はんと欲す、爭でか其の成功を期するを得んや。されば之れが爲に多大の失敗を招くの止むを得ざるに至りしは、盖し悲慘の極と云ふべく、目ある者は之を見て哭し、心ある者は之を想ふて淚禁ずる能はざりしもの、盖し當時の狀態にあらずや。然るに聞く、米國の如き實業國に於てすら、實業家中、十の八は破產せざるなしと。されば士族の商業の能く成功したるもの百人にして一人を算ふるも、亦た敢て<noinclude></noinclude>
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安東大將軍倭國王
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<noinclude><pagequality level="3" user="安東大將軍倭國王" /></noinclude>驚くに足らず。要するに武士道の道義を商業に施さんと欲して、爲に蕩盡したる財產の數量は、殆ど計るべからざるものあらん。識見ある士人の、直ちに富の道は、名譽の道に非ざるを認めたるも、亦た宜なりと謂ふべし。この二者の道の由つて歧るゝ處は果して何れにありや。レツキーが曾て誠實の誘因として擧げたる實業、政治、哲學の三者中、其一は武士道全く之を缺き、其二は封建制度の政治社會に在りて、殆ど此れが發達を見ること能はざりき。而して誠實信義の德の、士林の道德範圍に於て其重きをなすに至りたる所以は、其哲學的誘因に由れるものにして、即ちレツキーの所謂、至高の形態に於て發達したるものなり。予はアングロ、サクソン人種の商業道德に秀でたるを見て、衷心深く<noinclude></noinclude>
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